第二十一話 炎の中の黒薔薇
「ヴィオレッタ、俺を見ろ!」
肩をつかんでも、彼女は炎を見つめたまま動かなかった。
「お母様が……まだ、中に……」
「違う! あれは六年前の火じゃない!」
ヴィオレッタの銀色の瞳が、ようやく俺を映す。
「ここにいるのは俺たちだ。お前の母親じゃない」
「アルト……?」
「そうだ」
呼びかけに反応はした。
しかし体の震えは止まらない。
「二人とも下がれ!」
グレイ先生が杖を振る。
地面から巻き上がった水が、燃え広がる炎へ降り注いだ。
だが、火の勢いが弱まらない。
「魔法油が使われている! 普通の水では消しきれん!」
先生は風の魔法で、荷車を倉庫から引き離した。
荷台には、交換用魔石が入った木箱が二つある。
少なくとも、証拠は残せる。
「誰か、助けてくれ!」
倉庫の中から、男の声が聞こえた。
逃げた役人の一人が、まだ残っている。
「中に人がいる!」
「待て、アルト!」
先生に止められるより早く、俺は走り出していた。
「アルト、行ってはなりません!」
ヴィオレッタの叫びが背中に届く。
それでも止まれなかった。
助けを求める声を聞いたのに何もしなければ、きっと後悔する。
外套で口元を覆い、燃える倉庫へ飛び込んだ。
煙で前が見えない。
「どこだ!」
「こ、ここだ……!」
声を頼りに奥へ進む。
男は倒れた棚の下敷きになっていた。
片足の上に太い梁が落ち、動けなくなっている。
「今助ける!」
梁へ両手をかけ、持ち上げようとする。
重い。
どれだけ力を込めても、わずかに動くだけだった。
「俺はいい……逃げろ!」
「うるさい! 助けを呼んだのお前だろ!」
もう一度、全力で持ち上げる。
だが、梁は動かない。
天井から焼けた木片が落ちてきた。
出口側にも火が回り始めている。
「まずいな……」
突然、壁を突き破って黒い何かが伸びてきた。
太い茨だった。
何本もの黒い茨が梁へ巻きつき、一気に持ち上げる。
「今です! その男を引き出しなさい!」
開いた壁の向こうに、ヴィオレッタが立っていた。
黒い手袋を外した左手を、こちらへ向けている。
白い肌には、手首から指先まで続く火傷の痕が残っていた。
その傷の中心に、黒薔薇の紋章が浮かんでいる。
「早く!」
俺は男の腕を肩へ回し、壁に開いた穴へ向かった。
黒い茨が周囲の炎を押しのけ、俺たちのために道を作る。
外へ出た直後、倉庫の屋根が崩れ落ちた。
「危なかった……」
「この、大馬鹿者!」
振り返ると、ヴィオレッタの平手が飛んできた。
頬に当たる寸前で止まる。
彼女の手は震えていた。
「なぜ……なぜ、勝手に入ったのです!」
「人が残ってたから」
「あなたまで死んだら、どうするつもりだったのですか!」
「死んでないぞ」
「結果の話をしているのではありません!」
ヴィオレッタが、俺の胸元を両手でつかむ。
「炎の中へ消えて……お母様と同じように、二度と戻ってこないと思った……」
その目から、涙がこぼれた。
「もう嫌なのです」
怒鳴っているのに、声は弱かった。
「大切な人が炎の中へ入っていくのを、見ていることしかできないのは……もう嫌……」
「ごめん」
それしか言えなかった。
「俺はここにいる」
「……分かっています」
「ヴィオレッタが助けてくれたから、戻ってこられた」
彼女は何も答えず、俺の制服を強く握った。
やがて助け出した男が、激しくせき込みながら目を開く。
「俺たちは……財務局長に命じられたんだ」
先生が男のそばへ膝をついた。
「何を命じられた?」
「魔石を運び出したあと……建物ごと、全部燃やせと……」
男はそれだけ告げ、意識を失った。
交換用魔石と、命令を受けた者の証言。
炎の中から、二つの証拠が残った。




