第十三話 母の残した記録
「アルト」
ヴィオレッタが、うつむいたまま俺の名を呼んだ。
「今のは忘れなさい」
「泣いたことか?」
「声に出さないでください!」
ヴィオレッタは慌てて目元を拭った。
そのとき、教室の扉が開く。
「五分だ。話は終わったか?」
グレイ先生だった。
「はい。アルトは署名を拒否しました」
「なら、相棒の変更は認められない」
「先生まで……」
「決まりは決まりだ。公爵家の都合で曲げるつもりはない」
先生は教室へ戻っていく。
ヴィオレッタは諦めたように息を吐いた。
「後悔しても知りませんからね」
「そのときは、そのときだ」
「本当に何も考えていませんのね……」
俺たちは並んで教室へ戻った。
◇
授業が終わったあと、俺はグレイ先生に西部市民区で起きていることを説明した。
井戸の毒。
届かなかった水。
三日以内の強制退去。
そして、公爵家財務局が出した命令書。
「これは学園の課題だけで済む話ではないな」
先生の表情が険しくなる。
「だが、王都の管理へ学園が直接口を出すこともできん。まずは証拠を集めろ」
「証拠って、どうやって?」
「考えるのも課題のうちだ」
「俺、考えるのは苦手なんですけど」
「見れば分かる」
「ひどくないですか?」
「褒めてはいない」
先生は一枚の紙に署名すると、俺へ差し出した。
「学園の資料庫へ入る許可証だ。過去の事業記録なら残っている可能性がある」
「ありがとうございます」
「礼なら、問題を解決してから言え」
「私がご案内します」
振り返ると、セシリアが立っていた。
「西部市民区の井戸は、エレオノーラ様が学園へ在籍されていた頃に始めた事業です。関係資料が保管されている場所を知っています」
「必要ありません」
ヴィオレッタが、すぐに断った。
「これは、わたくしとアルトの課題です」
「ですが――」
「わたくしたちだけで調べます」
セシリアの表情が曇る。
「ヴィオレッタ」
「何ですの?」
「知ってる人に教えてもらった方が早いだろ」
「あなたは、少しは自分で考えなさい!」
「考えた結果、セシリアに聞くのが一番だと思った」
「それは考えたとは言いません!」
先生が深いため息をついた。
「三人で行け。時間を無駄にするな」
「先生!」
「これは命令だ」
ヴィオレッタは不満そうだったが、それ以上は逆らわなかった。
◇
学園の地下にある資料庫は、細い通路の両側に本棚が並んでいた。
窓がないため、昼間でも魔石灯が必要になる。
「こちらです」
セシリアは迷うことなく、一番奥の棚へ向かった。
古い箱を取り出し、積もったほこりを布で拭う。
箱には『西部市民区・共同井戸建設事業』と書かれていた。
中から設計図や収支記録とともに、一枚の魔写紙が出てくる。
触れると、紙の上に過去の光景が浮かび上がった。
完成したばかりの井戸。
笑顔で集まる市民たち。
その中央には、深い紫色の髪をした女性が立っている。
「この方が、エレオノーラ様です」
女性の隣には、幼い少女が二人いた。
一人はセシリア。
もう一人は――。
「ヴィオレッタ、笑ってるな」
「見ないでください!」
ヴィオレッタが魔写紙を奪い取る。
そこに映る幼い彼女は、今からは想像できないほど無邪気に笑っていた。
片手には小さな黒薔薇を持ち、もう片方の手で母親の服を握っている。
「かわいいな」
「忘れなさい!」
「さっきから、そればっかりだな」
セシリアが、寂しそうに笑った。
「あの頃のヴィオレッタ様は、よく笑っていました」
「昔の話です」
「エレオノーラ様が亡くなられてから、全て変わってしまいました」
ヴィオレッタは何も答えず、魔写紙を箱へ戻した。
俺たちは建設後の管理記録を調べ始めた。
井戸の管理権は、初めエレオノーラが持っていた。
しかし彼女が亡くなったあと、公爵家財務局へ引き継がれている。
「浄化装置の封印鍵は、二つ存在したようです」
セシリアが原簿の一文を指した。
「一つは事業責任者であるエレオノーラ様。もう一つは、公爵家財務局長が保管する」
「母の鍵は、今もわたくしが持っています」
ヴィオレッタが黒い手袋へ触れた。
「一度も、他人へ渡したことはありません」
「なら、もう一つの鍵を持ってる人が怪しいんじゃないか?」
財務局長の名前を確認する。
『グレゴール・ローゼンベルク』
同じ家名だった。
「こいつは?」
「父の弟です」
ヴィオレッタの顔が、静かにこわばる。
「わたくしの叔父ですわ」




