勇者と魔王
外殻が閉じ切った瞬間、ユウヤの身体がわずかに揺れた。重量が増したはずなのに、関節は驚くほど滑らかに動く。視界は変わらない。息苦しさもない。ただ、自分の輪郭が一段外側へ広がったような奇妙な感覚だけが残った。
彼は恐る恐る手を握る。感触はある。だがいつもと少し異なる。触覚が遅れて伝わってくるような違和感に、思わず肩をすくめる。
そのとき、議場のざわめきが耳へ流れ込んだ。
いや、耳ではなかった。
意味として直接理解できた。
『異種族なのに同期できてるのか?』
『翻訳機構が動作していなければ意味がないぞ?』
『貴重なアーティファクトをこの者に……』
同時に複数の声が理解できる。音ではなく“内容”が脳へ流れ込む感覚に、ユウヤは思わず頭を押さえた。
《接続確立》
《神経同期:安定》
《双方向翻訳:限定解放》
ログが静かに流れる。
混乱しているが、もう一度だけこのセリフを言いたかった。
「脳内に……直接!?」
議場がわずかにざわめく。今度は明確に反応が返った。
『発話が翻訳された』
『こっちの声も理解できているのか?』
ユウヤは目を見開く。
「え、ちょっと待って。今、俺の言葉、通じてるの?」
ライダーが驚きと安堵と興奮の混ざった声を上げた。
『はい、聞こえています! 翻訳補助が正常に作動しているようです!』
意思疎通できている。
その事実が、装甲の重さよりも強くユウヤを揺らした。
そのとき、足元から声が響いた。
「ユウヤ!!」
ユウヤは反射的に視線を落とす。
「え!? ソネット!?」
幼虫が身体を揺らしながら見上げている。
「そうだよ! やっと話せるね!」
ユウヤは数秒言葉を失った。
「あ…、ああ!そうだな、めっちゃ嬉しいぜ!それにしても、お前、結構可愛らしい声と喋り方だったんだな」
ソネットは楽しそうに身をくねらせる。
「そう?アタシはずっとこういう声と喋り方だったよ?」
「ピーにしか聞こえなかったってw」
議員たちの間に小さなざわめきが走る。外界種が幼虫と自然に会話している光景自体が異例だった。
議員たちの声が改めて議場に広がる。
『本当に同期したのか……』
『古代技術の対応力は凄まじいものだな』
『これは白兵戦用戦略兵器だぞ。今一度、再考するべきでは?』
『危険だ。排除も視野に入れるべきだ』
今度は内容が完全に理解できる。しかも自分の言葉も相手へ届いていることが分かるため、ユウヤは妙に落ち着かない。
「いや普通に聞こえてるからね!? 本人いる前で評価会議しないで!?」
数名の議員がわずかに視線を逸らした。
女王蜂がゆっくり立ち上がる。それだけで空気が変わる。
『そこまで』
低く、だがよく通る声。
姉のように場を叱る響きがあった。
『怯える気持ちは分かる。だが今は疑う時間より動く刻だ』
議員たちは静まり返る。
彼女はユウヤへ視線を向けた。その目には冷酷さではなく、状況を背負う者の覚悟が宿っていた。
『ユウヤ、だったかな?ヴェスパの着心地は如何かな?』
名前を呼ばれて、俺は咄嗟に答える。
「え? あぁ、はい、なんかしっかりフィットしてる割に、圧迫感はないっすね。モキュモキュっとして、プリって感じです」
「意味わかんない」
ソネットが笑う。
『私はこのコロニー、エルグ・ネストをまとめている議長だ。急に色々あって混乱してるだろうが、どうか話を聞いてほしい』
議長と名乗った彼女は腕を軽く組み、率直に告げた。
『我々のこの世界は今、危機に瀕している……』
脳髄に電撃が走った。本来なら異世界に来た直後に聞くはずだったこのセリフ。まさか、今この瞬間に聞けるとは……!
焦らされて焦らされて、もう半ば諦めかけてたけど、ようやく正規ルートに到達したんだ!
あー、このセリフだけでご飯何杯でもいけるよ。メシウマメシウマ……。
『……というわけだ。ユウヤ、協力してくれるか?』
また名前を呼ばれて、妄想から引きずり出される。
「へぇっ!? え? 何が?」
やばい、俺、なーんも聞いとらんかった……。
『……ふむ。まだ、翻訳機能が本調子ではないようだな。』
議長が都合良く解釈してくれてる。全力で乗っかれー!
「あ、そうみたいです!難しいことはまだ上手く伝わってこないみたいで……」
「嘘つき」
やべ、ソネットにはバレてら。
『では仔細は、タイミングを見計らって、この頭でっかちから伝えさせることにしよう。』
ライダーが『心外です』と答える。
『ユウヤ、お前は我らの希望だ。よろしく頼む。』
我らの希望、なんて甘美な響き……。コレだよ、これこれ! 俺が望んでたお約束展開!
「はい!任せてください! 勇者ユウヤが、この手で平和を……、この手……? えっ、何?この手」
初めて自分の手を認識した赤ちゃんみたいに、目の前に両手を持ってきてくるくると回してみる。
黒色ベースで白金で縁取ったイカつい手甲が視界に入る。
「俺、今どんな姿してんの?」
「かっこいいよw」
「え、まじ?勇者っぽい?」
ソネットが笑う。何わろてんねん。
『確認しますか? 姿見ではありませんが、部屋の隅に反射板があります』
「見る見る!気が利くね」
議長室の片隅へ案内される。そこには巨大な反射板が立てられていた。古代設備らしく、鏡のように磨かれている。
俺は期待に鼻息を荒くしながら、鏡の中の自分とご対面。
黒基調の外殻。鈍い金の縁取りが甲殻の輪郭を際立たせる。胸部は滑らかな曲面を描き、腹部へ向かって鋭く絞られた蜂型のシルエット。節状に分割された腕装甲、刃を思わせる前腕ライン、鉤爪を連想させる指先。
複眼を模した赤い発光バイザー。
顎のような鋭角装甲が無表情の威圧を作り出している。
背部には折り畳まれた外殻構造が静かに収まっていた。
細く締まった腰が、人間ではない輪郭を決定づける。
ユウヤが手を上げると、鏡像が完全に同期する。鏡の向こうの自分が大きく首を傾げる。
次の瞬間、議場に絶叫が響いた。
「いや、そっち系のヒーロー!?!?!?」
ソネットがまた笑ってる。意味わかってんのか?
『我らが秘宝、お気に召しませんでしたか?』
ライダーが冷ややかにいう。
「いやいやいやいや、いい!すごくカッコいい!何というか、機能美を感じるよね!キックが強そうだわ!」
ライダーは満足そうに頷き、手元のタブレットに何か入力し始めた。
俺はソネットにコソッと話しかける。
「でもさぁ、これ、なんかイメージが。何って言えば伝わるかな……」
「ユウヤ、魔王みたいだねw」
「それなーーーー!!(泣)」
議場の厳粛さと、響き続けるツッコミの温度差だけが残り、場面は静かに次の展開へと向かっていった。
*****
議長室を出た直後、空気の質が変わったことをユウヤははっきり感じていた。先ほどまでの厳粛な静けさではなく、通路ですれ違う虫人たちの視線が明確な意味を帯びて突き刺さってくる。歩くたびに道が自然と開き、誰も近づこうとしない。恐れているのか、敬っているのか、そのどちらとも判断できない距離感だった。
黒金の外殻が歩行に合わせて微かに駆動音を立てる。その音がやけに大きく感じられ、ユウヤは落ち着かなくなる。
「……なんかさ、全員ラスボス登場みたいな反応してない?」
足元のソネットが身体を揺らした。
「してるねw」
「否定してくれよぉん!」
だがさっきほど残念な気分というわけでもない。視線の中心にいる状況に、ほんの少しだけ誇らしさが混ざっているのも事実だった。俺が今まで見てきた異世界お約束展開の中には、魔王スタートっていうのも数多く見られたものだ。
そういうのも……、悪くない!
前を歩くライダーが振り返る。
『外殻が身体へ馴染むまで時間が必要です。数日は装着状態を維持してください』
ユウヤが足を止める。
「え、脱げないの?俺このまま街歩くの?」
『やはり、翻訳同期が不完全のようですので、しばらくは』
「いや、それは、あの、……はい」
ソネットがくすりと笑った。
「人の話はよく聞こうね」
「ぐぬぬ……」
視線の嵐の中、ユウヤは小さくため息をつきながら歩き続けた。英雄気分と居心地の悪さが奇妙に混ざり合い、落ち着かない高揚だけが胸に残っていた。




