第三十七話 聖女への手紙
昼食を終えたあとも、俺はセシリアの横顔を見ていた。
焼け焦げた本に残された、最後の一文。
『皆が、あの聖――』
聖女を信じるな、なのか。
聖女に騙された、なのか。
肝心な部分は、炎に食われていた。
「アルト」
「ん?」
「いつまでセシリアを見つめているの?」
ヴィオレッタが笑顔で俺の足を踏んでいた。
「痛い! 違う、気になっただけだ!」
「それを見つめていたと言うのよ」
「お二人とも、仲がよろしいのですね」
「よくないわ」
「即答するなよ」
セシリアが楽しそうに笑う。
この少女が、未来の戦争に関わっているようには見えない。
けれど、ヴィオレッタだって同じだった。
「なあ、セシリア」
「はい、アルトさん」
「聖女って、誰が言い始めたんだ?」
二人の表情が変わった。
「急にどうしたの?」
「お前たちは七人だろ。それで、悪女と呼ばれてる方も七人だ。偶然にしては、きれいに分かれすぎてないか?」
俺には難しい陰謀なんて分からない。
ただ、数が同じなのが気持ち悪かった。
「聖女という呼び名が広まったのは、二年前です」
セシリアが答える。
「社交界の小さな新聞に、私たち七人を紹介する記事が載りました。『王国を照らす七人の聖女』と」
「その一週間前よ」
ヴィオレッタが低い声で続けた。
「同じ新聞が、私たちを『王国に災いを招く七人の悪女』と呼んだのは」
「同じ新聞?」
「ええ。書いた記者の名前は別だったけれど」
先に悪女を作り、その反対側に聖女を置いた。
まるで最初から、互いに争わせるように。
「そういえば……」
セシリアが菓子缶を抱き直した。
「記事が出てから、私のもとに手紙が届くようになりました」
「どんな手紙?」
「聖女にふさわしい振る舞いを教える、と書かれた手紙です。慈善院への訪問日や、学園で親しくするべき方の名前などが」
「差出人は?」
「分かりません。最初は父が手配した助言だと思っていました」
ヴィオレッタの目が鋭くなる。
「私と関わるなとも書かれていたの?」
セシリアは、しばらく答えなかった。
「……はい」
そして鞄から、一通の封筒を取り出した。
「これは、井戸の公聴会の前日に届いたものです」
中には、たった三行だけ。
『黒薔薇の罪を、公の場で糾弾せよ』
『沈黙は悪への加担である』
『聖女として正しき選択を』
「それで、公聴会に来たのか?」
「はい。ですが、命令に従うためではありません」
セシリアはヴィオレッタを見る。
「今度こそ、自分で確かめるために行きました」
「どうして今まで黙っていたの?」
「悪戯だと思っていました。それに……聖女と呼ばれることで、誰かの役に立てるなら悪いことではない、と」
「実際、良いこともしてたんだろ?」
「はい。手紙に書かれた慈善院は、本当に支援を必要としていました」
全部が嘘ではない。
正しい行いの中に、一つだけ誰かを傷つける命令を混ぜる。
それなら、命令されていることに気づきにくい。
「なるほどね」
ヴィオレッタが手紙を机に置く。
「私を悪女にし続けるには、あなたが聖女でなければならなかったのよ」
「ヴィオレッタ……」
「誰かが、私たちに役を与えている。対立するための役を」
そのとき、一羽の白い小鳥が東屋へ飛び込んできた。
足に、小さな封筒が結ばれている。
セシリアが外すと、小鳥はすぐに飛び去った。
新しい手紙には、一文だけ。
『黒薔薇と食卓を囲む者に、聖女を名乗る資格はない』
誰かが見ていた。
今日、三人で食事をしたことを。
「申し訳ありません。私が一緒にいれば、お二人まで――」
「明日も来なさい」
ヴィオレッタが言った。
「ですが……」
「その呼び名のために友人を捨てるなら、そんなものは聖女ではないわ」
セシリアは手紙を二つに破いた。
「では明日は、ただのセシリアとして参ります」
「ええ。それで十分よ」
「俺もいるからな」
「あなたは間を埋める係でしょう」
「まだその役なのかよ」
二人が同時に笑った。
未来の戦争は、いきなり大砲から始まったのではないのかもしれない。
聖女と悪女。
少女たちに貼られた二つの呼び名。
その間に引かれた、見えない線から始まっていたのだ。




