第四章 白葬公女編 第百三話 祈らないでください
誰も触れていない大聖堂の鐘が、鳴り続けていた。
「大祈念祭は三日後なのでしょう?」
カサンドラが窓の外を見上げる。
「今日は予行日ではありません」
ユリアナの顔色が変わった。
「この鐘は、祈りを捧げる合図です!」
学園中の生徒たちが、次々に大聖堂へ向かっていく。
「祈りを止めないと」
レティシアが走り出す。
俺たちも、そのあとを追った。
◇
大聖堂の前には、すでに数百人が集まっていた。
教師たちは突然の鐘に戸惑いながらも、生徒たちへ膝をつくよう指示している。
「祈りを捧げなさい!」
「きっと、七人の聖女へ奇跡が降りる前兆です!」
生徒たちが両手を組む。
その瞬間、無数の白い光が身体から立ち上った。
光は七聖女の象徴が飾られた祭壇を通り抜け、すべて鐘楼へ吸い込まれていく。
「あれは祈りじゃない」
ヴィオレッタの黒薔薇が、光へ触れた途端に枯れた。
「生命力まで混ざっているわ」
「皆、祈るのをやめてくれ!」
俺が叫んでも、誰も聞こうとしない。
「市民枠が何を言っているんだ?」
「神聖な儀式を邪魔する気か?」
「下級市民の分際で、祈りを否定するなど!」
祈る者が増えるたび、白い光も太くなる。
鐘楼の最上階。
白髪の少女が、祈るように両手を組んでいた。
セラフィーナ・アウレリア。
大聖堂の守護を担うアウレリア公爵家の令嬢。
世間では――白葬公女と呼ばれる、七人の悪女の一人。
焼け焦げた本が、頭に浮かぶ。
『白葬公女セラフィーナは、一万人の祈りを奪い、聖都を白い炎で焼き尽くした』
違う。
あいつは、祈りを奪ったんじゃない。
無理やり集められている。
「アルト、見てくださいませ!」
カサンドラが祭壇の裏を指さす。
白い契約文字が刻まれていた。
『祈願譲渡』
『七聖女へ捧げられた祈りを、指定された一名へ集約する』
「祈っている者たちは、そんな契約へ同意していません!」
ユリアナが銀の天秤をかざす。
だが、契約は消えない。
「学園への入学誓約が利用されています。式典への参加を、祈願譲渡への同意に書き換えられている!」
「また、署名の転用……」
カサンドラの顔が険しくなる。
「祭壇を壊す」
レティシアが氷の刃を振り下ろす。
しかし、白い壁に弾かれた。
『祈願中の祭壇を保護する』
「なら、鐘を止める!」
俺は大聖堂の中へ走った。
「待って、アルト!」
「また一人で行くの!?」
後ろから声が飛んでくる。
「先に行くだけだ! ちゃんと追いついてくれ!」
「それを一人で行くと言うのよ!」
◇
鐘楼へ続く階段では、聖堂騎士が道を塞いでいた。
「立入禁止だ!」
「上にいる女の子が危ない!」
「セラフィーナ公女は、祈りを受け止める器だ。これも務めの一つ!」
「手から血を流すのが務めなわけあるか!」
「相手が誰か分かっているのか?」
「知ってる! だから助けに行くんだよ!」
騎士の間を抜けようとして、簡単に取り押さえられた。
「放せ!」
「アルト。頭を下げて」
レティシアの声が聞こえ、俺は慌てて身を屈める。
頭上を冷気が駆け抜け、騎士たちの足元を凍らせた。
「怪我はさせていない。急ぐ」
「後ほど、正式に抗議を受けます」
ユリアナが金鎖で騎士たちを壁へ固定する。
ヴィオレッタの茨が階段を塞ぐ白壁へ亀裂を入れ、カサンドラが契約文字へ扇子を突き立てた。
「同意なき契約は、契約にあらず!」
白壁が砕ける。
「先へ行って、アルト!」
「ああ!」
最上階へ駆け上がった。
鐘の下で、セラフィーナは膝をついていた。
組んだ両手から血が流れ、白い光が身体を内側から焼いている。
「来ないで……」
消えそうな声だった。
「お願いです。わたくしに、祈らないでください……」
「祈ってない!」
少女が、ゆっくり顔を上げる。
「では、なぜ……ここへ?」
「祈るより、手をほどきに来た!」
俺は彼女の前へ膝をつく。
「触ったら痛いかもしれません」
「分かった」
「あなたまで、祈りに焼かれます」
「怖いけど、だからって放っておく理由にはならないだろ」
血に濡れた指へ、そっと手を添える。
「手、ほどいていいか?」
セラフィーナは何度も迷ったあと。
泣きそうな顔で、ほんの少しだけ頷いた。




