第六十九話 本物の母
「母様しか知らないことを聞く」
レティシアは二人の女性を見比べた。
「私が六歳の誕生日に欲しがったものは?」
「雪で作った魔狼よ」
二人が同時に答えた。
「右耳だけ、うまく立たなかった」
言葉まで同じだった。
「では、母様が最後に屋敷を出た日。私は何と言った?」
「私も連れていって、と」
また、二つの声が重なる。
「あなたは泣きながら、私の外套をつかんだわ」
レティシアの呼吸が乱れる。
「記憶まで盗まれてるのか?」
「鏡写しの術は、血液に残った強い記憶を読み取れる」
右側のナディアが答えた。
「その女は、私から血を奪ったのです」
「嘘よ!」
左側のナディアが鉄格子を握る。
「そちらが偽物です! レティ、早く私を助けて!」
どちらも同じ顔で泣いている。
過去の記憶を聞くだけでは、見分けられない。
「レティシア」
「何だ」
「昔のことじゃなくて、今のお前について聞けばいい」
「今の私?」
「本物の母親なら、今のお前を見ようとするだろ」
レティシアは少し考え、二人へ尋ねた。
「私は、兵士をやめてもいいのか?」
左側の女が即座に答える。
「もちろんよ。そんな家も剣も捨てて、私と一緒に逃げましょう」
右側の女は、すぐには答えなかった。
「母様?」
「その答えで、私を選んではいけません」
「何?」
「あなたが聞きたい言葉を、偽物が言うかもしれない」
女は、自分から鉄格子を離れた。
「私はあなたの生き方を決めない。兵士でいても、やめてもいい。けれど、それを決めるのは私ではなく、あなたです」
「逃げたいなら逃げなさい!」
左側の女が叫ぶ。
「早くこちらを開けて!」
「待って、レティ。私たちの言葉ではなく、魔狼を信じて」
右側の女が、白い魔狼を見る。
「その子は、長く私と一緒にいました。擬態魔法で顔や声は盗めても、匂いまでは変えられません」
魔狼が二つの牢へ近づく。
左側の女は、必死に手を伸ばした。
「おいで。私がナディアよ」
魔狼はその手の匂いを嗅ぎ――牙を見せた。
低い唸り声が響く。
「なぜ……!」
女の顔から、笑みが消えた。
魔狼は右側の牢へ走り、鉄格子へ鼻を押しつける。
ナディアが目を潤ませた。
「よく頑張ったわね」
その瞬間、左側の女が懐から短剣を抜いた。
「役立たずの獣が!」
刃が魔狼へ飛ぶ。
レティシアの剣が弾き落とした。
「母様の顔で、その子を傷つけるな!」
偽物が鉄格子を蹴り破り、襲いかかる。
レティシアと同じ北方剣術。
だが、本物の銀狼は動きを読んでいた。
「その技は、もう見た!」
剣を受け流し、相手の白い手袋を切り裂く。
現れた手には、灰色の結晶が食い込んでいた。
レティシアがその結晶だけを斬る。
偽物の顔が崩れ、見知らぬ男の姿へ戻った。
「アルト!」
「任せろ!」
俺は机に残されていた首輪を、男の足へ投げつけた。
レティシアが剣で押し込み、魔法を封じる。
男は床へ倒れた。
◇
鉄格子の鍵を壊す。
ナディアが牢から出てきた。
「レティ……大きくなったわね」
「母様」
レティシアは走りかけ、途中で足を止めた。
触れたいのに、身体が動かない。
ナディアも無理に近づかなかった。
「抱きしめてもいい?」
その一言で、レティシアの顔が歪んだ。
「……はい」
母親の腕が、ゆっくりと娘を包む。
レティシアは最初こそ身体を強張らせていたが、やがてナディアの外套を強くつかんだ。
「母様……!」
「ごめんなさい。独りにして、ごめんなさい」
「帰ってきてほしかった……ずっと、待ってた……!」
「私も帰りたかった。あなたに会いたかった」
銀狼は声を上げ、母親の胸で泣いた。
誰かに触れられることを恐れていた少女が、自分からその背中へ腕を回している。
けれど、再会を喜ぶ時間は長く続かなかった。
坑道の奥から、赤い警報灯が点滅する。
「牢の封印が解けたせいです」
ナディアが顔を上げた。
「この採掘場は崩落するよう仕掛けられています」
天井から、灰色の氷が落ち始める。
「急いで。ここにいれば、全員生き埋めになります」
本物の母親を見つけた直後、採掘場そのものが崩れ始めた。




