第三十三話 黒薔薇が開いた井戸
慈善院から見つかった二つの交換用魔石は、王都の鑑定が終わったあと、西部市民区へ運ばれた。
東側と南側の井戸を復旧させるためだ。
毒が見つかった中央井戸は、詳しい調査が終わるまで封鎖されることになった。
「本当に今日中に直るのか?」
「装置自体に、大きな損傷はありません」
ヴィオレッタは、王都から派遣された技師と設計図を確認していた。
「交換用魔石を設置し、封印を結び直せば水は戻ります」
「詳しいんだな」
「母から教わりました。幼い頃に何度も、井戸の点検へ連れてこられましたので」
ヴィオレッタが、懐かしそうに井戸を見る。
「お母様は、水は全ての人に必要なものだから、身分によって分けてはならないとおっしゃっていました」
「いい母親だったんだな」
「はい。自慢の母です」
今度は、迷わずそう答えた。
◇
古い魔石が取り外され、新しい魔石が装置の中心へ収められた。
「公女様。最後に管理者の鍵で、封印を結び直してください」
技師から呼ばれ、ヴィオレッタが井戸の前へ立つ。
住民たちも、少し離れた場所から見守っていた。
彼女は左手へ視線を落とす。
黒い手袋を外さなければ、黒薔薇の鍵は使えない。
「大丈夫か?」
「何がです?」
「みんなに手を見られるの、嫌なんだろ?」
「……平気です」
そう答えたが、手袋を外そうとする指が止まっていた。
住民の一人が、小声で話している。
「黒薔薇の呪いが刻まれているらしい」
「見るだけで不幸になるって噂だぞ」
ヴィオレッタにも聞こえていた。
「無理なら、技師に任せられないのか?」
「管理者の鍵が必要です。わたくしが行わなければなりません」
「じゃあ、俺も隣にいる」
「鍵を使えるのは、わたくしだけですわよ」
「知ってる。見てるだけだ」
ヴィオレッタは、少しだけ笑った。
「では、そこにいなさい」
黒い手袋を外す。
手首から指先まで残る火傷の痕と、黒薔薇の紋章が人々の前へさらされた。
住民たちから、息を呑む音が聞こえる。
ヴィオレッタの手が震えた。
「その手、怖くないよ」
井戸の水を飲んで倒れた男の子が、人混みから声を上げた。
「僕を助けてくれた手だもん!」
その母親も、男の子の肩へ手を置く。
「公女様。どうか、お願いいたします」
一人の老人が頭を下げた。
「私たちの井戸を、もう一度開いてください」
ほかの住民たちも、ゆっくりと頭を下げていく。
ヴィオレッタの震えが止まった。
「承知しました」
傷痕の残る左手を、装置の中心へ重ねる。
「ローゼンベルク家の名において、水脈の封印を開きます」
黒薔薇の紋章が光った。
装置から伸びた黒い茨が、交換用魔石を包み込む。
魔石へ青い光が満ち、井戸の奥から水が流れる音が聞こえてきた。
「水だ!」
「水が戻ったぞ!」
くみ上げられた水を、技師が何度も検査する。
「毒の反応はありません。安全な水です!」
住民たちから歓声が上がった。
子供たちが井戸へ集まり、勢いよく水をくみ上げる。
そのうちの一人が桶を傾け、ヴィオレッタの服へ水をかけてしまった。
「ご、ごめんなさい!」
周囲が静まり返る。
ヴィオレッタは、濡れた制服を見下ろした。
「何をしているのです!」
子供が顔を青くする。
けれど次の瞬間、ヴィオレッタは自分でも驚いたように笑い始めた。
「もう……せっかく直った井戸なのですから、水を無駄にしてはなりませんわ」
「怒ってないの?」
「次から気をつければ、許します」
「ありがとう!」
逃げるように去っていく子供を見ながら、ヴィオレッタはまだ笑っていた。
魔写紙に残っていた幼い頃と、同じ笑顔だった。
「何ですの?」
「いや。やっぱり、笑えるんだなと思って」
「わたくしを何だと思っているのです?」
「これで六つ目が分かった」
「六つ目?」
「嬉しいときは、ちゃんと笑う」
ヴィオレッタは恥ずかしそうに顔をそらした。
「それは、あなた以外の前では紹介しないでください」
「どうして?」
「どうしてもです」
黒薔薇の鍵によって閉ざされた井戸は、今度は同じ黒薔薇の手によって開かれた。




