自己紹介
檻の中に落ちた雰囲気は、重く粘つくようだった。会話が成立しかけた直後だからこそ、言葉の行き場を失った空気が余計に張り詰めている。ユウヤは何か言おうとして口を開きかけ、結局閉じた。少女は翼を抱えたまま視線だけを向け、警戒を解こうとしない。
一応、ライダーとマキちゃんに今のやりとりを説明しておく。
そのとき、床に横たわる青年の指が微かに動いた。
最初は痙攣のようだったが、次に呼吸が大きく上下する。胸が震え、喉が詰まったような音が漏れた。ユウヤが反射的に振り向く。
青年の瞼がゆっくり開く。
焦点が合わない視線が天井を彷徨い、次に首だけがぎこちなく動いた。視界に入るものを順に確認していく。石壁。鉄格子。そして自分見下ろす巨大なカマキリの影。
青年の体が、ビクンとはねる。そして、理解が追いついた瞬間、彼の顔から血の気が引いた。
「……やっぱ……夢じゃないのか……」
かすれた声だった。視線が震え、涙が滲む。
「……終わった……ゴメン、アリッサ……」
抵抗も怒りもない。ただ疲れ切った絶望だった。彼は顔を背けるように目を閉じ、小さく泣き始める。嗚咽を抑えようとしているのに、肩が震えて止まらない。
檻の空気がわずかに変わった。敵意ではない。壊れかけた人間がそこにいる、という認識が全員に共有される。
そのとき、ユウヤの脳内へ静かなログが流れた。
《言語検出》
《古代語系統:近縁》
《解析可能》
《解析開始》
(こいつの言語は、翼の少女のとは違うのか……?)
《解析終了まで30レグ》
ユウヤがごくりと喉を鳴らした瞬間、足元から声が漏れた。
「そりゃ悪夢だよねー」
ハッとして、ユウヤがゆっくり視線を落とす。
「……ソネット、お前今の分かんの?」
幼虫がぴたりと固まる。
「え? あ! ま、まぁねー! なんとなく?」
ユウヤの目が細くなる。
「翻訳スキルそっち行ってんの!? ずるくね? 俺も欲しいー!」
ソネットが慌てて身体を揺らす。
「いやいや何となくだよ! 雰囲気で分かることってあるじゃん!」
「あー、空気読める系ね。確かに俺も、密室で誰かがオナラした時、何となく雰囲気で誰がしたか分かるからなー」
「何その下品で的外れなたとえ……」
ライダーが興味深そうに視線を向けるが、何を喋ってるかは分からないようだ。俺はいま何語をソネットと話してるんだ?
少女は二人のやり取りを理解できず、警戒したまま観察している。そのとき、再び脳内へ言葉が流れ込む。
《解析進行:完了間近》
《語彙照合:成功率上昇》
ユウヤが小さく拳を握る。
「お、来たか?」
脳内に短い振動のような感覚が走った。
《解析完了》
《翻訳補助:追加言語解放》
突然、青年の慟哭が“意味”を伴って聞こえた。ユウヤは即座に身を乗り出す。
「なぁ、分かるか? 聞こえてるか?」
青年の瞳が大きく開き、光が戻る。聞き慣れた言語だった。間違いなく、自分の世界の言葉。声の方向へ視線が向き、そして装殻したユウヤと目が合う。
「――ッ!?」
驚愕で息が詰まり、身体を起こそうとして激痛に顔を歪め、むせる。
「ぐはっ……、ごほごほっ!」
「悪い悪い!動くな!……落ち着いてくれ」
ユウヤが慌てて手を振る。巨大な装甲腕が動くたび、彼の恐怖が増すのが分かった。青年は荒い呼吸を繰り返しながら、震える声で言う。
「……喋った……? 虫が……喋った……」
「誰が虫やねん! ……あ! 装殻中なの忘れてた」
もはや馴染みすぎて、生身だと勘違いするほどだった。ユウヤはできるだけ優しい声を出そうと試みた。
「こんな格好してるけどさ、中身はお前と同じだ」
青年は数秒黙り込んだ後、周囲を見回した。虫人、少女、イモムシ、そして再びユウヤ。
「……じゃあ、周りのコイツらも中身は人間なのか?」
ユウヤは即答した。
「いや、虫だけどさ」
青年の顔に混乱という文字が書かれる。
「わけわかんねぇよぉ……」
彼はまたさめざめと泣き始める。ユウヤは頭を掻きながら困った顔をする。横でソネットが、軽く吹き出した。
「今の笑うとこ!?」
ユウヤがツッコミを入れると、青年がさらに混乱した表情で二人を見る。
「……虫と……会話してる……?」
状況理解が追いつかず、現実感が崩壊しかけている様子だった。
*****
檻の中には、重たい静けさが沈んでいた。横たわる青年の浅い呼吸音だけが断続的に響き、石壁に吸い込まれていく。翼を抱えた少女はその場から動かないが、視線だけは男へ固定されている。怒りとも悲しみともつかない感情が、長く押し込められていたのが分かった。
青年が小さく呻くたび、少女の指先が強く握られる。翼の縁が震え、硬い床を擦る音が微かに鳴った。
ユウヤは大の男が大泣きしているのに戸惑い、言葉を探しておたおたしている。
次の瞬間、少女が勢いよく立ち上がった。翼が広がり、檻の空気が揺れる。
「何であんたが泣くのよ!」
鋭い叫びだった。青年が驚いて肩を跳ねさせる。
「アンタのせいでこうなったのよ!アンタたちが、お父さんお母さんを、みんなを……!」
怒りの勢いが途中で崩れる。
「どうして……」
最後の言葉は涙に溶けた。少女の肩が震え、翼が下がる。
ユウヤの脳内にログが走る。
《発話言語:現代アルカディア共通語》
《翻訳経路:拡張適用》
ユウヤが目を見開く。
「うぇ!?そっちも喋れるんだ!? それにしても……今のはどういう……?」
思わず青年へ視線を向けた。彼は少女の言葉を聞いた瞬間、顔を歪めた。目を閉じ、痛みとは別の重さを受け止めるように息を止める。
「……すまなかった……」
弱々しい声だった。少女は即座に返す。
「謝っても許さないから。お父さん、お母さんを返してよ!!」
ユウヤが二人を交互に見る。
「え、ちょっと待って、どういうことだってばよ!」
沈黙だけが返る。空気がさらに沈むのを感じ、ユウヤは慌てて手を叩いた。
「一旦落ち着こう!な!? あ、ほら、緑のウンコ食べるか?」
「全然空気読めてないじゃん」
ソネットが即座に叱る。
「スミマセン……」
少女も青年も、同じ種類の困惑した顔でユウヤを見る。重苦しさがほんの少しだけ緩んだ。
ユウヤは咳払いし、強引に話題を切り替えた。
「と、とりあえず自己紹介するわ!」
勢いで言い切る。
「俺は神崎ユウヤ!そして、このキュートなイモムシが相棒のソネット!」
「あと、虫族のライダーに、マキちゃん!」
後ろからマキちゃんのカマが肩を軽く叩く。
『エルグ人だ』
ユウヤが振り返る。
「あ、エルグ人って言うんだ? ――あれ? 俺、今どっち語で喋ってた?」
脳内へログ。
《同時発声:アルカディア共通語/虫語》
ユウヤの顔がぱっと明るくなる。
「すっげ。ヴェスパ、すっげ!」
ライダーが静かに記録を続ける。ユウヤは雑に補足する。
「俺も今知ったけど、この人たちはエルグ人っていうらしいわ。怖がらなくても大丈夫……、ってのは無理か……」
少女は警戒を解かないまま様子を見ているが、少なくとも言葉が共有されている事実だけは受け入れ始めていた。一方、青年が息を整えながら口を開く。
「……本当に虫と喋れるのか……」
信じられないものを見る目だった。
「……俺は、ベネだ。ベネ・パストーレ。もともと故郷で家族と一緒にペコラの牧場をやっていたが、今は……」
ベネが言葉を詰まらせると、少女が鋭く言い放った。
「人殺しよ、そいつ」
ユウヤが思わず叫ぶ。
「ヒトゴロシ!?」
ベネが反射的に否定する。
「違う!」
動いた拍子に傷が痛み、激しくむせた。
「何が違うのよ!?」
少女の声が跳ねる。ユウヤが慌てて両手を振る。
「えーっと、つまり、この人がキミ、えーっと…」
「……クク・クングル。ククでいいわ」
「ククね!えーっと、ベネがククを殺そうとして、ここに落ちてきたってこと?」
「違うわ。こいつら、夜中にやってきて村を襲ってきたの。そして、私の家族や仲間を……!」
ベネは呼吸を整えた後、慎重に発言した。
「……殺してない」
ククの動きが止まる。
「死ぬと価値が下がるから……麻酔針で眠らせて……売るんだって……」
ユウヤが目を見開く。
「売るって、……奴隷ってこと!?」
ソネットが即座に言う。
「最っ低ー」
ベネは目を細めながら続けた。
「依頼を受けた時の説明じゃ……大きな鳥の捕獲って聞いてたんだ。まさか、伝説の有翼族が目的だったなんて……知らなかったんだ。でも前金を受け取ってしまって……」
ククの翼がわずかに緩む。抱え込んでいた腕が少し離れる。怒りは残っている。それでも、絶望だけだった瞳に別の光が差し込む。
生きている可能性という考えが入り込んだ瞬間だった。
「言い訳なんて聞きたくないわ」
ククがゆっくり立ち上がる。翼が背後で広がり、影が檻の壁を覆う。先ほどまで膝を抱えていた姿とは別人のようだった。目の奥に強い意志が戻っている。
ククはベネを真っ直ぐ見据えた。
「家族を攫った奴らの情報を教えなさい」
それは懇願ではなく要求だった。赦しでも和解でもない。ただ前へ進むための問い。
ユウヤは状況を飲み込みきれないまま呟いた。
「……なんか、俺、置いてけぼりじゃない?」
「だねw」
ソネットがクスクス笑う。
「……でも、こいつぁどう考えても救出イベント発生ってヤツだよなぁ!!」
「まだ完全に部外者だけどねw」
「辛辣ゥ!?」




