第六十八話 母の声が二つ
坑道の奥には、青白い結晶が光っていた。
「これが灰氷晶だ」
レティシアが壁へ触れる。
「鏡写しの術に使われる希少な鉱石だ。採掘は禁止されているはずだが……」
「ここで偽物の顔を作ってたのか」
「おそらくな」
右耳の折れた狼を追って進む。
しばらくすると、二つ目の氷像が見つかった。
レティシアが触れると、母親の声が流れ始める。
『レティ。最初に伝えなければならないことがあります』
彼女の手が震えた。
『私は、あなたを置いていったのではありません』
『何度も帰ろうとしました。手紙も送りました。一日も、あなたを忘れたことはありません』
レティシアが唇を噛む。
「私が弱かったから、母様は戻らなかったのだと思っていた」
「違ったな」
「ああ」
「お前がもっと強ければ、なんて関係なかった」
「……ああ」
答える声が、少しずつ幼くなる。
俺は何も言わず、彼女が泣き止むのを待った。
「アルト」
「何だ?」
「手を出せ」
「怪我したのか?」
「違う。ただ……そこにいると確かめたい」
俺が手を差し出すと、レティシアの指が重なる。
以前なら触れただけで短剣を向けられた。
今は彼女の方から、俺の手を握っている。
「いるぞ」
「分かっている」
「なら離すか?」
「私が決める」
しばらく、そのまま歩いた。
◇
坑道の先には、人工的に掘られた広い部屋があった。
机の上に、白い首輪がいくつも並んでいる。
「魔獣に付けられていたものだ」
レティシアが一つを剣先で持ち上げる。
内側には、白百合の印。
壁には国境周辺の地図が貼られ、いくつもの村へ赤い印が付いていた。
『第一群――灰氷谷へ誘導』
『第二群――白牙門へ避難民を追い込む』
『銀狼の血統認証を確保後、門を開放』
「全部、最初から決められてたんだな」
「ああ。魔獣の襲撃も、避難民に敵兵を混ぜたことも」
別の机には、擬態魔法の記録が残されていた。
ミレーヌの姿。
レティシアの姿。
ガルム教官の姿まで保存されている。
「教官の偽物もいるのか?」
「では、学園にいた教官が本物だったという保証もない」
「でも捕まえたやつは、昔の命令を知ってたぞ」
「記憶の一部まで読み取れるとしたら?」
誰が本物で、誰が偽物なのか。
白百合は、顔だけでなく信頼まで盗もうとしている。
そのとき、奥の檻から唸り声が聞こえた。
大きな白い魔狼が、俺たちへ飛びかかってくる。
首には白百合の首輪。
「下がれ!」
レティシアが剣で牙を受け止める。
だが、斬ろうとはしなかった。
「アルト! 机の上の金具を投げろ!」
「これか!」
首輪と同じ形の金具を投げる。
レティシアは剣先で受け取り、首輪の隙間へ差し込んだ。
白い首輪が外れる。
魔狼の赤い目が、元の青色へ戻った。
「怖かったな。もう大丈夫だ」
レティシアが耳の後ろを撫でる。
魔狼は目を細めたあと、坑道のさらに奥へ歩き始めた。
「ついてこいってことか?」
「母様の匂いを覚えているのかもしれない」
◇
魔狼が立ち止まった先には、鉄格子があった。
その向こうから声が聞こえる。
「レティ……?」
銀髪の女性が、鎖に繋がれていた。
レティシアと同じ青灰色の瞳。
「母様!」
「待て!」
俺は走り出そうとするレティシアの腕をつかんだ。
鉄格子の反対側。
もう一つの牢からも、同じ女性が姿を現した。
「レティシア! そちらへ近づいては駄目!」
二人のナディア。
同じ顔。
同じ声。
どちらも涙を流し、娘へ手を伸ばしている。
「偽物は、どっちだ……?」
レティシアの手が、再び震え始めた。
母親の声が二つある牢獄で、間違った方を選べば何が起きるのか、俺たちには分からなかった。




