第二十九話 信じてほしいとは言わない
グレゴールが連行されたあとも、広場は静まり返っていた。
王国評議会の調査官が、集められた証拠を確認する。
「浄化装置を開いたのは、複製された黒薔薇の鍵です。交換用魔石の受取書にある署名も偽造されたものでした」
調査官は、住民たちへ向き直った。
「ヴィオレッタ・ローゼンベルク公女が、井戸を故意に汚染した事実は認められません」
正式に無実が告げられた。
それでも、歓声は上がらなかった。
「だけど、やったのは公爵家の人間だ」
「今まで払ってきた管理費は、どうなるんだ?」
「叔父が捕まったからって、井戸が直るわけじゃない」
住民たちの不安は残っている。
ヴィオレッタは俺の手を離すと、壇上の中央へ進んだ。
「おっしゃるとおりです」
全員の視線が彼女へ集まる。
「井戸を壊したのが、わたくしではなかった。それだけで、公爵家に責任がないことにはなりません」
「ヴィオレッタ」
レオポルト公爵が止めようとする。
しかし彼女は振り返らなかった。
「ローゼンベルク家の財務局長が、皆さんから集めた管理費と王都の補助金を不正に使用しました。その結果、井戸は修理されず、毒まで混入しました」
住民たちの中から、怒りの声が上がる。
「まず、これまでに集められた管理費の使い道を全て公開します」
「そんなことができるのか?」
「行方の分からない金についても調査し、返還できるものは各家庭へお返しします」
ヴィオレッタは、さらに続けた。
「慈善院で見つかった交換用魔石を使用し、三つの井戸を修理します。安全が確認されるまで、水の無償提供も続けます」
「また途中で取り消されるんじゃないのか?」
「今度は、わたくし個人の命令ではありません」
ヴィオレッタが、父親を振り返る。
「ローゼンベルク公爵家当主として、認めていただけますね?」
レオポルト公爵の顔が険しくなる。
「この場で、私に判断を求めるのか」
「民の生活に必要な水です。屋敷へ戻って話し合う時間はありません」
父と娘が、しばらく見つめ合う。
やがてレオポルトは、重く息を吐いた。
「認めよう。井戸の修理と水の提供に必要な費用は、公爵家が全額負担する」
住民たちがざわめいた。
「軍需倉庫の建設計画も、今回の調査が終わるまで凍結する」
「凍結では足りません」
「ヴィオレッタ」
「母が残した契約には、水を理由に住民を追い出してはならないとあります。建設計画そのものを撤回してください」
「国防に関わる計画だ。私だけでは決められない」
「では、住民の代表者を交え、改めて話し合う場を設けてください」
レオポルトはすぐには答えなかった。
「……分かった。王国評議会へ提案しよう」
ヴィオレッタは深く頭を下げた。
今度は住民たちへ向き直る。
「わたくしは、皆さんへ信じてほしいとは申しません」
その言葉に、何人かが驚いた顔をする。
「今まで公爵家が行ってきたことを考えれば、言葉だけで信用していただけるとは思っていません」
ヴィオレッタの左手は、まだ震えていた。
それでも顔を上げ、真っすぐに住民たちを見る。
「ですから、これからの行動を見ていてください」
広場の後ろから、小さな男の子が前へ出てきた。
井戸の水を飲んで倒れた子だ。
「僕は、お姉ちゃんのこと信じてたよ」
「……ありがとうございます」
男の子の母親も、ためらいながら頭を下げた。
「先日は、娘を近づけないでほしいなどと……申し訳ありませんでした」
林檎を落とした少女の母親だった。
「謝らないでください」
ヴィオレッタは静かに答えた。
「娘を守ろうとしたのでしょう。母親として当然のことです」
一人、また一人と、住民たちが頭を下げていく。
全員が信じたわけではない。
まだ疑っている者も、黒薔薇公女を恐れている者もいる。
それでも、最初に街を訪れたときとは違っていた。
誰も彼女へ石を投げなかった。
未来では、この場所から住民が追い出され、兵器工場が建てられた。
その罪は、ヴィオレッタ一人に押しつけられた。
けれど今、歴史は違う道へ進み始めている。
「アルト」
壇上から戻ってきたヴィオレッタが、俺の前で立ち止まる。
「何だ?」
「最後まで、わたくしの隣にいなさい」
「ああ。相棒だからな」
「……それだけではありません」
小さな声でそう言ったあと、ヴィオレッタは顔を赤くして歩き去った。




