第二十三話 置いて逃げたのではない
学園へ戻ると、俺たちは全員、医務室へ連れていかれた。
「煙を吸い込んでいるのに、平気な顔で歩き回らないでください」
治療師に怒られ、俺は寝台へ座らされた。
向かいでは、ヴィオレッタが左手の治療を受けている。
古い火傷の上から無理に魔法を使ったため、傷が開いてしまったらしい。
「痛そうだな」
「誰のせいだと思っていますの?」
「火をつけたやつ?」
「あなたです!」
「俺は火をつけてないぞ」
「そういう意味ではありません!」
ヴィオレッタが怒鳴るたび、治療師から動かないよう注意されていた。
やがて扉が開き、湯気の立つ飲み物を持ったセシリアが入ってくる。
「アルトさん。喉に良い薬草茶です」
「ありがとう」
「ヴィオレッタ様の分もあります」
「……そこへ置いてください」
ヴィオレッタは、セシリアと目を合わせなかった。
セシリアは薬草茶を置いたあと、その場から動かなかった。
「まだ何か?」
「お話ししたいことがあります」
「明日にしてください。疲れています」
「今、話さなければ、また逃げてしまいそうだからです」
ヴィオレッタの表情が固まった。
「六年前の火災についてです」
「聞きたくありません」
「私は、ヴィオレッタ様を置いて逃げたのではありません」
「やめなさい」
「煙を吸って、意識を失いました。護衛に運び出されたと知ったのは、目を覚ましたあとです」
「やめてと言っているでしょう!」
黒い茨が、ヴィオレッタの足元からわずかに伸びた。
治療師が驚いて後ろへ下がる。
俺が寝台から降りようとすると、ヴィオレッタが自分で魔法を止めた。
「……申し訳ありません」
「ヴィオレッタ」
「心配しないでください。もう何もしません」
声は震えていた。
セシリアは逃げずに、その正面へ立ち続ける。
「私は何度も、ヴィオレッタ様へ手紙を送りました」
「一通も届いていません」
「全て、送り返されてきました。アークライト家との関わりを望まないという、公爵家の書面とともに」
「わたくしは、そのような命令を出していません」
「分かっています。ですが当時の私は、父へ逆らうことができませんでした」
セシリアの瞳から涙がこぼれる。
「何度か拒まれただけで、私は諦めてしまいました。だから、ヴィオレッタ様を一人にしたことは事実です」
「わたくしは……」
ヴィオレッタが、黒い手袋を握る。
「毎日、あなたが来るのを待っていました」
「……はい」
「母の葬儀にも、あなたはいなかった」
「父に、屋敷から出ることを禁じられていました」
「それでも来てほしかった!」
ヴィオレッタの声が医務室に響いた。
「誰も、わたくしの言葉を信じなかった。わたくしが火をつけた。母を殺した。侍女を傷つけた。皆がそう言いました」
涙をこぼしながら、セシリアを見つめる。
「セシリアだけは信じてくれると思っていたのに、あなたまでいなくなった……!」
「ごめんなさい」
セシリアは言い訳をせず、頭を下げた。
「許していただけるとは思っていません。それでも、今度は逃げません」
「今さら、遅すぎます」
「はい。それでも、そばにいます」
二人とも泣いていた。
俺は、何と言えばいいのか分からなかった。
「二人とも、話すのが下手なんだな」
思ったことを、そのまま口にした。
「六年も、お互いに捨てられたと思ってたんだろ?」
「アルトさん、今はもう少し言葉を選んでください……」
「でも、逃げたんじゃないって分かった。だったら、すぐ仲直りできなくても、もう一度話せばいいだろ」
ヴィオレッタが俺をにらむ。
「簡単に言わないでください」
「難しいことは分からないからな」
「知っています」
ヴィオレッタは目元を拭い、セシリアへ顔を向けた。
「すぐに許すことはできません」
「はい」
「ですが……もう一度、話すことくらいなら」
セシリアが小さくうなずいた。
「ありがとうございます」
六年間途切れていた二人の関係が、ほんの少しだけ動き出した。
そのとき、ヴィオレッタが何かを思い出したように、左手を見た。
「今日の火災で使われた魔法油……」
「どうした?」
「あの甘い臭いを、以前にも嗅いだことがあります」
銀色の瞳に、再び恐怖が浮かぶ。
「六年前、母が亡くなった火災でも、同じ臭いがしていました」
もし同じ魔法油が使われていたのなら。
六年前の火災も、事故ではなかったことになる。




