第五十八話 銀狼の父
「仲間を置いて、私だけで行くつもりはない」
レティシアの宣言に、兵士たちが動揺した。
「しかし、侯爵閣下のご命令です」
「王国捜査局の現地調査を妨げるおつもり?」
ヴィオレッタが捜査令状を広げる。
「この件には、学園の生徒を狙った大量殺人計画が関わっているわ。北部軍だけで処理することは認められません」
「ですが、砦の軍権はヴァルハルト家に――」
「ならば侯爵閣下へ、直接確認しましょう」
公爵令嬢と辺境の兵士たちが睨み合う。
やがて隊長が折れた。
「……城塞本部まで、ご同行ください」
◇
ノルドグレンの中央には、黒い石で造られた城があった。
飾りはなく、窓は小さい。
貴族の屋敷というより、巨大な要塞だ。
謁見室で待っていたのは、白髪交じりの大男だった。
右脚を戦争で失ったのか、鉄製の義足を使っている。
「戻ったか、後継者」
オスヴァルト・ヴァルハルト侯爵。
レティシアの父親は、娘ではなく役職を呼ぶように言った。
「帰還命令に従い、参上しました」
「腕を負傷したと聞いた」
「任務に支障はありません」
「同じ魔獣へ二度噛まれたそうだな」
レティシアの肩が強張る。
「一度目は生徒を、二度目は子供を守るためです」
俺が言うと、侯爵の目がこちらへ向いた。
「誰だ」
「アルト・レインです」
「市民枠……ガルムの報告にあった少年か」
「どんな報告ですか?」
「お前が後継者を惑わせ、命令へ背かせたと」
「命令に従ってたら、子供が死んでました」
「指揮官は一人を救うため、百人を危険へさらしてはならない」
「でも、あそこに百人はいませんでした。幻影だけです」
「アルト!」
レティシアが止める。
侯爵は怒るでもなく、俺をじっと見た。
「状況を見ず、命令だけを守る者も指揮官ではない――そう言いたいのか」
「難しいことは分かりません。でも、あのとき助けに行ったレティシアは間違ってないです」
長い沈黙が落ちた。
「無礼ですが、嘘は言っていません」
ヴィオレッタが付け加える。
「それで、ガルムはどこにいる」
侯爵が尋ねた。
「白牙砦へ向かった記録があります。しかし、到着していません」
グレイ先生が、血の付いた包帯と白百合の手紙を差し出す。
「レティシアを孤立させ、北部へ連れ戻すよう命じられていました」
侯爵は手紙へ目を通しても、表情を変えなかった。
「証拠としては不自然すぎる。ガルムを犯人に見せるため、残された可能性もある」
「私も、そう思います」
レティシアが答える。
「だが、無実だと決める証拠にもならない」
父親の言葉に、彼女が顔を上げた。
「六日前、ガルムから軍用通信が届いた。白牙門の継承装置に異常があるため、お前を一人で寄越せとな」
「それで、帰還命令を?」
「ああ」
侯爵は机の上へ、白牙砦の図面を広げた。
「白牙門は、ヴァルハルト家の血を継ぐ者にしか開けられない。私か、お前の手が必要だ」
「擬態魔法では?」
「姿と声を写しても、血統魔法までは再現できん」
だから、レティシア本人を北部へ呼び戻した。
一人で。
「ガルム教官が犯人なら、レティシアを門の鍵として使うつもりです」
ミレーヌの顔が青ざめる。
「直ちに白牙砦へ部隊を送る」
侯爵が命令を出そうとした、そのとき。
部屋の通信結晶が赤く輝いた。
『緊急報告! 白牙門の外へ、隣国から五百名を超える避難民が到着!』
「隣国から?」
『国境付近の村が魔獣に襲われたとのことです! 日没後には猛吹雪となります!』
「門を開けるな」
侯爵が即答した。
『しかし、このままでは避難民が凍死します!』
「敵兵が紛れている可能性がある。検査が終わるまで通すな」
未来の本に書かれていた。
レティシアは白牙門を開き、敵兵を招き入れた。
今、同じ選択が彼女の前へ用意されようとしている。
レティシアは、震える左手を強く握りしめていた。




