第五十七話 眠れない銀狼
北部行きの魔導列車には、四人用の寝台があった。
グレイ先生と護衛の捜査官は隣の車両。
ヴィオレッタとミレーヌは眠っている。
けれど、レティシアだけは窓際に座り、外を見張っていた。
「寝ないのか?」
「お前こそ、なぜ起きている」
「揺れるし、車輪がうるさい」
「軟弱だな」
「初めて列車に乗ったんだよ」
レティシアの右手は、ずっと剣の柄に置かれている。
「交代で寝よう」
「必要ない」
「北部に着くまで、あと何時間?」
「七時間だ」
「ずっと起きてる気か?」
「国境へ向かう列車は、二度襲撃されたことがある」
「だから見張るのか」
「私以外に戦える者がいない」
「ヴィオレッタは?」
「眠っている」
「ミレーヌは?」
「眠っている」
「俺は?」
「戦えない」
「そこだけ答えが速いな!」
レティシアは真顔だった。
「なら、俺が異変に気づいたら、お前を起こす」
「お前が気づく前に殺される」
「ひどくないか?」
俺は食事用の金属カップとスプーンを取り出した。
紐で結び、非常扉と窓へ引っかける。
「扉が開いたら、これが落ちる」
「そんなもので襲撃を防げるのか?」
「防ぐんじゃない。起きるためだ」
市場の店で、夜間の泥棒を見つけるために使われていた方法だ。
「俺は戦えないけど、音がしたら叫ぶくらいはできる」
「叫んだあとに殺されるぞ」
「その前に起きて助けてくれよ」
「どこまで他人任せなんだ……」
レティシアは呆れたあと、寝台を見た。
「一時間だけだ」
「朝まで寝ていいぞ」
「一時間だ。身体へ触れるな」
「分かってる」
彼女は剣を抱いたまま、横になった。
目を閉じても、しばらく呼吸が浅い。
廊下で足音がするたび、瞼が開く。
「アルト・レイン」
「何だ?」
「そこにいるか?」
「いるぞ」
「……そうか」
それから少しして、ようやく寝息が聞こえ始めた。
◇
夜中に列車が大きく揺れた。
寝台から身体を起こしたレティシアが、隣に座る俺の肩へ倒れてくる。
反射的に支えようとして、手を止めた。
触るなと言われている。
けれど、彼女の方から俺の袖をつかんだ。
「行くな……」
眠ったまま、指へ力が入る。
「母様……私も、連れていって……」
普段の銀狼からは想像できない、幼い声だった。
「アルト」
いつの間にか、ヴィオレッタが目を覚ましていた。
「これは違うぞ」
「まだ何も言っていないわ」
「ものすごく怖い顔してる」
ヴィオレッタは溜息をつくと、自分の毛布をレティシアへ掛けた。
「起こさないように」
「怒らないのか?」
「眠ることすら誰かに許されなければできないのでしょう」
ヴィオレッタが小声で言う。
「その苦しさは、少しくらい分かるわ」
俺は動かず、レティシアが自分から袖を離すまで待った。
◇
朝。
目を覚ましたレティシアは、自分が俺の肩へ寄りかかっていることに気づいた。
飛び退き、剣を半分抜く。
「なぜ起こさなかった!」
「眠れてたから」
「何か聞いたか?」
「魔狼は耳の後ろを撫でると喜ぶ」
「それは昨日聞いた話だ!」
「じゃあ何も聞いてない」
「その顔は嘘だ! 忘れろ!」
「お前、すぐ忘れろって言うな」
向かいの寝台で、ミレーヌが微笑んでいる。
ヴィオレッタは、なぜか俺の肩を布で念入りに拭いていた。
◇
列車は昼前に、北部最大の城塞都市ノルドグレンへ到着した。
雪に覆われた駅には、ヴァルハルト家の兵士たちが並んでいる。
隊長がレティシアの前へ跪いた。
「ご帰還をお待ちしておりました、レティシア様」
「ガルム教官は?」
「まだ白牙砦へは到着しておりません」
俺たちより先に出発したはずなのに。
「侯爵閣下からの命令です。レティシア様お一人で、直ちに白牙砦へ向かっていただきます」
「同行者は王国の現地調査団だ」
「砦へ入れるなと、厳命されています」
兵士たちが俺たちを囲む。
レティシアは父親の命令書を受け取り、しばらく見つめた。
そして、俺たちの前へ立つ。
「この者たちは、私の仲間だ」
ヴィオレッタが驚いた顔をした。
ミレーヌも目を見開く。
きっと俺も同じ顔をしていた。
「仲間を置いて、私だけで行くつもりはない」
生まれたときから命令に従ってきた銀狼が、初めて故郷の兵士たちへ背いた。




