5.お願い
「あ、あなたは……!」
フィーナは少女を見て、驚きに目を見開いた。
先ほど――人混みの中で会った少女がそこにはいた。
もはや、会ったという表現すら微妙なところで、少女がハンカチを落とし、フィーナが拾った――それだけの関係。
だからこそ、驚きを隠せない――何故、こんなところに少女がいるのか。
少女はちらりとフィーナの方を見て、口を開く。
「さっきはありがとう」
「……え?」
「ハンカチ、拾ってくれたから」
少女の感謝の言葉を、すぐに理解できなかった。
だって――状況はそんな場合ではないのだから。
だから、フィーナは少女の感謝に応じる前に――咄嗟に声が出る。
「に、逃げて! この人達は――」
「大丈夫だよ」
フィーナの言葉を遮るようにして、少女は言い放った。
大丈夫――この状況を前にして、どうしてそんな言葉を口にできるのか。
その疑問の答えは、目の前にあった。
「……お前がやったのか?」
大柄な男が、少女に対して問いかけた。
気絶している細身の男に、突然姿を見せた少女――それが導き出す答えは一つしかない。
フィーナもようやく理解する――細身の男を一撃で倒したのは、目の前にいる少女なのだ、と。
「そうだけど、見えなかった?」
「っ……!」
少女は挑発でもするかのように言い放ち、男の表情は怒りに変わった。
だが――それでも冷静なようで、すぐに動き出すことはない。
「……お前一体、何者だ?」
大柄な男が、少女に対して問いかけた。
確かに、そう尋ねるくらいには冷静ではあるが――先ほどまでフィーナを追い詰めていた余裕はもう、そこにはない。
鋭い視線で少女を睨みつけていた。
そんな視線を受けても、少女は平然としている。
それは――少女にとっては、目の前の男など敵ではないと態度で示していて。
「……?」
問いかけられた少女はすぐには答えない――答えるつもりがないのかと思えば、何やら小声で呟きながら、考え込むような仕草を見せていた。
「何者……か。前に読んだ本に……そういうのがあったし」
「何を言ってる?」
男が疑問を口にするのも無理はない――ただ、少女は一人、納得したように頷く。
そうして、しばしの静寂の後――
「通りすがりの――正義の味方、かな」
そう――少女は言い放った。
その言葉を受けて、また驚いたのはフィーナだった。
「正義の、味方……?」
フィーナが繰り返すと、ちらりと少女が視線を向ける。
「? どうかした?」
「今、正義の味方って……」
「うん、言ったけど」
「――ふざけてんじゃねえぞっ!」
少女とフィーナの会話を遮るように――大柄な男は怒りに満ちた声を上げた。
そして、勢いのままに駆け出し、少女へ向かって拳を振り上げる。
振り下ろされた拳は、地面を割るほどの威力を見せた。
おそらくは拳に魔力を込めている――単純だが、それだけの破壊力。
当たれば、少女の命を奪うに十分な威力があるだろう。
だが――振り上げた拳の向かう先に、すでに少女の姿はなかった。
フィーナも、少女のことを見ていたはずなのに、一瞬見失ってしまったのだ。
そして――気付けば、少女じゃ身軽な動きで高く跳躍していた。
壁を蹴って移動しているのか――相当に高い身体能力を有している。
そして――少女は落下の勢いと共に、男の顎の辺りを思い切り蹴飛ばした。
「――ッ!」
ぐらりと、大柄な男の身体が揺れる。
だが、まだ倒れない。
地面を踏みしめて、再び少女のことを睨んだ。
「頑丈だね」
少女はそう呟くと、さらに空中で回転しながら――踵を男の頭頂部に勢いよく叩きつけた。
ぐるん、と男は白目を剥く――だが、まだ追撃は終わらない。
少女はそのまま勢いよく高く飛び上がると――すでに意識をほとんど失っている男の後頭部にも、追い打ちをかけるように蹴りを食らわせる。
まるで曲芸のようで――フィーナはただ、呆気に取られていた。
一つだけ――はっきりとしていることがある。
少女が圧倒的に、男達よりも強いことだ。
大柄な男は、少女からの強力な打撃を三発も受けて、意識を保つことはもうできない。
ふらふらと、二、三歩歩いたかと思えば――そのまま前のめりに倒れ伏した。
あっという間に二人の男は、少女一人にやられてしまった。
「……ふぅ」
少女は小さく溜め息を吐くと、それぞれ倒れ伏した男の呼吸を確認する。
そして、何やら一人で納得するように頷いた。
「よし――そういうことはしない約束だからね」
どうやら、呼吸を確認していたようだ。
フィーナは少女に助けられた。――そう理解して、フィーナはすぐに立ち上がると、少女の下へと駆け寄る。
「た、助けてくれてありがとう!」
「ん、まあ――」
「あなた、強いのね!?」
「えっと、それなり――」
「正義の味方って本当!?」
「わっ、ちょっと、何……?」
温度差――フィーナのテンションに対して、少女は随分と困惑した様子を見せた。
フィーナは賞の態度を見て、ハッとした表情を浮かべる。
「ご、ごめんなさい。その、つい興奮してしまって……」
「いいけど。怪我はない?」
「大丈夫よ。その……どうして、助けてくれたの?」
フィーナは少女に問いかけた――はっきり言えば、フィーナと少女に面識はない。
ただ、一つだけ期待している答えがあって。
「もしかして、正義の味方だから、とか?」
「いや……さっきのは思いついた言葉を適当に言っただけ」
「そ、そうなんだ」
フィーナは少しだけ、がっかりとした表情を見せる――だが、助けてもらっておいて見せる態度ではない、とすぐに切り替えた。
「理由なら……まあ、さっきハンカチ拾ってくれたから、そのお礼」
フィーナの答えに、少女は少し驚いた。
「お礼って……ハンカチを拾っただけで?」
「そう、拾っただけで。だから貸し借りはこれでなし」
確かに、彼女が落としたハンカチをフィーナは拾った――ただ、それだけだ。
フィーナとしては当たり前のことをしただけで、貸し借りというのがよく理解できていない。
だが、仮にそう考えるのだとすれば――ハンカチを拾ったことに対して、あまりに大きな礼を受けたことになる。
これで借り貸しなし、というのはあまり釣り合わないのではないだろうか。
「じゃあ、わたしはこれで――」
少女はそのまま、フィーナの下を去ろうとする。
そんな少女の手を、咄嗟にフィーナは掴んでしまった。
「まだ何か?」
「あ、その、本当に、助けてくれて、感謝してるから」
「? だから、貸し借りはなしでいい」
「そうじゃなくて……いえ、そういう意味なら、私のお礼が足りないというか」
「……よく分からないけど、いつまで手を掴んでいるの?」
少女は怪訝そうな声を漏らした。
フィーナは勢いのままに手を掴んでしまったが――確かに、このままではフィーナはただ怪しい人物になってしまう。
指摘されて、すぐに手を離そうとして――けれど、フィーナは逆に握りしめるようにして尋ねる。
「……あなたのお名前は?」
「名前? リオ・ルーエンだけど」
「リオ――あなたはどうして、この帝都に?」
「どうしてって……仕事を探しに来ただけ」
「!」
フィーナは目を輝かせた。
これはまさに運命の出会い――そうとしか思えない。
フィーナは少女――リオの手を握ったままに、目を真っすぐ見据えて言う。
「仕事を探しているのなら……お願いがあるの!」
「……お願い?」
リオは怪訝そうな表情を浮かべていた。
助けた相手とはいえ、まだであったばかり――いきなりこんなことを言われたら、無理はないだろう。
けれど、彼女が仕事を探しているというのなら――フィーナはもう、心に決めていた。
「私のメイドにならない……!?」
「――メイド?」
リオはまた、眉間に皺を寄せてその言葉を繰り返していた。
助けてくれた相手をメイドに誘う――フィーナ自身、おかしなことを言っているとは思う。
けれど――それが二人の出会いだった。




