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第三十二話 隣の席

 翌朝、ヴィオレッタは普段どおりの制服で教室へ現れた。


 だが、教室の空気は普段どおりではなかった。


「黒薔薇公女だ……」


「新聞に、井戸へ毒を入れたのは財務局長だと書かれていたぞ」


「でも、叔父を告発して父親にも逆らったんだろ?」


「やっぱり、怖い人なんじゃ……」


 これまでとは違う噂が、あちこちから聞こえてくる。


 疑いが晴れても、全員が急に態度を変えるわけではないらしい。


 ヴィオレッタの足が、教室の入口で止まった。


「席、あそこだぞ」


「見れば分かります」


「入らないのか?」


「今、入ろうとしていたところです」


 俺が先に歩き出すと、ヴィオレッタも後ろからついてきた。


 机の上には、相棒の変更申請書が置かれている。


 大きな赤い字で『却下きゃっか』と書かれていた。


「これで相棒の変更はなくなったな」


「残念ですわ」


「そう言う割に、嬉しそうだぞ」


「見間違いです」


 ヴィオレッタが椅子へ座る。


 俺も隣へ腰を下ろした。


「ヴィオレッタ様」


 セシリアが、少し緊張した様子で近づいてきた。


「おはようございます」


 ヴィオレッタはすぐに答えなかった。


 セシリアの顔から、少しずつ笑顔が消えていく。


「……おはようございます、セシリア」


 その一言に、今度はセシリアの目へ涙が浮かんだ。


「どうして泣くのです!」


「嬉しくて……」


「挨拶をしただけでしょう!」


「六年ぶりに返していただけました」


 ヴィオレッタが気まずそうに顔をそらす。


「今すぐ昔のように戻れるとは思わないでください」


「はい。ゆっくりで構いません」


「それと、授業が始まる前に泣くのはやめなさい」


「はい……」


 返事をしながら、セシリアはまだ泣いていた。


「本当は嬉しいんだろ?」


「アルトは黙っていてください」


 机の下で足を踏まれた。


     ◇


 昼休み。


 俺とニールは、市民枠用の食堂で黒パンと野菜のスープを受け取った。


 貴族用の食堂とは、料理も食器も違う。


「今日はどこで食べる?」


「いつもの中庭でいいだろ」


 外へ出ると、窓際の長椅子にヴィオレッタが一人で座っていた。


 膝の上には、公爵家から届けられた昼食の箱がある。


「ここ、座っていいか?」


「ほかにも空いている場所はあります」


「じゃあ、座っていいんだな」


「なぜ、そうなるのです?」


 返事を待たず、隣へ座る。


 ニールは少し離れたところで迷っていた。


「お前も来いよ」


「いや、公女様の隣は……」


「ニールも座って構いません」


「は、はい!」


 ニールは背筋を伸ばし、長椅子の端へ座った。


「ヴィオレッタ様。私もご一緒してよろしいですか?」


 セシリアも昼食を持って現れる。


「断っても座るのでしょう?」


「はい」


「では、好きになさい」


 四人で昼食を広げる。


 ヴィオレッタの箱には、焼きたての白パンや肉料理と一緒に、小さな黒スグリのタルトが二つ入っていた。


「おいしそうだな」


「食べたいのですか?」


「いや。見ただけだ」


 ヴィオレッタは一つを取り、俺へ差し出した。


「差し上げます」


「いいのか?」


「今日は甘い物を食べたい気分ではありません」


「それなら、もらう」


 一口かじる。


 甘酸っぱくて、戦後の配給では絶対に食べられなかった味だ。


「うまい」


「そうですか」


 ヴィオレッタは何でもない顔をしている。


 けれど、残った一つのタルトを大切そうに見ていた。


「もしかして、これ好きなのか?」


「好きではありません」


「じゃあ、残りもくれる?」


「これは食べます」


「好きなんじゃないか」


「リゼットが用意したものを残すのは、失礼だからです!」


「ヴィオレッタ様は、昔から黒スグリのタルトが一番お好きでした」


 セシリアが笑顔で教えてくれた。


「セシリア!」


「これで、課題の五つ目が分かったな」


「今すぐ忘れなさい!」


 ヴィオレッタは真っ赤な顔で怒った。


 けれど、その日。


 黒薔薇公女は入学してから初めて、一人ではない昼食を食べた。

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