第五十六話 銀狼の帰る場所
ガルム教官が残した通行記録には、行き先が記されていた。
『北部国境――白牙砦』
その名前を見た瞬間、背中に冷たいものが走った。
未来の本に書かれていた。
『銀狼レティシアは白牙門を開き、敵兵七千を王国へ招き入れた』
北方戦争が始まった場所。
世界大戦へ繋がる、二つ目の火種だ。
「どうしたの、アルト?」
ヴィオレッタが俺の顔を覗き込む。
「顔色が悪いわ」
「白牙砦に行かせちゃ駄目だ」
「誰を?」
「ガルム教官も、レティシアも」
レティシアの表情が険しくなる。
「なぜ私まで?」
「分からない。でも、その場所は危ない」
「根拠になっていない」
「俺だって、うまく説明できない。でも――」
「アルトの勘を証拠にはできないわ」
ヴィオレッタはそう言ってから、通行記録を手に取った。
「ただし、ガルム教官が白牙砦へ向かった理由は調べるべきね」
「私は今夜、北部へ戻る」
レティシアが告げた。
「父から帰還命令が届いた。ガルム教官が犯人であろうとなかろうと、北部軍の問題だ」
「一人で行くのか?」
「当然だ」
「白百合の手紙には、お前の繋がりを断てって書いてあっただろ」
「それが何だ」
「一人で行ったら、相手の思いどおりじゃないか」
レティシアは答えなかった。
「孤独にしてから心を壊す。それは私に使われた手口よ」
ヴィオレッタが、レティシアの前へ立つ。
「同じことをされていると分かっていて、見送るつもりはないわ」
「北部は学園ではない。吹雪も、魔獣も、敵兵もいる。お前たちが来れば足手まといになる」
「だから置いていく、か?」
俺が尋ねる。
「守るためだ」
「勝手に守られる側にするなよ」
「お前は戦えない!」
「戦えなくても、そばにはいられる」
「それが危険だと言っている!」
「なら危なくなったら、ちゃんと助けてくれ」
「なぜ私が!」
「俺より強いから」
「この馬鹿……!」
レティシアが額を押さえる。
「私も参ります」
ミレーヌが言った。
「白百合は、私の名前と善意も利用しました。無関係ではありません」
「お前まで何を言っている。戦場へ花でも配るつもりか?」
「治癒魔法が使えます。それに、エヴァレット家は北部との外交を担当しています」
「危険を理解していない」
「あなたが強いからといって、私が何をするかまで決める権利はありません」
ミレーヌは、まっすぐレティシアを見た。
「助けるという言葉で、相手の意思を奪ってはいけないのでしょう?」
レティシアは返す言葉を失った。
以前のミレーヌなら、彼女を危険から遠ざけようとしたはずだ。
けれど今は、一緒に危険へ向き合うことを選んでいる。
◇
「学生だけで国境へ行かせるわけにはいきません」
グレイ先生は最初、きっぱりと反対した。
しかし、ガルム教官の出国許可証が偽造されていたことが判明した。
王国捜査局も、白百合との関係を調べる必要があると判断する。
その日の夕方には、グレイ先生を責任者とする現地調査の許可が下りた。
ヴィオレッタはローゼンベルク家の監査代表。
ミレーヌはエヴァレット家の外交補佐。
俺は事件の当事者兼、学園の市民代表。
「最後だけ、無理やりじゃないか?」
「他に肩書がなかったのよ」
ヴィオレッタが呆れたように言った。
「市民代表なら、もっと賢いやつがいるだろ」
「賢い方は、国境へ行こうなどとは言わないわ」
「なるほど」
「納得しないでください、アルトさん」
◇
夜。
俺たちは北部行きの魔導列車へ乗り込んだ。
窓の外で、王都の明かりが少しずつ遠ざかっていく。
「今なら、まだ次の駅で降りられる」
向かいに座るレティシアが言った。
「お前は?」
「私は降りない」
「じゃあ俺も降りない」
「答えになっていない」
「難しく考えても、変わらないからな」
隣では、ヴィオレッタが俺の外套を直している。
「北部に着いたら、絶対に単独行動をしないこと」
「分かってる」
「レティシアについていけば安全、などと考えないで」
「なぜ私を見る、黒薔薇」
「あなたが一番、この馬鹿を連れ回しそうだからよ」
「頼まれても断る」
二人が睨み合う。
ミレーヌが困ったように笑った。
列車は王都を離れ、雪の降る北へ走っていく。
その先にあるのは、未来で銀狼が開いた国境の門。
今度こそ、あの本に書かれた二つ目の未来を止めなければならない。




