第三話 七人の悪女と七人の聖女
ヴィオレッタは、それ以上何も言わずに歩き去った。
黒い手袋を胸元に抱えたまま、一度も振り返らない。
「アルト……」
背後から、震える声が聞こえた。
「どうした、ニール?」
「どうしたじゃない! 公爵令嬢に向かって『お前』って言ったよな!?」
「名前を知らなかったからな」
「名前を知っていても駄目だ!」
ニールに腕を引かれ、俺たちは大急ぎで校舎へ向かった。
「ヴィオレッタって、そんなに怖いのか?」
「社交界で《黒薔薇公女》と呼ばれている人だぞ。逆らった使用人は屋敷から消えるって噂だ」
「消える?」
「ほかにも、婚約を申し込んだ貴族を決闘で再起不能にしたとか、自分を笑った令嬢の家を没落させたとか……」
「直接見たのか?」
「見てないけど、有名な話だ」
「じゃあ、本当かどうか分からないだろ」
ニールが足を止めた。
「お前……怖くないのか?」
「怖いさ」
ただ、戦場で見たものに比べれば、十五歳の少女ににらまれるくらいは何でもない。
それに、あの本に書かれていた。
彼女たちは本当は心優しい少女だった、と。
まだ信じたわけではない。
けれど、ヴィオレッタが本当に噂どおりの人間なら、俺が手袋を拾った礼など尋ねなかったはずだ。
「怖いけど、それだけで悪いやつだと決めるのは違うだろ」
「俺はお前の方が怖くなってきたよ……」
俺たちは入学式が行われる大講堂へ駆け込んだ。
天井には巨大な魔石灯が並び、正面の壇上には王家の紋章が掲げられている。
座席も身分ごとに分けられていた。
王族と大貴族は最前列。
下級貴族と有力商家は中央。
俺たち市民枠は、一番後ろだった。
「同じ入学式なのに、遠すぎないか?」
「声が聞こえるだけありがたいと思え」
ニールと並んで座った俺は、前方へ目を向けた。
ヴィオレッタは、最前列の左端に座っていた。
彼女の周囲だけ、不自然なほど席が空いている。
だが、孤立している少女はヴィオレッタだけではなかった。
燃えるような赤髪の少女。
淡い青髪で、誰とも目を合わせない少女。
扇子で口元を隠し、笑みを浮かべる少女。
祈るように両手を組んだ、白髪の少女。
軍服に似た制服を着崩した少女。
そして、顔の半分を黒い布で覆った少女。
七人全員が離れた場所に座り、誰とも話していなかった。
「あれが……」
「ああ。今年入学する七人の悪女だ」
ニールが声を落とす。
「全員、国を動かせるほどの家の娘だ。あの人たちが同じ学年に集まるなんて、学園始まって以来だってさ」
焼け焦げた本に記されていた七人。
今はまだ、誰も殺していない。
国も滅ぼしていない。
ただ周囲から恐れられ、一人で座っている少女たちだった。
その直後、講堂の中央から歓声が上がった。
「七聖女の皆様よ!」
「やっぱり、お美しいわ」
入ってきたのは、華やかな七人の少女だった。
彼女たちが歩くだけで、生徒たちが笑顔になる。
先頭にいるのは、蜂蜜色の髪をした少女だった。
通路で困っていた市民枠の女子生徒に気づき、自ら席まで案内している。
その姿に、周囲から称賛の声が上がった。
「七聖女って、本物の聖女なのか?」
「違う。優しくて、品行方正な七人を、みんながそう呼んでいるだけだ」
悪女と恐れられる七人。
聖女と慕われる七人。
あまりにも分かりやすく、二つに分けられていた。
『皆が、あの聖――』
焼け落ちていた文章が、頭をよぎる。
あの続きは、聖女だったのか。
だとすれば、七人のうち誰を指していた?
蜂蜜色の髪の少女が、ヴィオレッタに向かってほほ笑んだ。
しかしヴィオレッタは、冷たい顔で視線をそらしてしまう。
その横顔は怒っているようにも、傷ついているようにも見えた。
俺には、まだ何も分からない。
だから、知るしかない。
まずは、あの黒薔薇の少女が、なぜ一人でいるのかを。




