第五十三話 銀狼を育てた男
作戦は、学園長と王国捜査局に許可された。
「演習を予定どおり行うと発表します」
会議室で、ヴィオレッタが説明する。
「ただし、一般生徒は参加させません。会場には幻影で作った生徒を配置し、捜査官を隠しておきます」
「魔獣舎は?」
「檻を空にします。犯人が仕掛けを動かしたところで拘束するわ」
「それでは囮だと見抜かれる」
低い男の声が、会議室へ響いた。
軍服姿の大男が入ってくる。
右目から顎にかけて長い傷があり、両手には白い手袋をしていた。
レティシアが立ち上がる。
その動きは、剣を突きつけられたように速かった。
「ガルム教官」
「久しいな、候補生レティシア」
ガルム・ハーケン。
国境防衛演習の最高責任者であり、元北方軍の大佐。
レティシアへ剣を教えた人物だという。
「魔獣をすべて移せば、犯人は会場の気配で気づく。数頭は残すべきだ」
「生徒の安全が最優先です」
ミレーヌが反論する。
「安全な訓練に意味はない」
「今回は訓練ではなく、犯人を捕らえるための作戦よ」
ヴィオレッタも譲らない。
「ならば、なおさら本物を用意しろ。敵を騙すには、味方にも危険を負わせる覚悟が必要だ」
ガルム教官はレティシアへ近づくと、包帯の巻かれた右腕をつかんだ。
血が滲む。
それでもレティシアは、表情を変えなかった。
「負傷したのか」
「問題ありません」
「痛むか?」
「痛みはありません」
「嘘だろ」
俺が口を挟むと、レティシアの顔が強張った。
「黙れ、アルト・レイン」
「傷が開いてるぞ」
「黙れと言った!」
怒鳴っているのに、その目は俺へ何かを訴えていた。
ガルム教官が俺を見下ろす。
「市民枠か。候補生を堕落させているのは、お前だな」
「怪我したら痛いって言うのが、堕落なんですか?」
「兵士は痛みで任務を止めない」
「でも、こいつは学園の学生です」
「レティシアは、生まれたときから北部を守る兵器だ」
「兵器じゃない。人間だろ」
会議室が静まり返った。
ガルム教官の目が、細くなる。
「戦場を知らぬ者ほど、綺麗な言葉を口にする」
「戦場なら知ってます」
言い返してから、しまったと思った。
ヴィオレッタが俺を見る。
「どこで知った?」
「……本で読んだんです」
「では、実際の戦場を見てから語ることだ」
未来の焼け跡を説明することはできない。
俺は拳を握り、黙るしかなかった。
◇
結局、魔獣は毒牙を抜いた二頭だけ残し、檻の周囲へ捜査官を配置することになった。
囮役はレティシア。
俺とヴィオレッタ、ミレーヌも、幻影の生徒に交じって待機する。
「アルトを外してください」
レティシアが言った。
「戦闘能力がない。足手まといです」
「自分が危険だからって、遠ざけようとしてないか?」
「違う」
「なら、目を見て言えよ」
レティシアは俺を見なかった。
「アルトは参加します」
ヴィオレッタが決定した。
「ただし、絶対に私のそばを離れないこと」
「分かった」
「その返事は信用できないわね……」
◇
会議のあと、レティシアは一人で廊下を歩いていた。
「さっき、どうして痛くないって嘘をついたんだ?」
「教官の前で、痛みを認めることは許されない」
「なんで?」
「幼いころ、泣かなくなるまで訓練された」
彼女は淡々と答えた。
「吹雪の中で手首を縛られ、一晩放置されたこともある。拘束から抜け出す訓練だ」
あの古い傷痕の理由。
「それを、ガルム教官が?」
「あの方の訓練がなければ、私は国境で死んでいた」
「生き残れたなら、痛くなかったことになるのか?」
レティシアの足が止まった。
「……ならない」
消えそうな声だった。
「でも、役に立ったのなら耐えるべきだった」
「つらかったって言うくらい、いいだろ」
「言えば、弱くなる」
「なら俺の前だけで言えよ」
「なぜ、お前に」
「俺は教官じゃないから」
レティシアは何も答えず、再び歩き出した。
ただ、別れ際に一度だけ振り返る。
「明日の作戦では、ガルム教官に逆らうな」
「どうして?」
「あの方は、弱い兵士を決して許さない」
警告しているはずなのに。
その顔は、自分ではなく俺の身を恐れているように見えた。




