第三章 紫扇侯女編 第七十八話 明日、王太子を毒殺します
北部から戻って、一週間が過ぎた。
ヴィオレッタは西部市民区の報告書。
レティシアは防衛演習の改善案。
俺は二人に挟まれ、読めない資料の山と戦っていた。
「アルト。手が止まっているわ」
「難しい字が多すぎる」
「先ほど教えたでしょう」
「教わった字が、その次の行では違う形に見えるんだよ」
「同じ字だ」
レティシアにまで呆れられた。
そのとき、一羽の紫色の小鳥が窓から入ってきた。
足には、香水の匂いがする封筒が結ばれている。
『アルト・レイン様へ』
『本日放課後、紫水晶の間にてお待ちしております』
「差出人は?」
ヴィオレッタが封筒を裏返す。
紫色の蝋に、扇の紋章が刻まれていた。
「ヴェルレーヌ侯爵家……」
「カサンドラか」
レティシアの表情が険しくなる。
「知ってるのか?」
「七人の悪女の一人だ」
「そういうお前も、その一人だろ」
「だから危険性が分かる」
ヴィオレッタが招待状を取り上げた。
「行く必要はないわ」
「でも、用件が書いてないぞ」
「だからこそ怪しいのよ」
「困ってるのかもしれない」
二人が同時に溜息をついた。
◇
放課後。
俺は貴族用の談話棟にある、紫水晶の間を訪れた。
当然のように、ヴィオレッタとレティシアもついてきている。
入口の侍女が深く頭を下げた。
「申し訳ございません。カサンドラお嬢様は、アルト様お一人をご招待しております」
「私を外で待たせるつもり?」
「公爵令嬢であろうと、招待されていない者を入れるわけにはいかない」
「なぜ、あなたが偉そうに答えるの?」
「事実を言っただけだ、黒薔薇」
「二人とも、喧嘩するなよ」
俺が扉へ向かうと、左右から袖をつかまれた。
「紅茶を飲んでは駄目よ」
ヴィオレッタが言う。
「出された菓子にも触れるな」
レティシアも続ける。
「食べるためのお茶会じゃないのか?」
「毒を盛られる可能性があるわ」
「危険を感じたら窓を割れ。私が入る」
「その前に私の黒薔薇が扉を壊すわ」
「部屋を壊す前提で話すなよ!」
◇
紫水晶の間には、一人の少女が待っていた。
艶のある深紫色の髪。
金色の瞳。
口元を紫の扇子で隠し、優雅な笑みを浮かべている。
入学式で見た七人のうち、扇子で口元を隠して笑っていた少女だ。
「ようこそ、アルト・レイン様」
カサンドラ・ヴェルレーヌ。
南部諸国との外交や交易を担う、ヴェルレーヌ侯爵家の令嬢。
社交界では、紫扇侯女と呼ばれている。
未来の本では、七人の悪女の三人目として記されていた。
『毒扇カサンドラは王太子と三国の使節へ毒を盛り、南部同盟を崩壊させた』
その事件をきっかけに、王位継承争いが始まった。
王国が二つに割れ、世界大戦へ繋がった。
「どうして俺を?」
「黒薔薇の井戸を開き、銀狼の門を閉じた市民枠の方に、一度お会いしたかったのです」
彼女は向かいの椅子を示す。
机には紅茶と、色鮮やかな菓子が並んでいた。
「毒は入っておりませんわ」
「今から飲もうと思ってたのに、怖くなった」
「まあ。正直な方」
扇子の奥で笑っている。
けれど、机の下にある指は震えていた。
「それで、何の用だ?」
「あるお願いがございます」
「できることなら」
「明日、王太子殿下の誕生茶会が開かれます」
「知ってる。市民枠は給仕係だけどな」
「そこで私は――」
カサンドラは扇子を閉じた。
笑っている口元には、噛み切ったような赤い傷があった。
「王太子殿下を毒殺いたします」
「は?」
「正確には、毒殺したことにされます」
彼女の金色の瞳から、笑みが消える。
「ですから、お願いです」
震える手が、俺の袖をつかんだ。
「私が王太子を殺す前に、どうか私を止めてくださいませ」




