第六十一話 撃つな
赤い信号を見た王国兵が、城壁から弓を構える。
「赤色信号は、敵兵発見の合図だ!」
「避難民ごと撃つ気か!」
「敵と市民を見分けられません!」
そのとき、城壁の拡声装置から声が響いた。
『全射手へ命令。眼下の集団を敵性と認定』
レティシアと同じ声。
『一斉射撃、用意』
「偽物だ!」
レティシアが叫んでも、吹雪の音に消される。
弓兵たちは混乱しながらも、命令に従おうとしていた。
「レティシア! 本物だって分からせる方法はないのか!」
「血統認証を使う!」
レティシアは傷の開いた右手を、城壁の外にある銀色の石板へ叩きつけた。
血と魔力が流れ込む。
巨大な銀狼の紋章が、雪空へ浮かび上がった。
『白牙砦守備隊へ、血統認証による命令!』
今度こそ、本物のレティシアの声が城壁全体に響く。
『弓を下ろせ! 私の許可なく、誰一人撃つな!』
弓兵たちが、ゆっくりと矢を下げた。
けれど、避難民に紛れた敵兵は武器を捨てない。
「ミレーヌ! 武器を持たない者は伏せろと伝えてくれ!」
「はい!」
ミレーヌが隣国の言葉で呼びかける。
「戦う意思のない方は、雪の上へ伏せてください! 王国軍は攻撃しません!」
母親たちが子供を抱き、地面へ伏せる。
老人や負傷者も続いた。
立ったままなのは、武器を持つ男たちだけだ。
「これなら見分けられる!」
俺も逃げ遅れた人たちを、昇降台の陰へ誘導する。
「武器を捨てろ!」
レティシアが剣を構えた。
「投降すれば、命は取らない!」
「銀狼の言葉を信じるな!」
敵兵の一人が斬りかかる。
レティシアは剣を受け止め、相手の武器だけを凍らせた。
白い霜が腕まで達し、男が剣を手放す。
「次!」
別の男へ向かおうとしたとき、敵兵が俺のそばにいた少年を捕まえた。
首元へ短剣を突きつける。
「動くな! 門を開けろ!」
レティシアの動きが止まった。
「子供を離せ」
「血統鍵で正門を開けろ! さもなければ――」
「嫌だ……!」
少年が泣き出す。
俺は考えるより先に、男へ近づいていた。
「俺と代われ」
「アルト、何をしている!」
「その子より、俺の方が門を開けさせる人質になるだろ」
「来るな!」
短剣が少年から俺へ向く。
その一瞬。
レティシアの剣が飛んだ。
刃は男を傷つけず、外套だけを背後の氷壁へ縫い止める。
「今よ!」
城壁から伸びた黒薔薇の蔓が、敵兵たちの腕と足へ絡みついた。
「一人も逃がさないわ!」
ヴィオレッタが次々と武器を奪う。
ミレーヌの光が負傷者を包み、敵味方の区別なく傷を塞いでいく。
やがて、二十三人の敵兵が雪の上へ捕縛された。
死者は一人もいなかった。
「無茶をするなと言っただろ!」
レティシアが俺の胸ぐらをつかむ。
「でも、隙ができた」
「失敗すれば死んでいた!」
「助けてくれると思ったから」
「私が間に合わなければ――」
「間に合っただろ」
「結果だけで話すな、この馬鹿!」
怒鳴る声が震えている。
本気で、俺が死ぬことを怖がっていた。
◇
捕らえた男の一人が、軍用の命令書を持っていた。
『赤色信号の後、銀狼が白牙門を開く』
『避難民に紛れ、城内へ侵入せよ』
末尾には、ガルム・ハーケンの署名。
「教官の命令なのか?」
レティシアは紙を握りしめた。
「署名も偽造かもしれないわ」
ヴィオレッタが冷静に止める。
「本人を見つけるまで、決めつけてはいけない」
そのとき、強い風が雪原を吹き抜けた。
黒薔薇の昇降台が大きく揺れる。
「吹雪が予定より早く来ます!」
守備隊の声が響いた。
まだ城内へ移せた避難民は、二十三人。
残りは四百人以上。
敵兵を止めても、吹雪は待ってくれなかった。




