第四十四話 手をつないだ翌日
翌朝。
学園の正門をくぐった瞬間、俺は異変に気づいた。
「なあ、ヴィオレッタ」
「何?」
「ものすごく見られてないか?」
「そうね」
「なんでだ?」
「昨日、あなたと手をつないで校舎を歩いたからでしょう」
「やっぱり、あれが原因か!」
廊下だけではない。
中庭からも、二階の窓からも、学生たちが俺たちを見ている。
「あの市民枠が、黒薔薇公女の手を……」
「公爵家公認の従者らしいぞ」
「いや、弱みを握って脅していると聞いた」
「男子寮で一夜を過ごしたという話も――」
「最後のは違う!」
思わず叫ぶと、さらに注目を集めてしまった。
「一夜は過ごしていないわね」
ヴィオレッタが冷静に補足する。
「部屋には入ったけれど」
「そこだけ言ったら余計にまずいだろ!」
◇
教室へ入ると、机の上に学園新聞が置かれていた。
『黒薔薇公女、真夜中の密会』
大きな見出しの下には、俺の寮の窓から出入りするヴィオレッタの絵が描かれている。
なぜか俺は上半身裸だった。
「俺、ちゃんと服を着てたぞ」
「問題はそこではないわ!」
ヴィオレッタが新聞を握り潰す。
「まあ」
後ろから新聞を覗いたセシリアが、楽しそうに微笑んだ。
「ヴィオレッタは、窓から男性のお部屋へ入るほど大胆だったのですね」
「アルトが閉じ込められていたからよ!」
「お二人きりで?」
「捜査のためよ!」
「手も握ったそうですね」
「孤立誘導計画への対抗策よ!」
「指を絡める必要も?」
「セシリア!」
ヴィオレッタの顔が、耳まで真っ赤になった。
「アルトさん」
「なんだ?」
「お二人は、恋仲になったのですか?」
「違うぞ」
答えた瞬間、ヴィオレッタの靴が俺の脛に突き刺さった。
「痛い!」
「答えるのが速すぎるわ」
「違うものは違うだろ!」
「少しくらい考えなさい!」
「考えたら変わるのか?」
「知りません!」
なぜ怒られたのか、本当に分からない。
セシリアだけが、口元を押さえて笑っていた。
そのとき、新聞部の女子生徒が教室へ駆け込んできた。
「ローゼンベルク様! 一言だけ取材を!」
「お断りします」
「アルト・レインは、あなたの従者なのでしょうか? それとも市民区を味方につけるため、利用しているのですか?」
教室が静かになった。
どうやら俺がヴィオレッタのそばにいることを、そのまま受け入れたくない者がいるらしい。
身分が違いすぎるから。
彼女が悪女と呼ばれているから。
何か裏があるはずだと、勝手に理由を作る。
「どちらでもないわ」
ヴィオレッタが立ち上がる。
「アルトは私の相棒です」
「ですが、市民枠の学生ですよ?」
「知っているわ」
「では、なぜ――」
「私が彼にそばにいてほしいと思ったからよ」
迷いのない声だった。
「誰かに操られたのでも、利用しているのでもない。私自身が選んだの。これ以上の説明が必要?」
記者は何も言えなくなった。
ヴィオレッタは席へ戻ると、小さく息を吐いた。
「今の、記事にされるぞ」
「構わないわ。事実だもの」
「恋仲ではないのも事実だよな?」
また足を踏まれた。
◇
放課後、正門前に黒塗りの馬車が止まっていた。
ローゼンベルク公爵家の家紋が入っている。
老執事が俺へ一通の招待状を差し出した。
「レオポルト公爵閣下より、アルト・レイン様へ。今夜、本邸の晩餐へお越しいただきたいとのことです」
「俺が、公爵家の晩飯に?」
「お嬢様との今後について、直接お話ししたいそうです」
周囲の学生たちが一斉にざわめいた。
「それって、家族への紹介では?」
セシリアの一言で、ヴィオレッタの顔が固まる。
「お父様は、何を考えているの……!」
「俺、断っていいか?」
「駄目よ。逃げたと思われるわ」
「でも貴族の食事作法なんて知らないぞ」
「私が教えます」
「今夜までに?」
「ええ」
「無理だろ」
ヴィオレッタは、俺の腕をつかんだ。
「大丈夫よ。最低限、人間らしく食べられるようにはしてあげる」
「今の俺は何なんだよ!」
こうして退学を免れたその日に、俺は公爵家の晩餐へ出席することになった。
試験不正の審問より、ずっと嫌な予感がしていた。




