第十四話 母が守ろうとしたもの
「叔父が井戸を壊したのか?」
「まだ、そうと決まったわけではありません」
ヴィオレッタはすぐに否定した。
「記録から分かるのは、叔父も封印鍵を持っているということだけです。それだけで犯人とは断定できません」
「でも、怪しいだろ」
「怪しいという理由だけで罪人にすれば、根拠のない噂でわたくしを悪女と呼ぶ者たちと同じです」
俺は何も言い返せなかった。
自分が疑われ続けてきたからこそ、ヴィオレッタは叔父を簡単に犯人だと決めつけない。
「ヴィオレッタ様、こちらを」
セシリアが、箱の底から古い書類を取り出した。
『西部市民区共同井戸・永久管理契約書』
エレオノーラと王都、西部市民区の代表者が交わした契約だった。
紙の端には、三者それぞれの印が押されている。
「契約条項を確認しましょう」
セシリアが一行ずつ読み上げる。
「井戸の維持費はローゼンベルク家が半分を負担し、残りを住民から集める。管理者には、毎年の収支を公開する義務がある……」
「収支なんて、一度も見せてもらってないって言ってたぞ」
「それだけでも契約違反です」
さらに読み進めると、ヴィオレッタの手が止まった。
『井戸の故障、汚染その他の理由により、安全な水を供給できない場合、管理者は住民へ無償で備蓄水を提供しなければならない』
「お前が命じたことと同じだ」
「母が決めた規則に従っただけです」
次の一文を見た瞬間、ヴィオレッタは息を呑んだ。
『水の不足を理由として、住民へ立ち退きを求めてはならない』
「今、張り出されている命令と正反対ですね」
セシリアの声も固くなる。
「この契約が今も有効なら、強制退去はできないんじゃないか?」
「ええ。王都と住民の同意なしに、この条件を変更することはできません」
「だったら、これを見せれば止められる」
「簡単ではありません」
ヴィオレッタは契約書から目を離した。
「父は叔父を信頼しています。わたくしが何を言っても、家の恥を外へ持ち出すなと命じられるでしょう」
「昨日も、そう言われたのか?」
黒い手袋に包まれた左手が震えた。
「父は、住民の移動は領地を発展させるために必要だと考えています。井戸の毒についても、公爵家への被害を抑えるため、わたくしが責任を負うようにと」
「お前が毒を入れたことにするのか?」
「その方が、財務局全体を調べられるより傷が浅いそうです」
「傷が浅いわけないだろ!」
資料庫に俺の声が響いた。
「そんなことしたら、お前は何もしてないのに悪女にされるぞ!」
「もう、そう呼ばれています」
「だからって、本当に悪いことまで押しつけられていいのかよ!」
ヴィオレッタは答えなかった。
セシリアが、そっと契約書へ手を置く。
「私が証言します」
「セシリア?」
「公爵家だけの問題ではありません。この契約には王都も関わっています。七聖女の一人としてではなく、アークライト侯爵家の娘として、王都へ調査を求めます」
ヴィオレッタの表情が険しくなった。
「同情のつもりですか?」
「違います」
「では、なぜ今さら――」
「エレオノーラ様と約束したからです」
ヴィオレッタが目を見開く。
「あなたが一人にならないよう、ずっとそばにいると約束しました」
「……その約束を破ったのは、あなたでしょう」
セシリアの顔が青ざめた。
「私は、破ったつもりは……」
「六年前、わたくしを置いて逃げたではありませんか」
それ以上、セシリアは何も言えなくなった。
二人の間に何があったのか、俺には分からない。
だが、今は昔の話をしている場合ではなかった。
「ヴィオレッタ。セシリアの言うことなら、王都も聞いてくれるんだろ?」
「おそらくは」
「だったら頼ればいい」
「わたくしに、彼女の同情を受け入れろと?」
「一人で無理なら、手を借りるのは悪いことじゃない」
「簡単に言わないでください」
「難しく考えても、住民は待ってくれないぞ」
強制退去まで、あと二日しかない。
ヴィオレッタは長い間、契約書を見つめていた。
やがて、震える息を吐く。
「……セシリア」
「はい」
「今回だけ、力を貸してください」
セシリアの瞳に涙が浮かんだ。
「もちろんです」
ヴィオレッタはすぐに顔をそらした。
「アルト。先生に頼み、この契約書の認証写し(にんしょううつし)を作っていただきます」
「ああ」
「今日中に王都へ異議を申し立てます。強制退去を止めるのです」
それはヴィオレッタが初めて、父親の命令ではなく、自分の意思で選んだ答えだった。




