第二十八話 叔父の鞄
「確かに、複製鍵が使われたようだ」
グレゴールは、まだ笑顔を崩さなかった。
「だが、それだけでは私が使った証拠にならない」
「保管責任者は、あなたです」
「財務局には大勢の職員がいる。六年の間に、誰かが盗み出した可能性もあるだろう」
「破壊したと言ったではありませんか」
ヴィオレッタが問い詰める。
「記憶違いだったようだ。私も年を取ったということかな」
「そのような言い訳が通るとでも?」
「では、私が使ったことを証明してみなさい」
グレゴールは両腕を広げた。
「私の屋敷も財務局も、好きなだけ調べればいい。複製鍵など見つからないだろうがね」
「その必要はないかもしれません」
王都警備隊の隊長が壇上へ上がってきた。
「慈善院から救助された財務局職員が、意識を取り戻しました」
グレゴールの頬が、わずかに引きつる。
「彼は、あなたから直接命令を受けたと証言しています」
「罪人の言葉だ。信用できない」
「複製鍵についても話しました」
隊長の視線が、グレゴールのそばに置かれた黒い携行鞄へ向く。
「作業後、複製鍵をその鞄へ戻すよう命じられたそうです」
グレゴールが、反射的に鞄を手元へ引き寄せた。
「これは公爵家財務局の機密書類だ。勝手に調べることは認めない」
「王国評議会の調査権限により、中身を確認します」
「拒否する!」
「グレゴール」
低い声を発したのは、レオポルト公爵だった。
「鞄を渡せ」
「兄上まで、私を疑うのですか?」
「疑いを晴らしたいのであれば、見せればよい」
「これは公爵家の問題です!」
「だからこそ、私が命じている」
兄弟の視線がぶつかる。
先に目をそらしたのは、グレゴールだった。
警備隊員が鞄を受け取る。
鍵を開け、中の書類を一枚ずつ取り出していく。
底まで調べても、複製鍵は見つからない。
「ほら、何もないだろう」
グレゴールが再び笑う。
「待ってください」
ヴィオレッタが鞄を見つめた。
「外側に比べて、中が浅すぎます」
「ヴィオレッタ?」
「母も、同じ職人が作った鞄を使っていました。底に秘密の収納があります」
隊員が内側の布を外す。
二重底の下から、小さな黒い石が現れた。
石の表面には、黒薔薇の紋章が浮かんでいる。
「複製鍵……」
鑑定官が石を壊れた浄化魔石へ近づけた。
二つの魔力が、同じ色に光る。
「井戸の封印に残っていたものと一致します」
さらに二重底から、ヴィオレッタの署名をまねるための練習用紙が何枚も見つかった。
交換用魔石の納品書と同じ筆跡だ。
「叔父様……」
ヴィオレッタは、信じたくないものを見るようにグレゴールを見つめた。
「どうして、このようなことを……」
グレゴールの笑顔が消えた。
「全ては国のためだ」
「住民へ毒を飲ませることが?」
「あの街の土地には、軍需施設が必要だった。二十年もすれば周辺諸国との戦争は避けられなくなる」
俺の背筋が凍る。
世界大戦を知っているような言葉だった。
「兵器を増やし、国を強くしなければ、今度は我々が滅ぼされる。わずかな市民の住まいと、国全体の安全。比べるまでもない」
「だから母を殺したのですか?」
「義姉さんは、何も理解しようとしなかった」
広場から、息を呑む音が聞こえた。
「慈善だの、民の暮らしだのと、国を弱くすることばかり考えていた。君も同じだ、ヴィオレッタ」
「それは……母を殺したと認めるのですか?」
「事故を起こしたのは、義姉さん自身だ」
「まだ嘘を!」
「もうよい!」
レオポルト公爵の怒声が響いた。
「グレゴール・ローゼンベルク。財務局長の任を解く。王都警備隊へ、その身柄を引き渡す」
「兄上!」
「エレオノーラの死についても、改めて調査する」
警備隊がグレゴールの両腕を拘束した。
連行される直前、彼はヴィオレッタをにらんだ。
「母親と同じ道を選べば、お前も同じように全てを失うぞ」
ヴィオレッタの左手が震える。
俺はその手を、隣から強く握った。
「今度は一人じゃない」
ヴィオレッタはグレゴールから目をそらさなかった。
「ええ。もう、あの頃のわたくしではありません」
黒薔薇公女は、初めて自分を支配していた叔父の恐怖へ立ち向かった。




