第七十話 誰も置いていかない
採掘場全体が激しく揺れる。
天井から氷塊が落ち、入ってきた坑道が塞がった。
「別の出口は?」
「採掘用の排気口があります」
ナディアが白い魔狼へ触れる。
「この子が道を覚えています」
魔狼は短く鳴き、奥の通路へ走り出した。
「急ぐぞ!」
レティシアが母親の手を引く。
俺も追いかけようとして、床に倒れた擬態の男を見た。
魔法を封じる首輪を付けたまま、気を失っている。
「待ってくれ!」
「どうした!」
「こいつも連れていく」
「私たちを殺そうとした男だぞ」
「だからって、生き埋めにしていい理由にはならないだろ!」
「運べば逃げ遅れる!」
「じゃあ、俺が引きずる!」
男の外套をつかんで引っ張る。
重い。
少しも進まない。
「本当に、後先を考えないな!」
レティシアが戻ってくると、男を肩へ担ぎ上げた。
「手伝ってくれるのか?」
「お前を置いていけば、結局こいつと一緒に死ぬだろう!」
「ありがとう」
「礼は外へ出てからにしろ!」
◇
右耳の折れた狼の印を追い、細い通路を進む。
背後から崩落の音が近づいてくる。
「この先です!」
ナディアが指した壁には、人が一人通れるほどの亀裂があった。
白い魔狼が先に抜ける。
俺も身体を横にして進もうとした、そのとき。
頭上の梁が折れた。
「レティ!」
ナディアが娘を突き飛ばす。
巨大な岩が落ち、母親の右脚を挟んだ。
「母様!」
「私はいいから、行きなさい!」
「嫌です!」
レティシアは擬態の男を床へ下ろし、岩へ両手をかけた。
持ち上がらない。
「また置いていかれるのは嫌だ!」
傷の開いた腕から血が流れる。
「アルト、手伝え!」
「もちろんだ!」
二人で岩を押す。
それでも動かない。
天井の亀裂が広がり、灰色の氷が降り注ぐ。
「アルト!」
岩壁の向こうから、ヴィオレッタの声が聞こえた。
「ここだ!」
「下がって!」
黒薔薇の蔓が亀裂から飛び込み、岩へ巻きつく。
「レティシア、持ち上げるわよ!」
「黒薔薇……!」
「三、二、一!」
ヴィオレッタが蔓を引く。
俺とレティシアも、全力で岩を押し上げた。
「今です!」
反対側からミレーヌが治癒魔法を送り、ナディアの傷を光で包む。
ナディアが挟まれた脚を引き抜いた。
「通れ!」
先にナディアを亀裂の向こうへ送る。
次に擬態の男。
「アルト、早く!」
「レティシアが先だ!」
「言い争っている場合ではないわ!」
ヴィオレッタの蔓が俺の腰へ巻きついた。
「え?」
「こちらへ来なさい!」
俺の身体が、亀裂の中へ強引に引き込まれる。
「痛い! もっと優しく!」
「あなたが素直に来ないからでしょう!」
最後にレティシアと魔狼が飛び込んだ。
通路を抜け、雪の積もった谷へ転がり出る。
直後、背後の採掘場が崩れ落ちた。
灰色の煙と雪が、空高く舞い上がる。
◇
「全員、無事ですか?」
グレイ先生が人数を数える。
俺。
ヴィオレッタ。
レティシア。
ミレーヌ。
ナディア。
白い魔狼。
そして、捕らえた擬態の男。
誰一人、置いてこなかった。
「馬鹿!」
ヴィオレッタが俺の胸を叩く。
「なぜ毎回、崩れる建物の中に残るの!」
「今回は建物じゃなくて、洞窟だぞ」
「そういう問題ではないわ!」
怒っているのに、目には涙が浮かんでいた。
「ごめん」
「……本当に、戻ってきてよかった」
その隣で、ミレーヌがナディアの脚を治療している。
レティシアは母親の手を、ずっと握ったままだった。
「レティ」
ナディアが俺たちを見る。
「この方たちは?」
レティシアは、少し考えてから答えた。
「私の仲間です」
「そう」
ナディアは安心したように微笑んだ。
「独りではなくなったのね」
レティシアは否定しなかった。
◇
ナディアは白い魔狼の首輪から、小さな金属筒を取り出した。
「採掘場で見つけた記録を隠してあります」
中には、白百合の印が刻まれた命令書が入っていた。
『白牙門計画が失敗した場合、第三段階へ移行』
『両国和平会談において、銀狼による使節殺害を実行する』
白牙門を閉じても、次の筋書きはすでに動き始めていた。
今度はレティシアの顔を使い、和平そのものを殺すつもりだった。




