第1話 先生! 帰ってくるの遅ーい!!
「はぁ……労働なんて無くなってしまえばいいのに……」
時刻は夜の八時過ぎ、私――赤葉カスミは自宅のマンションに向かって歩いていた。
夢だった小学校教師になれたけど! 現実は甘くない!! 子供たちは自由過ぎて授業を進めるのは難しいし!
先生同士の人間関係もめんどくせぇ!! もうクタクタ!!!
……でも。
『せんせぇ、おはようございまぁす! にこっ』
『せんせぇ! またあした!! えへへっ』
生徒たちの無邪気な笑顔を思い出すだけで、とっても元気をもらえるんだ。
子供の笑顔は、地球の宝だ。うん。
それに……可愛いんだ、ほんと。
「……でへへ」
おっと、いけない。思い出しただけで頬がゆるんゆるんになってしまう。
あくまでも私は教師。生徒たちのことは大好きだけど、こんな姿見せられないわ。
「ただいまぁー……」
自宅マンションの鍵を開ける。
誰も居ない空間に挨拶をした――わけではない。
「先生! 帰ってくるの遅ーい!!」
「……待ちくたびれて少しおねむですっ。……せんせいっ」
部屋の奥からドタドタと二人分の足音が聞こえてきた。
「待ってたんだよぉ! 早くご飯食べよっ♡」
「……お腹ぺこぺこ、せんせいっはやく」
漆黒のゴシックドレスに身を包み、深紅の髪をした二人の美少女が両腕にぎゅーっ♡ って抱きついてきたぁ!?
ひぃぃぃぃ! 可愛いお顔が近い!
しかもふわふわした甘い匂いで、頭がぼぉーっとしてくりゅ……。
「……あばっ」
そして――
「あばばばばーーーーっ!!!♡♡♡」
ぶしゃああああああ!!! と鼻血を出して玄関でひっくり返る。
まっ、まずい、意識が……。
「あーあっ、こんなにいっぱい出しちゃって♡」
「……おいしそう。じゅるっ」
すると二人は、私に顔を近づけて――
「じゃあ、お先にこっちを♡」
「……いただきますっ」
私の顔面に飛び散った鼻血を、その舌でぺろぺろと舐め始めた。
その感覚がこそばゆくて……ああっ……だめっ、そんなぺろぺろされたら!!!
「あ゛あ゛ーー!! あっああああーー!!!♡♡♡♡♡」
色々耐えきれなくなった私は、さらに鼻血を噴き出した。
「あはっ♡ 可愛いっ先生ぃ♡」
「……噴水みたいっ」
どうして血を舐めているのって?
実はこの二人――吸血鬼の姉妹で、お姫様なのである。
◇
「じゃーん! 今日は私たちがお夕飯作ったのよっ、感謝しなさいっ!」
「……フィランもお手伝いしました。褒めて、せんせいっ」
リビングのテーブルで待っているように言われた私の前に、二人が作ってくれたお夕飯が運ばれてきた。
今日は、ハチミツの甘い匂いがほんのりするカレーライスだ。
「わ、私のために……お料理まで……なんて良い子たちなのかしらっ!! ううっ」
「あれ〜? 先生大人なのに泣き虫さんなんだぁ♡ よしよしっ」
「……フィランお腹ぺこぺこ。早く食べよっ、ベラお姉様。せんせい。」
「ぐすっ、そうねっ。先生もお腹空いちゃったわ!」
こうして三人分のお夕飯がテーブルに並んだところで、二人は目を閉じ、手を組んで祈り始める。
「ああ、我らを導くグラルヘルト様の祝福が在らんことを」
「……あらんことを」
これが文化の違いってやつなんだなと、しみじみ実感する。
深紅のツインテールでキリッとした目つきのカベラちゃんは、お姉ちゃん。
同じ髪色のふわっふわのボブヘアで、優しいまんまるな目をしているのは、妹のフィランちゃん。
緋色の目をした二人は、吸血鬼の世界からやってきた王家『シャルハロート家』のお姫様なんだって。
とっても可愛らしい見た目なのに、二人とも何百年も生きているらしい。
こんなアラサー女よりもぴちぴちで、すごーく羨ましいわっ。
「はい、おしまいっ! 毎回やるの面倒になっちゃうわっ」
「……でも、グラルヘルト様へのお祈りは大切だから」
私は祈りを終えた二人に尋ねてみた。
「……ねえねえっ『グラルヘルト様』ってどんな人なの?」
「大昔に、世界を平和へ導いた吸血鬼の英雄! でもある日突然いなくなっちゃった……っていう、伝説なんだけどねっ」
カベラちゃんは、ツインテールを振って答える。
「そっかー、吸血鬼の歴史も色々あるのね……」
「まぁまぁ先生! カレー冷めちゃうからたべよっ!」
「……たべよ?」
おっといけない、待たせちゃったわね。
「ああ、ごめんねっ。じゃぁ……いただきます!」
「いただくわっ!」
「……いただきますっ」
三人で声を合わせ、スプーンでカレーを一口頬張る。
「んーっ!!」
甘口まろやかで労働で疲れた体に染みるわー!!
「おいっしいわっ! 天才ね二人ともっ!!」
「そんなに喜んでくれるの〜?♡」
「……フィランたちも嬉しいっ」
「そうねランちゃん! ってお口の周りに飛んじゃってるわよっ!」
カベラちゃんは、フィランちゃんのお口の周りについたカレーを綺麗に拭き取ってあげた。
お姉さんムーブがぎゃわいすぎ……。
「ん……ありがとうベラお姉様っ。ぱくぱくっ」
そう言いながらも次々と食べ続けるマイペースなフィランちゃんもぎゃわいい!
そんな眼福なお夕飯も終わり、三人で片付けをしていた。
「そういえば二人とも、今日も『あの扉』はだめだった?」
「……うん、今日もだめ」
フィランちゃんがこくっ、と頷く。
そしてカベラちゃんが、クローゼットの扉をがばっ、と開く。
「ほらねっ、今日もなんともないわっ」
中には私のお洋服だけがかけられている。
なんのへんてつもないクローゼットだ。
「うーん、そっか。ごめんねっ」
「先生が謝ることないわっ! こうして私たちを追い出さないでいてくれてるんだもん!」
「……一緒にいてくれて、嬉しいっ」
二人は、ぎゅっと目を瞑って笑顔で答える。だけど、どこか影を感じた。
「……私も、一緒に居てとっても楽しいわ。帰る方法が見つかるまで、いつでもいて良いからねっ」
私は二人を優しくぎゅっ、と抱きしめる。
数日前――二人は『クローゼットの扉』から飛び出てきた。
二人いわく「偶然、人間界と吸血鬼界が繋がった」らしい。
でもあの時の二人は、右も左もわからない世界で困っていた。
今にも泣きそうな顔をしていたフィランちゃんに、そんな妹を慰めながらも、自分も涙を堪えていたカベラちゃん。
困っている子がいるのに、助けない大人がどこにいる。
だから私は、この二人と暮らすことに決めたんだ。
「先生、苦しいよっ。もう♡」
「……せんせい、ぽかぽかする」
ちなみに、私が学校の先生をしてるから、二人は私のことを「先生」と呼ぶのが気に入ったらしい。
「わわっ、ごめんごめん。じゃあお片付けの続きしよっか!」
そして、二人の元気な「はーい」が部屋に響いた。
◇
「ふぃ〜、仕事の疲れが癒やされるわ……」
片付けの後、二人は「お風呂はお先にどーぞ!」と言ってくれたのでお言葉に甘えることにした。
「……吸血鬼ねぇ」
私の血を吸う――正確には、私が出した鼻血を美味しそうに舐めているのを見れば、人間でないのだと納得せざるを得ない。
「……生きてると色んなことがあるわね」
ぼそっと呟きながら、身につけている緋色の宝石をあしらったペンダントを眺める。
実家から貰って今も大切にしているけど、なんだかあの子たちの目と似ているわね。
なんて考えていたら――
ばぁんっ!!
「先生っ! お背中流すわよっ!♡」
「……わよっ?」
お風呂場に二人が飛び込んできた。
……一糸纏わぬ姿で。
「二人ともっ!? ちょっ!?」
びっくりして、浴槽から立ち上がってしまう。
「先生にはとぉ〜ってもお世話になってるから、ご褒美あげるのよっ♡」
「……人間界の労働……ものすごく大変そうだから、フィランたち癒したい」
じりじりと迫る二人。ご褒美って、そんな美少女二人がいるだけで私には……でへへっ。
「……じゃない! 待って! それ以上は……!!」
「あれれ〜? どうしてそんなに顔真っ赤なの〜? それにそんなじっくり見ちゃってぇ〜?♡」
「……先生のえっち」
すると二人は両腕にぎゅーっと抱きついてきた!
待って待って待って、今はその、素肌が、すべすべで……。
それにカベラちゃんのつつましいツンとした胸と、フィランちゃんの大きなお胸に腕が挟まれて……むにむにでぇ……まっ、まずい……!
「……あばっ」
そして案の定。
「あばばばばばっーーーーーーーーーー!!!!!!♡♡♡♡♡♡♡♡♡」
ぶっしゃぁぁぁぁぁぁあああああ!!!
私は完全にオーバーヒートし、玄関の時とは比べものにならない勢いで鼻血を噴き出して――
「あばばばばぼぼぼぼぼぼぼーー……」
サムズアップをしながら浴槽に沈んでいった。
「わぁーー!? 先生っ! 流石にヤバイわよこれっ!?」
「……お風呂が真っ赤……きれい」
「ってランちゃん!? 冗談言ってないで先生を引っ張るわよ!! せんせーい!!!」
沈みゆく中、二人の騒がしい声が聞こえた。
こうして私は、突然日常に現れた吸血鬼お姫様姉妹との楽しい生活を送っている。
――こんな毎日あばばしてたら……私死んじゃうかもしれないけどねっ。
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