第百五話 器と呼ばれた少女
第四章 白葬公女編
第百五話 器と呼ばれた少女
「セラフィーナ公女を引き渡せ」
年長の司祭が俺へ手を伸ばす。
「嫌だ」
「これはアウレリア公爵家と大聖堂が定めた神聖な務めだ!」
「血を流して倒れるのが、神聖なのかよ!」
「祈りを受け止める者がいなければ、行き場を失った願いは災いへ変わる!」
司祭が大聖堂の下を指さす。
「病を治したい。富を得たい。憎い者を裁いてほしい。強すぎる願いは、やがて人の心から溢れ出す。それを引き受け、浄化するのが祈りの器だ」
「だったら、みんなで少しずつ受ければいいだろ!」
「誰にでも耐えられる力ではない!」
「一人なら耐えられるって、誰が決めたんだよ!」
司祭が言葉に詰まる。
俺の腕の中で、セラフィーナが小さく身じろぎした。
「離してください」
「でも――」
「司祭様のおっしゃることは事実です」
セラフィーナは震える足で立ち上がる。
「わたくしが戻らなければ、大祈念祭で集まる願いが災いとなります」
「だからって、お前が全部背負うのか?」
「そのために生まれましたから」
「お前が決めたのか?」
「……アウレリア家に生まれたときから、決まっておりました」
「それは、お前が決めたことじゃないだろ」
セラフィーナは答えられなかった。
「今は医務室へ運びます」
ユリアナが俺たちの間へ立つ。
「祈願印の再刻印は、本人への危険性を調査してからです」
「聖堂の判断へ、学生が口を挟むな!」
「私は司法侯爵家の者として発言しています。同意なき身体拘束と刻印は、王国法に抵触します」
「アウレリア公爵家の同意がある!」
「本人の同意を、ご家族の同意で置き換えることはできませんわ」
カサンドラが砕けた祈願印の欠片を拾う。
「少なくとも、こちらの契約文にはそのように記されております」
「返せ!」
司祭が欠片へ手を伸ばす。
その前へ、ヴィオレッタの黒薔薇が立ち塞がった。
「隠したいことがあるようね」
「抵抗するなら拘束する」
レティシアの足元から冷気が広がる。
司祭たちは、それ以上近づけなかった。
「皆さん、やめてください!」
階段から、透き通る声が響いた。
白と青の礼装をまとった少女が駆け上がってくる。
大司教家の娘、エステル・ラティエル。
美しい歌声で人々の心を癒やすと称賛される、聖歌の聖女だった。
「セラフィーナ様……その手は……」
血に濡れた両手を見て、エステルの顔が青ざめる。
「祈りは七聖女へ捧げられ、天へ届くと教えられていました。まさか、あなた一人へ集められていたなんて……」
「エステル様が謝ることではございません」
「ですが、先ほど皆様へ祈るよう呼びかけたのは私です!」
「知らなかったのでしょう?」
「知らなければ、傷つけても許されるのですか?」
エステルはセラフィーナの前へ膝をつく。
「ごめんなさい。私の言葉が、あなたを傷つけました」
セラフィーナは戸惑っていた。
聖女が悪女へ頭を下げる。
周囲の司祭たちも、信じられない顔をしている。
「知ったあとでどうするかが、大事なんじゃないか?」
俺が言うと、エステルは強く頷いた。
「私も、祈りの仕組みを調べます」
「なりません!」
司祭が声を荒らげる。
「聖女は人々へ希望を与える存在! 器の苦痛など知る必要は――」
「ふざけるな!」
俺より先に、エステルが叫んだ。
本人も驚いたように口元を押さえる。
「誰かの痛みを知らないまま、優しさを名乗りたくありません」
司祭たちは何も言えなくなった。
そのとき、セラフィーナの身体が大きく震えた。
「熱い……」
胸元から白い光が漏れている。
ヴィオレッタが背中へ触れ、険しい顔になった。
「祈りが、まだ身体の中に残っている」
カサンドラが祈願印の欠片を組み合わせる。
隠されていた文字が浮かんだ。
『祈願蓄積数――八百二十三』
『一千到達時、白葬を執行する』
「白葬……?」
ユリアナの声が震える。
司祭の顔から血の気が引いた。
「あり得ない。正規の祈願印は、三百を超える前に浄化されるはずだ」
「誰かが上限を書き換えたのですわ」
カサンドラが白百合の形をした小さな文字を指す。
一万人の祈りを奪い、聖都を白い炎で焼いた。
未来の記録が、また嘘だったと分かる。
セラフィーナが祈りを焼いたのではない。
千人分の祈りを押し込まれ、彼女自身が白い炎に変えられたのだ。
「残り百七十七……」
セラフィーナが呟く。
大祈念祭まで、あと三日。
けれど次に鐘が鳴れば、その三日すら残されていなかった。




