第四話 黒薔薇の借り
入学式が終わると、生徒たちは講堂の外に張り出された名簿へ殺到した。
「アルト、俺たちは一年一組だ!」
先に名前を見つけたニールが、大声で俺を呼ぶ。
「一緒の組か。よかった」
「喜ぶのはまだ早いぞ。ほかの名前も見てみろ」
言われたとおり、名簿を上から確認する。
王子。
公爵家の令嬢。
侯爵家の子息。
有力な商家の跡取り。
その中に、市民である俺とニールの名前が混ざっていた。
「ヴィオレッタも同じ組だな」
「呼び捨てにするな!」
ニールが慌てて俺の口を塞ごうとする。
「ずいぶん騒がしいと思えば、市民枠か」
背後から声をかけられた。
振り返ると、金色の飾りを胸につけた男子生徒が立っていた。その後ろには、取り巻きらしい二人がいる。
「お前、一年一組だな?」
「ああ」
「ちょうどいい。私の荷物を教室まで運べ」
男子生徒が指した先には、大きな革製の鞄が二つ置かれていた。
「自分で持てばいいだろ」
周囲が静まり返った。
ニールの顔から血の気が引いていく。
「き、貴様……私が誰か分かっているのか?」
「知らない」
「またそれか!」と、ニールが頭を抱えた。
男子生徒の顔が真っ赤になる。
「下級市民の分際で、貴族に逆らうつもりか!」
「学生は学生じゃないのか?」
「市民枠は、我々から礼儀を学ばせてもらう立場だ!」
「荷物を持つのが礼儀なのか?」
「口答えをするな!」
男子生徒が俺の胸ぐらへ手を伸ばした。
その手が触れる直前、冷たい声が響いた。
「その者には、わたくしが先に用を命じています」
人混みが左右に分かれる。
現れたのは、ヴィオレッタだった。
男子生徒はすぐに手を引っ込め、深く頭を下げる。
「ろ、ローゼンベルク公女様……」
「わたくしの用を遅らせてまで、その荷物を運ばせるおつもりですか?」
「滅相もございません!」
「でしたら、ご自分でお運びなさい」
「は、はい!」
先ほどまでの威勢は消え、男子生徒は二つの鞄を抱えて逃げていった。
取り巻きたちも慌てて後を追う。
ヴィオレッタは俺を一度だけ見て、そのまま歩き始めた。
「何をしていますの。来なさい」
「ああ」
「お前、本当に行くのか?」
ニールが小声で尋ねてくる。
「用があるらしいからな」
「生きて教室まで来いよ……」
ずいぶんな見送られ方をされた。
俺はヴィオレッタの後を追い、人気のない廊下へ入った。
「それで、用ってなんだ?」
「ありません」
ヴィオレッタは前を向いたまま答えた。
「ないのか?」
「そのくらい察しなさい」
「何を?」
ヴィオレッタが足を止める。
振り返った彼女は、信じられないものを見るような顔をしていた。
「あなた、今のままではいつか退学させられますわよ」
「俺は何もしてないぞ」
「貴族に口答えをしたでしょう」
「間違ったことは言ってない」
「正しいことを言えば、誰もが納得するとでも?」
「しないのか?」
「しません」
即答だった。
「身分の低い者が正しさを口にすれば、それを恥だと感じる者もいます。あなたはもう少し、自分の立場を理解なさい」
「それを教えるために助けてくれたのか?」
「助けたのではありません」
ヴィオレッタが顔をそらす。
「手袋を拾っていただいた借りを返しただけです」
「そっか。ありがとう」
「……どうして笑うのです?」
「いや。やっぱり、噂と違うと思ってさ」
「何のお話ですの?」
「ヴィオレッタは、思ってたより優しいんだな」
銀色の瞳が大きく見開かれた。
「なっ……!」
ヴィオレッタの頬が、わずかに赤くなる。
「気安く名前を呼ばないでください!」
「じゃあ、なんて呼べばいい?」
「公女様です!」
「分かった、ヴィオレッタ公女様」
「分かっていませんわ!」
怒鳴りながら、ヴィオレッタは再び歩き出す。
やがて一年一組の教室へ着いた。
黒板には、学園側が決めた座席表が張られている。
今年から始まる身分交流制度により、異なる身分の生徒同士が隣り合うよう決められていた。
俺は自分の名前を探した。
その隣に書かれた名前を見て、思わず声が出る。
「隣、ヴィオレッタだな」
「……どうして、よりにもよってあなたなのですか」
黒薔薇公女は、入学初日で一番深いため息をついた。




