第七十三話 本物の銀狼
「その女を殺せ!」
偽物のレティシアが叫ぶ。
隣国兵たちが、拘束された本物へ剣を向けた。
「待ってください!」
ミレーヌが負傷した使節の手から、破れた白い手袋を掲げる。
「襲撃者の手には、灰氷晶が埋め込まれていました。手袋を外せば、どちらが本物か分かります!」
「敵国の聖女の言葉を信じろと?」
「ならば、両方を調べればいいでしょう」
ヴィオレッタが前へ出る。
「レティシア。手を見せなさい」
本物のレティシアは、拘束された両手を上げた。
傷痕の残る、生身の手。
偽物は白い手袋をしたまま動かない。
「そちらも外してください」
ミレーヌが告げる。
「断る。この手は戦闘で負傷している」
「では、血統認証を」
ナディアが、会談場に置かれた認証盤を示す。
「本物なら、ヴァルハルト家の銀狼が現れるはずです」
偽物の目が、わずかに動いた。
「そんなものは、王国側が用意した偽物だ!」
「ここは中立地帯です。認証盤も両国が管理しています」
逃げ道を失った偽物が、俺を見る。
「アルト! その女から離れろ! 私と一緒に来い!」
声も顔も、レティシアと同じ。
けれど、本物は俺へ叫んだ。
「アルト、下がれ! そいつはお前を狙っている!」
片方は、自分のところへ来いと言う。
もう片方は、俺を危険から遠ざけようとする。
「分かりやすいな」
「何?」
「お前、レティシアの顔しか見てないだろ」
「私は本物だ!」
「こいつなら、自分より先に他人の心配をする」
俺は本物の隣へ立った。
「言い方は、ものすごく悪いけどな」
「余計な一言だ!」
偽物が剣を投げた。
狙いは、医務室から運ばれてきた負傷中の使節。
「危ない!」
拘束されたレティシアが飛び出し、自分の身体で使節を庇った。
剣が肩を切り裂く。
「レティシア!」
「この程度……」
いつもの言葉を口にしかけ、言い直す。
「痛い。だが、動ける!」
使節を守る姿を見て、隣国兵たちが動きを止めた。
「拘束を解け!」
隣国の将軍が命令する。
手枷が外され、一本の剣がレティシアへ渡された。
「襲撃者を捕らえろ。ただし、殺すな!」
「了解!」
偽物と本物の剣がぶつかる。
同じ構え。
同じ歩幅。
斬り込む場所まで同じだった。
「お前の剣は、すべて知っている!」
偽物が笑う。
「血に残った記憶から、技も恐怖も読み取った! ガルムに教えられた兵器のお前をな!」
レティシアの剣が弾かれる。
「そうか」
彼女は後ろへ跳び、剣を下ろした。
「なら、お前が知っているのは昔の私だけだ」
「何?」
「血を奪われたとき、私は独りだった」
レティシアがヴィオレッタを見る。
「黒薔薇、右脚を止めろ!」
「命令しないで!」
文句を言いながら、黒薔薇の蔓が偽物の右脚へ絡む。
「ミレーヌ、灰氷晶を!」
「浄化します!」
白い光が、偽物の手袋を包む。
「母様!」
「手袋の付け根よ!」
ナディアの声に合わせ、レティシアの剣が白い布だけを切り裂いた。
灰色の結晶が露わになり、治癒の光を受けて砕ける。
偽物の顔が崩れ始めた。
「馬鹿な……!」
「今の私は独りではない」
レティシアが剣を翻し、相手の武器を叩き落とした。
「だから、お前には真似できない」
黒薔薇が両腕を縛り、偽物を床へ押さえつける。
銀髪の少女の姿が消え、見知らぬ女の顔へ戻った。
両国の使節全員が、それを目撃していた。
◇
負傷した第一使節も、改めて証言した。
「私を襲ったのは……灰色の手を持つ、この女だ。レティシア嬢ではない」
隣国の将軍が剣を収める。
「銀狼への身柄引き渡し要求を撤回する。和平会談も、予定どおり行う」
すぐに疑いも憎しみも消えるわけではない。
それでも、戦争を始める理由は一つ失われた。
レティシアが認証盤へ傷だらけの手を置く。
銀色の光が集まり、巨大な狼の紋章となって両国の頭上へ現れた。
それは人を襲う獣ではない。
使節を守り、偽りの顔を打ち砕いた、本物の銀狼の証しだった。




