第三十一話 愛するヴィオレッタへ
ヴィオレッタは封筒を開いた。
中には、数枚の便箋が入っている。
最初の一行を見ただけで、彼女の目から涙がこぼれた。
「読めそうか?」
「……分かりません」
「無理なら、あとでもいいぞ」
「いいえ。今、読みます」
ヴィオレッタは一度目を閉じ、震える声で手紙を読み始めた。
『愛するヴィオレッタへ』
『あなたがこの手紙を読んでいるということは、黒薔薇の鍵を受け継ぐ日が来たのでしょう』
『本当なら、私の口から伝えたいことがたくさんあります。けれど私は、言葉にすることがあまり上手ではありません。あなたが気持ちを隠してしまうところは、きっと私に似たのですね』
ヴィオレッタが、泣きながら小さく笑う。
「お母様も、自分のことをそう思っていたのですね」
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『あなたは昔から、とても優しい子でした』
『五歳のとき、庭で翼を怪我した小鳥を見つけたことを覚えていますか?』
『あなたは「鳴き声がうるさいから拾っただけ」と言いました。それなのに一晩中、鳥かごのそばから離れませんでしたね』
『七歳のときには、寒さに震える使用人の子へ自分の外套を渡しました』
『そのときも「古くなったから捨てただけ」と言い張っていました』
「……そんなことまで覚えていたのですね」
『あなたは誰かを助けるたび、優しくしたことを隠そうとします』
『恥ずかしいからでしょうか。それとも、優しさを拒まれたときに傷つくのが怖いからでしょうか』
ヴィオレッタの手が止まった。
まるで今の彼女を見て書かれたような言葉だった。
『ローゼンベルク家の黒薔薇には、鋭い棘があります』
『世間には、その棘だけを見て、あなたを恐れる人もいるでしょう』
『ですが、棘は誰かを傷つけるためだけにあるのではありません』
『大切な花を守るためにあるのです』
『あなたの強さも、魔法も、誰かを守るために使ってください』
『ただし、その棘を自分自身へ向けてはいけません』
ヴィオレッタが黒い手袋を握る。
『全てを一人で背負うことが、強さではありません』
『苦しいときには、苦しいと言ってください』
『悲しいときには、泣いてください』
『助けてほしいときには、誰かの手を取ってください』
『もしもあなたの棘を見ても逃げず、隣にいてくれる人と出会えたなら、その人を大切にしてください』
ヴィオレッタが、ゆっくりと俺を見る。
「どうした?」
「何でもありません」
また手紙へ視線を戻してしまった。
『ヴィオレッタ』
『あなたが公爵家の跡継ぎでなくても』
『黒薔薇の鍵を持っていなくても』
『立派な貴族になれなくても』
『私は、あなたを愛しています』
『あなたが私の娘として生まれてきてくれたことが、私の一番の幸せです』
『どうか、あなた自身も幸せになってください』
『母、エレオノーラより』
読み終えた便箋が、ヴィオレッタの手から落ちた。
「お母様……」
彼女は両手で顔を覆った。
「わたくしは、ずっと……」
これまで我慢してきたものが、全てあふれ出したようだった。
「強くならなければ、誰にも頼ってはならないと思っていました」
「ああ」
「助けを求めれば、また置いていかれると思っていた……」
「うん」
「本当は、ずっと寂しかった……!」
俺には、気の利いた言葉なんて思いつかなかった。
だから、ただ隣に座っていた。
ヴィオレッタが泣き止むまで、どこにも行かなかった。
やがて彼女は、黒い手袋を外す。
傷痕の残る左手を、俺へ差し出した。
「アルト」
「何だ?」
「少しだけ、手を握っていてください」
「ああ」
その手を握る。
冷たかった指が、少しずつ温かくなっていく。
「わたくしは……優しい人間なのでしょうか」
「優しくないやつは、あの子供を助けたり、街のために家族へ逆らったりしないだろ」
「ですが、今まで大勢の人を傷つけました」
「だったら謝ればいい。これから直せるものは直せばいい」
「そんなに簡単でしょうか」
「難しくても、一人じゃない」
ヴィオレッタは、俺の肩へそっと頭を預けた。
「アルト」
「うん?」
「これからも、わたくしの隣にいてくれますか?」
「もちろん。相棒だからな」
「相棒だから、ですか……」
なぜか不満そうだった。
それでもヴィオレッタは、俺の手を離さなかった。




