第三十六話 友達に戻る方法
翌日の昼休み。
俺とヴィオレッタが食堂へ向かうと、廊下の先でセシリアが待っていた。
腕には、小さな菓子缶を抱えている。
「ヴィオレッタ。少し、お時間をいただけませんか?」
「用件によるわ」
「一緒に、お昼を食べたくて」
「断るわ」
返事が速すぎる。
セシリアの笑顔が、ほんの少しだけ曇った。
「おい。そこまで即答しなくても――」
「アルトは黙っていて」
「アルトさん。お願いできますか?」
「私の相棒を味方につけないでちょうだい」
「俺の意見は?」
「却下よ」
「まだ何も言ってないぞ」
二人の間に挟まれた俺を見て、通りすがりの学生たちが足を止める。
「あの市民枠、黒薔薇公女だけでなく、セシリア様とまで……」
「何をすれば、あの二人に名前を覚えられるんだ?」
「命が惜しくないのか?」
俺が知りたい。
どうして昼飯を食うだけで、命の心配をされるんだ。
「ご迷惑なら、今日は帰ります」
セシリアはそう言ったが、菓子缶を抱く指には力が入っていた。
ヴィオレッタはそれを一度見てから、視線を逸らす。
「……その缶は何?」
「レモンの焼き菓子です」
ヴィオレッタの肩がわずかに揺れた。
「昔、エレオノーラ様に教えていただいた作り方で焼きました」
「お母様に?」
「はい。ヴィオレッタは甘すぎるものが苦手だから、皮を多めに入れるように、と」
セシリアが缶を開く。
柑橘の爽やかな香りが、廊下に広がった。
「六年前にも焼いたのです。でも、お渡しできませんでした」
「手紙と同じね」
「はい」
セシリアは言い訳をしなかった。
「渡せなかったのではなく、途中で諦めました。ヴィオレッタが私を拒んでいるのだと思い込んで」
「私は待っていたわ」
「分かっています。今は」
ヴィオレッタの目が細められる。
「今さら友達に戻りたいということ?」
セシリアは少し考えてから、首を横に振った。
「戻れるとは思っていません」
「なら、何がしたいの?」
「もう一度、最初から友達になりたいのです」
廊下の騒がしさが、遠くなった気がした。
「昔のことを、なかったことにはしません。すぐに許していただこうとも思いません。ただ、今のあなたを知る機会をください」
「私は以前より、ずっと性格が悪いわよ」
「存じています」
「……ずいぶん言うようになったわね」
「アルトさんを蹴っているところも見ました」
「見てたのか?」
「誤解よ。軽く触れただけだわ」
「昨日はまだ脛が赤かったぞ」
ヴィオレッタに足を踏まれた。
これは軽くない。
セシリアが、こらえきれないように笑う。
その笑い方を見たヴィオレッタも、一瞬だけ昔の少女のような顔になった。
「……食堂は騒がしいわ」
「では、中庭はいかがですか?」
「日差しが強いもの」
「東屋なら日陰です」
「椅子が硬いわ」
「クッションも持ってきました」
「最初から断らせる気がないでしょう」
「はい」
ヴィオレッタは長く息を吐いた。
「一時間だけよ」
セシリアの顔が明るくなる。
「ありがとうございます!」
「それから、アルトも同席しなさい」
「俺も?」
「沈黙したときに困るでしょう」
「俺を何だと思ってるんだ」
「間を埋める係よ」
「もう少し格好いい役をくれよ」
◇
東屋の机には、三人分の昼食と焼き菓子が並んだ。
最初の十分は、ひどいものだった。
「いい天気ですね」
「そうね」
「井戸の調子はいかがですか?」
「順調よ」
「そうですか」
会話が死んだ。
二人の視線が俺に集まる。
「本当に俺が埋めるのかよ……」
仕方なく焼き菓子を一つ取る。
「うまい。でも、ヴィオレッタの好きなタルトには負けるな」
「なっ――」
「ヴィオレッタは、今も木苺のタルトがお好きなのですか?」
「アルト!」
「秘密だったのか?」
セシリアが懐かしそうに笑った。
「昔も、最後まで残して大切に食べていました」
「余計なことを言わないで!」
「人参を私のお皿へ移していたことも――」
「セシリア!」
二人の声が重なり、今度は本当の会話が始まった。
まだ、失われた六年は戻らない。
傷も、すぐには消えない。
それでもヴィオレッタは、もう一人で食事をしていなかった。
笑い合う二人を見ながら、俺は焼け焦げた本の最後の言葉を思い出す。
『皆が、あの聖――』
聖女セシリアは、本当に優しい少女に見える。
だからこそ俺は、胸の奥に生まれた小さな疑いを、誰にも言えなかった。




