第六十話 門が駄目なら壁を越えろ
「正門しか動かせません」
守備隊長の報告に、誰も言葉を返せなかった。
門を開けば、避難民に紛れた敵兵まで入る。
閉じたままなら、五百人が凍え死ぬ。
「門が駄目なら、壁を越えればいいだろ」
俺が言うと、全員に見られた。
「アルト」
「何だ?」
「白牙砦の城壁は、高さ三十メートルよ」
「でも、ヴィオレッタの蔓なら下まで届かないか?」
「荷物を運ぶ程度なら可能だけれど、人間を乗せれば雪と風で折れるわ」
「私の氷で補強する」
レティシアが城壁へ手を当てた。
「黒薔薇の蔓を芯にして凍らせれば、昇降台を支えられる」
「凍らせすぎれば、蔓の動きを止めるわよ」
「外側だけを薄く覆う。お前に合わせる」
ヴィオレッタとレティシアが視線を交わす。
「できるのか?」
「誰に聞いているの?」
「誰に聞いている」
また同時だった。
◇
城壁の上から、太い黒薔薇の蔓が伸びる。
その表面を銀色の氷が覆い、風に耐える支柱となった。
蔓の先には、物資運搬用の木箱を結びつける。
「まず、重さに耐えられるか試す必要があるな」
俺が木箱へ乗ると、ヴィオレッタに襟をつかまれた。
「なぜ当然のように乗るの!」
「誰かが試さないと」
「荷物で試しなさい!」
「もう荷物は載せただろ?」
「人間と荷物は違うわ!」
「私も乗る」
レティシアが木箱へ足をかけた。
「二人なら、綱が切れた際に私が氷で壁へ固定できる」
「重量が増えるでしょう!」
「一人より安全だ」
「どっちなんだよ」
結局、俺とレティシアが最初に降りることになった。
「アルト」
ヴィオレッタが黒薔薇へ手を添える。
「絶対に落ちないで」
「俺に言われても困る」
「では、レティシア。アルトを落とさないで」
「善処する」
「必ずと答えなさい!」
木箱が城壁の外側へ降りていく。
下を見ると、足が震えた。
「高い……」
「今さら気づいたのか?」
「下を見るんじゃなかった」
「私の外套をつかむな」
「落ちるよりいいだろ!」
「破れたら弁償しろ」
三十メートルを降り、雪原へ着く。
続いてミレーヌと暖房用の魔法石が降ろされた。
避難民たちが、警戒しながら俺たちを囲む。
レティシアが隣国の言葉で呼びかけた。
「正門は開けられない。だが、見捨てるつもりもない」
怒声が返ってくる。
「嘘だ!」
「俺たちを凍え死なせる気だ!」
「子供だけでも入れてくれ!」
ミレーヌも同じ言葉で語りかける。
「黒い蔓の昇降台を使い、少人数ずつ城壁の内側へ移します。武器を持っていないことを確認させてください」
「信用できるか!」
「王国の聖女様が、俺たちを選別するのか!」
恐怖と寒さで、誰もが追い詰められている。
「先に子供を!」
俺は自分を指差し、次に城壁を示した。
「俺も市民だ! 貴族でも兵士でもない! 最初に俺が一緒に上がる!」
言葉が完全に通じたのかは分からない。
それでも、一人の母親が赤ん坊を抱いて進み出た。
レティシアへ、赤ん坊を差し出す。
「私に?」
「抱いてくれってことだろ」
「どう抱けばいい」
「知らないのか?」
「兵士の訓練にはない!」
仕方なく俺が受け取る。
「首を支えるんだ。たぶん」
「お前も知らないではないか!」
赤ん坊が泣き出した。
張り詰めていた避難民の間から、小さな笑いが起こる。
最初の一組を昇降台へ乗せようとした、そのとき。
人混みから男が飛び出した。
外套の下に短剣を隠している。
「王国の銀狼を殺せ!」
レティシアへ刃が迫る。
彼女は男の腕をつかみ、雪の上へ投げ飛ばした。
首へ剣を突きつけ――途中で止める。
「兵士か?」
男の手首には、隣国軍の紋章が刻まれていた。
男が懐から赤い筒を取り出す。
「止めろ!」
筒から光が打ち上がった。
雪空に、赤い信号が弾ける。
それを合図に、避難民の中から何人もの男が武器を抜いた。
「敵兵だ!」
城壁の上で、王国兵が弓を構える。
「撃つな!」
レティシアが両手を広げ、避難民の前へ立った。
「この中には、武器を持たない者もいる!」
敵兵と王国軍。
その間には、逃げ場のない五百人の市民。
未来で銀狼が味方も避難民も斬り捨てたとされた光景が、今まさに作られようとしていた。




