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第三十四話 俺たちの報告書

 井戸が開いた翌日。


 図書室の机に積まれた紙の山を見て、俺は思わず尋ねた。


「これ、全部出すのか?」


「当然でしょう。水質調査、会計記録、不正の経緯けいい、再発防止策。それに住民への聞き取りも必要よ」


 ヴィオレッタが書いた報告書は、すでに四十二枚。


 俺が書いた紙は、一枚だった。


「……少なくない?」


「大事なのは枚数じゃないだろ」


「では、読ませてもらうわ」


 彼女は俺の紙を手に取り、黙り込んだ。


 そこには、第七街区で聞いた言葉をそのまま書いてある。


『水を飲ませるのが怖かった』


『偉い人は、誰も話を聞いてくれなかった』


『あの井戸は、俺たちの暮らしそのものだ』


 最後は、あの男の子の言葉。


『黒い薔薇ばらのお姉ちゃんが、助けてくれた』


「報告書は、事実を書くものだろ?」


「ええ」


「だったら、これも事実だ。数字だけじゃ、怖かったやつの気持ちは分からない」


 ヴィオレッタは何も言わず、紙を机に戻した。


 やっぱり子供っぽすぎたか。


 そう思ったとき、彼女は自分の報告書の最初の一枚を抜き取った。


「これを一頁いちページ目にしましょう」


「俺のを?」


「私には書けなかった事実だもの」


 それから二人で、夜まで報告書を直した。


 会計台帳かいけいだいちょうは誰でも確認できるようにする。


 井戸の管理には住民の代表を加える。


 魔法鍵は一つの家に集中させず、別々の機関で保管する。


 ヴィオレッタが仕組みを考え、俺が「それで困ってる人は助かるのか」と聞く。


 何度も書き直したせいで、最後には二人とも指先が真っ黒だった。


     ◇


 翌日の発表。


 教室の前に立った俺は、三十人近い貴族学生の視線を浴びていた。


「なぜ市民枠の者が発表するんだ?」


「公爵令嬢の後ろに立っていればいいものを」


 小声が聞こえる。


 俺だって、できるならそうしたい。


 緊張で、手に持った紙が震えていた。


「アルト」


 隣のヴィオレッタが、静かに呼ぶ。


「あなたが聞いた声よ。あなたが話しなさい」


「間違えたら?」


「私が直すわ」


「笑われたら?」


「私がにらむわ」


「それ、余計に怖くないか?」


 ヴィオレッタの口元が、ほんの少し緩んだ。


「では、隣にいるだけにしてあげる」


 それで、不思議と震えが止まった。


 俺は息を吸う。


「第七街区の井戸について報告します。最初に言っておくと、俺は難しいことはよく分かりません」


 教室のあちこちから笑いが起きた。


「でも、水がなくて困ってる人は見ました。子供が倒れるところも見た。だから俺たちは、同じことが起きない方法を考えました」


 途中で『相互監督そうごかんとく』を『そうごかんどく』と読み間違えた。


 ヴィオレッタに小声で直された。


 また笑われた。


 それでも最後まで話した。


 続いて、ヴィオレッタが改善案かいぜんあんを説明する。


 質問に立った侯爵家の男子が、不満そうに眉を寄せた。


「公爵令嬢ともあろう方が、市民の意見を政策に入れるのですか?」


「ええ」


「ですが彼らには、統治の知識など――」


「知識のない者は、黙って苦しめと?」


 教室が静まり返った。


 ヴィオレッタは俺の一枚を掲げる。


「私は帳簿の間違いには気づけても、この言葉には気づけなかった。この報告書は、アルトがいなければ完成していません」


「しかし、身分が――」


「彼は私の相棒です」


 迷いのない声だった。


「その事実に、身分は関係ありません」


 胸の奥が、急に熱くなる。


 発表後、グレイ先生は報告書を閉じた。


「内容は本年度最高評価さいこうひょうか王国評議会おうこくひょうぎかいへの推薦すいせん資料とする」


「本当ですか!」


「ただし、アルト・レイン」


「はい」


「誤字が十四か所ある。字も汚い」


「……そこは最高じゃないんですね」


「最低だ」


 教室に笑いが広がった。


 今度の笑いは、不思議と嫌ではなかった。


 席に戻ると、ヴィオレッタが小さくささやく。


「七つ目ね」


「何が?」


「あなたが見つけた、私の本当の姿」


 少し考えて、俺は答えた。


「人に頼るのが、前より上手くなった」


「……誰にでも頼るつもりはないわ」


 机の下で、彼女の指が俺の袖をそっとつまむ。


「アルトだけよ。今のところは」


 その日、一つの学園課題が王国を動かし始めた。


 たった一枚の、字の汚い報告書から。

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