第四十九話 白鳩の聖女
「レティシア・ヴァルハルト」
管理教師が厳しい声で呼んだ。
「調査が終わるまで、武器を預かります」
訓練場がざわめく。
ヴァルハルト家だけが使える剣術で、魔狼の檻が破られていた。
疑われるのは当然かもしれない。
「了解した」
レティシアは言い訳もせず、二本の剣を教師へ差し出した。
「待ってください」
澄んだ声が、訓練場に響いた。
淡い金髪を三つ編みにした少女が、眠る魔狼のそばに膝をついている。
白を基調とした制服。
胸元には、平和を表す白鳩の飾り。
「ミレーヌ・エヴァレット様だ」
「白鳩の聖女……」
外務を担うエヴァレット侯爵家の令嬢。
入学式で称賛されていた、七人の聖女の一人だ。
ミレーヌが魔狼の首へ手を当てると、淡い光が傷を包んだ。
「この魔狼は、檻が開く前から興奮させられています。体内に刺激薬が残っています」
「では、何者かが意図的に?」
「その可能性があります。それに、北方氷刃術は、ヴァルハルト家の人間でなくても再現できます」
レティシアが鋭く振り返る。
「何を知っている?」
「魔法の媒介となる氷狼石を使えば、一度だけ同じ切断痕を作れると聞きました」
「誰からだ」
「父です。北部との和平交渉で、実物を見たことがあると」
管理教師の顔色が変わる。
「学園の軍事資料館にも、氷狼石が保管されているはずだ」
「確認させます!」
教師の一人が走り去った。
「だから、レティシア様が犯人だと決めつけるのは早いと思います」
ミレーヌは立ち上がり、レティシアの負傷した腕へ近づいた。
「傷を治しますね」
白い光を宿した手が伸びる。
その瞬間、レティシアが激しく払い除けた。
「触るな!」
ミレーヌが尻餅をつく。
周囲から非難の声が上がった。
「助けようとしてくださったのに!」
「聖女様へ、なんてことを……」
「やはり銀狼は礼儀も知らないのか」
「違う」
俺は二人の間に入った。
「レティシアは、触られるのが嫌なんだ」
「アルトさん……?」
「治す前に聞いた方がいい。腕に触っていいかって」
「ですが、血が……」
「怪我してても、こいつの腕だろ」
ミレーヌは驚いた顔をした。
それから、レティシアへ深く頭を下げる。
「申し訳ありません。助けたい気持ちばかりで、あなたの意思を考えていませんでした」
周囲が静まり返った。
言い訳もせず謝れるのなら、ミレーヌは本当に善良な少女なのだろう。
「改めて伺います。治癒魔法を使ってもよろしいですか?」
「断る」
「分かりました」
ミレーヌは悲しそうに微笑んだが、それ以上近づかなかった。
「随分と聞き分けがいいのね、聖女様」
レティシアの声には棘があった。
「あなたに嫌われても、無理に触れたくはありませんから」
「そうか」
二人の間には、俺の知らない何かがある。
ミレーヌはレティシアを助けようとしている。
けれど、その優しさを向けられるほど、レティシアの表情は硬くなっていた。
◇
やがて、軍事資料館から報告が届いた。
「展示されていた氷狼石が、一つなくなっています」
訓練場に緊張が走る。
レティシア以外にも、封印を切れた人間がいる。
「それでも、疑いが晴れたわけではありません」
管理教師が告げた。
「調査終了まで、レティシアの指揮権を停止します。代わりにヴィオレッタが班を率いてください」
「私が?」
「ローゼンベルク公爵令嬢には、住民避難を成功させた実績があります」
ヴィオレッタは少し考え、レティシアを見る。
「彼女を班から外すつもりはありません」
「黒薔薇、同情なら不要だ」
「勘違いしないで。あなたが犯人でないと決まったわけではないもの」
「なら、なぜ庇う?」
「家の紋章や魔法だけで罪を着せられる苦しさを、知っているからよ」
レティシアが言葉を失った。
「嫌いな相手だからこそ、証拠で判断するわ」
「……相変わらず、可愛げがないな」
「あなたにだけは言われたくないわ」
二人は睨み合ったまま、どちらも目を逸らさなかった。
まだ仲間とは呼べない。
それでも黒薔薇は、銀狼を一人で疑いの中へ置き去りにはしなかった。
誰かが引いた、悪女同士を争わせるための線。
その上に、初めて小さな亀裂が入った。




