第五十二話 三分間だけ消えた鍵
「ミレーヌ。その鍵を見せてくれ」
白百合の手紙を調べていたヴィオレッタが、顔を上げた。
「アルト。証拠を勝手に触らないで」
「触らないと見えないんだよ」
ミレーヌから鍵を受け取り、歯の部分を爪で擦る。
薄い青色の欠片が落ちた。
「これは、蝋か?」
「ええ。平和交流会で使った青い蝋燭と同じ色です」
「鍵の型を取られてる」
三人の視線が俺へ集まった。
「どうして分かるの?」
「市場じゃ、たまにあるんだよ。盗みたい店の鍵を温めた蝋に押しつけて、合鍵を作るんだ」
「随分と治安の悪い場所で育ったのね」
「だから市民寮の鍵は大事なんだって」
ヴィオレッタは鍵を布で包み、光へかざした。
「確かに溝の奥にも蝋が残っている。ミレーヌ、この鍵を手放したことは?」
「ありません。ですが……」
ミレーヌが顔を曇らせる。
「交流会で、具合を悪くした少女を治療しました。その間だけ、奉仕会の方へ上着を預けました」
「鍵は上着の内側か?」
「はい」
「どれくらいだ」
レティシアの問いに、ミレーヌは記憶を探る。
「三分ほどだったと思います」
「十分だな」
◇
俺たちは、交流会が開かれた講堂へ向かった。
壇上には、青い蝋燭がまだ何本か残っている。
「上着を預けた相手を覚えていますか?」
グレイ先生が尋ねる。
「白い手袋をした女性です。奉仕会の方だと思い込んでいました」
「顔は?」
「薄い布で隠れていました。治療を急いでいたので、よく見ていません」
壁に貼られた参加者名簿を確認する。
教師、学生、使用人。
合計四十二人。
その中で、一人だけ聞き覚えのない名前があった。
『エルザ・マイン――北門外、水車通り十二番』
「この住所は存在しない」
レティシアが言った。
「分かるのか?」
「水車通りは十年前の魔獣襲撃で失われた。今は北部戦没者墓地だ」
「死んだ町の住所を使ったのか」
「北部の事情を知らない者なら、気づかないと思ったのでしょうね」
ヴィオレッタが名簿を調べる。
「署名の最後が下へ流れているわ。ミレーヌの署名を偽造した者と、同じ筆癖よ」
「では、このエルザという方が?」
「名前も偽物でしょう」
講堂の隅には、交流会で使った道具を入れる箱が積まれていた。
俺が青い蝋燭の箱を持ち上げると、底から小さな蝋の塊が転がり落ちる。
中央には、鍵を押しつけた跡が残っていた。
「これだ!」
ミレーヌの鍵を重ねる。
形がぴったりと一致した。
「型を取ったあと、捨て忘れたのね」
「いや」
レティシアが蝋を割った。
内側から、折り畳まれた薄い紙が出てくる。
「隠してあった」
紙に描かれていたのは、国境防衛演習の会場図だった。
魔獣舎。
救護所。
三つの避難門。
そのすべてに、赤い印が付けられている。
『第一避難門――混乱後に封鎖』
『魔獣舎――第二警鐘と同時に全檻解放』
『氷刃の痕跡を残し、銀狼の命令として処理』
最後の行を読み、背中が冷たくなった。
『想定負傷者、五十名以上。死者が出れば、なお望ましい』
「演習を中止させましょう!」
ミレーヌが叫ぶ。
「駄目だ」
レティシアは会場図を握りしめた。
「中止しても、犯人は別の場所で同じことをする」
「ですが、生徒を危険にさらすわけには――」
「なら、一般生徒を参加させずに犯人だけを誘き出す」
ヴィオレッタが地図を机へ広げた。
「相手はまだ、この計画書を私たちが見つけたと知らない。こちらが何も気づいていないと思わせれば、必ず仕掛けに来るわ」
「罠を張るのか?」
「ええ。ただし、学園と捜査局の許可が必要よ」
レティシアが、赤い印の付いた避難門を見つめる。
「私を囮にしろ」
「駄目だ」
考えるより先に声が出た。
「これは私に罪を着せる計画だ」
「だからって、一人で立つ必要はないだろ」
「またそれか」
「何度でも言う」
レティシアは俺を睨んだ。
けれど以前のように、短剣へ手を伸ばすことはなかった。
「勝手にしろ、アルト・レイン」
「協力していいってことか?」
「勝手にしろと言った」
それが銀狼なりの、助けを求める言葉なのだと少しずつ分かってきた。




