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第七十五話 銀狼、休暇を命じられる

 和平会談から二日後。


 オスヴァルト侯爵が、娘へ告げた。


「今日の午後は休め、レティシア」


「警備任務から外れるという意味ですか?」


「違う。休暇きゅうかだ」


「休暇中に行う任務は?」


「何もない」


「では、何をすれば?」


 レティシアが本気で困っている。


 侯爵も困った顔でナディアを見る。


「あなた。この子へ休み方を教えなかったのですか?」


「私がいなくなったあとは、ガルムが……」


「聞いた私が悪かったわ」


 ナディアは娘の手を取ろうとして、一度止まる。


「一緒に出かけてもいい?」


「はい、母様」


「行きたい場所はある?」


「分かりません」


「好きなものは?」


 レティシアが俺を見る。


「魔狼だろ」


「なぜ、お前が答える」


「前に言ってたじゃないか」


「……嫌いではないだけだ」


「では、雪狼の飼育場へ行きましょう」


 ナディアが微笑んだ。


「昔、よく三人で遊びましたから」


 侯爵が立ち上がる。


「私も――」


「あなたは九年分の仕事を片づけてください」


「……承知した」


 北部を支配する侯爵が、妻の一言で座り直した。


     ◇


 城塞都市の外れには、軍用雪狼の飼育場があった。


 さくへ近づいた途端、何頭もの白い狼がレティシアへ駆け寄ってくる。


「覚えているのか?」


「匂いで分かるのだろう」


 一番大きな雪狼が、彼女を雪の上へ押し倒した。


「レティシア!」


「問題ない。これは歓迎だ」


 顔をめられながら、レティシアが笑う。


 戦うときでも、命令するときでもない。


 年相応の少女の笑い声だった。


「そんなふうに笑えるんだな」


「見るな」


「無理だろ。目の前だぞ」


「忘れろ」


「またそれか」


 俺も雪狼の耳へ触れようとすると、牙を見せられた。


「なぜ俺だけ!」


「手の甲を嗅がせてからだ。急に頭へ触れるな」


「狼にも許可がいるんだな」


「当たり前だ」


 手を差し出し、雪狼が近づくのを待つ。


 匂いを嗅いだあと、自分から頭を押しつけてきた。


「触っていいってことか?」


「ああ。耳の後ろをでろ」


 言われた場所を撫でると、雪狼は目を細めた。


 レティシアも、同じような顔で見ている。


     ◇


 しばらくして、ナディアたちは飼育員と話すため、管理小屋へ向かった。


 俺とレティシアは、雪原へ並んで座る。


「アルト」


「何だ?」


「最初に腕へ包帯を巻いたとき、なぜ許可を求めた?」


「嫌だって言われたから」


「それだけか?」


「それ以外に何があるんだよ」


 レティシアは、自分の手を見つめる。


「誰も聞かなかった」


「何を?」


「触れていいか。痛いか。休みたいか。何が好きか」


 風が、短い銀髪を揺らす。


「私は、答えを持っていなかった。拒めば弱いと罰せられ、受け入れれば次の命令が来たからだ」


「今は?」


「少しずつ、分かるようになった」


 彼女は俺の方へ、左手を差し出した。


「今、手を握ってもいいか?」


「聞く方が逆じゃないか?」


「私がお前へ触れたい。だから、私が聞いている」


「いいぞ」


 傷の残る手が、俺の手を握った。


「列車で眠れたのは、母様がいなくなってから初めてだった」


「そんなに?」


「誰かが見張ってくれると、あれほど安心できるとは知らなかった」


 指へ力が入る。


「だから今は、お前がいなくなることが怖い」


 冗談ではない。


 俺の顔を見つめる瞳には、隠しきれない不安があった。


「勝手にはいなくならない」


「戦争や退学なら仕方ない、などと言うな」


「覚えてたのか」


「全部覚えている」


「じゃあ、怖くなったら呼べよ。眠れないときでも」


「夜中でも?」


「起きられたらな」


「そこは必ず起きると言え」


 レティシアが、初めて俺の手を握ったまま笑った。


 その間へ、大きな雪狼が頭を押し込んでくる。


「何だよ」


「自分も撫でろと言っている」


「仕方ないな」


 二人で雪狼の耳の後ろを撫でる。


 少し離れた場所から、ヴィオレッタの声が飛んできた。


「アルト! そろそろ戻るわよ!」


「分かった!」


 レティシアは俺の手を離した。


 けれど、寂しそうにはしなかった。


「学園でも、また呼ぶ」


「ああ」


 兵士ではない時間に何をすればいいのか。


 銀狼は、その答えを少しずつ見つけ始めていた。

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