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第四十八話 触ってもいいか

 短剣の先が、俺の喉に触れている。


「アルトから刃を離しなさい」


 ヴィオレッタの足元から、黒薔薇のつるが伸びた。


「黒薔薇。邪魔をするな」


「私の相棒に剣を向けられて、黙っていられると思う?」


「こいつが近づかなければいい」


「分かった。近づかない」


 俺が両手を上げて一歩下がると、レティシアが意外そうな顔をした。


「なら、これだけ受け取れ」


 救急箱から包帯を出し、彼女の足元へ投げる。


「必要ないと言ったはずだ」


「お前がそう言っても、血は止まらないだろ」


 レティシアは短剣を収め、包帯を拾った。


 片手と口を使って巻こうとするが、噛まれた右腕から血が流れ続けている。


 うまく結べない。


「……貸せ」


「近づくな」


「じゃあ、自分で巻けよ」


「巻いている」


「全然巻けてないぞ」


 レティシアが俺を睨む。


 ヴィオレッタが呆れたように息を吐いた。


「喧嘩をしている間にも出血しているわよ」


「じゃあ、聞く」


 俺はレティシアを見る。


「腕だけなら、触ってもいいか?」


「……何?」


「勝手に触られるのが嫌なんだろ。だから聞いてる」


 彼女の瞳が揺れた。


「なぜ、私の許可が必要なんだ?」


「お前の腕だから」


 そんな当たり前のことを、どうして聞き返すのだろう。


 長い沈黙のあと、レティシアが短剣から手を離した。


「腕だけだ」


「ああ」


「妙な動きをすれば、斬る」


「包帯を巻くだけで、どんな妙な動きができるんだよ」


 ゆっくり近づき、傷口へ布を当てる。


 彼女の身体が大きく震えた。


「痛かったか?」


「痛みはない」


「嘘だな」


「兵士にとって、この程度は傷ではない」


「でも今は兵士じゃなくて、学園の学生だろ」


「私は生まれたときから兵士だ」


 包帯を巻くために袖を上げる。


 その腕には、魔狼に噛まれた傷とは別の古い傷痕きずあとがいくつも残っていた。


 手首を一周する、白い痕。


 何かで長く拘束こうそくされていたような傷だ。


 レティシアが、俺の視線に気づく。


「何も聞かないのか?」


「聞いてほしいのか?」


「……いや」


「なら、聞かない」


「変なやつだな」


「よく言われる」


 包帯を結ぶと、ヴィオレッタが横から覗き込んだ。


「緩すぎるわ。それでは止血できない」


「じゃあ、どれくらいだ?」


「指が一本入る程度よ。貸しなさい」


 ヴィオレッタが手を伸ばすと、レティシアの左手が短剣へ動いた。


 けれど、途中で止まる。


「……黒薔薇も、腕だけだ」


「分かっているわ」


 二人で包帯を巻き直す。


「なんか、仲よくなったみたいだな」


「違うわ」


「違う」


 また同時だった。


     ◇


「大変です!」


 訓練場の管理教師が駆けてきた。


「魔狼のおりは、事故で開いたのではありません。封印が刃物で切断されています!」


 周囲がざわめく。


「誰かが故意こいに放したのか?」


「ですが、あの封印は普通の剣では切れません」


 教師が持ってきた鎖には、細く凍った切断面が残っていた。


 レティシアの顔が強張る。


北方氷刃術ほっぽうひょうじんじゅつ……」


「お前の家の技なのか?」


「ヴァルハルト家の者だけが使う剣術だ」


 学生たちの視線が、レティシアへ集まった。


「では、彼女が魔狼を?」


「自分で放して、自分で倒したのではないか?」


「功績を作るために……」


 レティシアは否定しなかった。


 何も言わず、血のついた剣をさやへ戻す。


「違うだろ」


 俺が言うと、彼女が振り返った。


「何を根拠に?」


「魔狼に『怖かったな』って言ってただろ」


 レティシアの顔色が変わる。


「あれを聞いていたのか?」


「ああ」


「忘れろ」


「なんでだよ。優しい声だったのに」


「今すぐ忘れろ!」


 初めて、彼女の無表情が崩れた。


 けれど俺には分かっていた。


 魔狼を怖がらせたくないと思う少女が、わざと檻から放すはずがない。


 誰かがヴァルハルト家の剣術を使い、銀狼へ新しい罪を着せようとしていた。

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