3.厄介事
――それから随分と長い月日が流れた。
少女――リオ・ルーエンは十五歳の誕生日を迎えて、一人で『ロンズウェル帝国』の帝都に足を運んでいた。
背負っているのは、少し大きなカバンが一つ――模様の入った帽子を被りながら、リオが目を通すのは帝都の地図だった。
地図にはいくつか赤色のマーキングがしてあり、これからリオが訪れようと思っている場所だ。
ただ、こうした人の多い場所に一人でやってくるのは初めての経験で。
「んー……うん? んん……?」
一人――唸るような声を漏らしながら、地図を上下に反転させたり、意味もなく上に持ち上げたりしている。
そうして、リオが周囲を見渡すと――人、人、人の波。
おそらくは何かしらのお店であろう看板を見ても――今、手に持っている地図と比較して、得られる情報はなかった。
「うん……帝都は広いね」
ぽつりと、リオは人混みの中で――理解したように声を漏らした。
広いだけでなく人も多い――リオは年齢に対して身長が低めであるため時折、前からやってくる人にぶつかられそうになる。
――とはいえ、地図を見ながらでも、リオにとっては人を避けるなど難しいことではなく。
前からやってくる人々を次々と避けてながら歩いていると――ポケットに入れていたハンカチを落としてしまった。
「あっ」
これは正直――油断していた。
リオはすぐに気付いて拾おうとするが、それよりも早く動いた人物がいた。
人混みの中で、リオがハンカチを落としたことに気付いたのは偶然だろう――その上で、こんなに行き交う人々の中で、わざわざハンカチを拾おうとする者がいるとは、思いもしなかった。
――一人の少女が、リオのハンカチを拾い上げて言う。
「これ、落としたよっ」
お互いに人混みの中で流されそうになりつつ、少女は笑顔を浮かべながらリオにハンカチを手渡した。
随分と可愛らしい顔立ちの少女だった――一瞬、目線が合って、すぐにリオは口を開く。
「……ありが――」
「気を付けてねー!」
リオがお礼を言おうとすると――少女はそんな言葉を言い残し、気付けば人混みに流されるように遠くへと行ってしまっていた。
リオは人混みを避けながら移動できるが、やはりあのように流れに身を任せることになる者も少なくはないのだろう。
――この大通りは特に商店なども多く、時間帯によっては混雑するようだ。
店の前で商品を見学しようと足を止める者もいて、それが人混みを作る原因にもなっている。
この人の多さは――同時に帝都が繁栄していることを表していると言ってもいいが。
そんな人混みに逆らうのも難しい状況――ハンカチを落としたリオに対して、わざわざ手渡してくれるような少女がいる。
帝都はあまり、他人に関心を持たない者が多いという認識であったが――随分と優しい子がいたものだ、とリオは思わず感心した。
――おそらく、リオなら気付いてもわざわざハンカチを拾ってやるかどうかも怪しいところだというのに。
ただ、少女はリオがお礼を言う前に――人混みに飲まれてどこかへと行ってしまったが。
ここで追いかけてわざわざお礼を言うべきか――ほんの少しだけ考えて、
「……とりあえず、ここは早く抜けようかな」
リオの結論はそうなった。
ハンカチを拾ってくれたことには感謝しつつも、わざわざ追いかけてお礼を言うような話ではないだろう。
別に、リオにとって追いかけることは難しいことではない。
けれど、そこまでする意味はない――そういう結論だ。
リオはそう決めて、また人混みを避けて進み始めるが、
「――」
人混みを抜けようとした時――たった今、すれ違った人物に違和感を抱く。
これほど人波の中を、まるで何事もないかのように歩いて進んでいく男の姿があった。
それだけなら別にそこまで気にはならない――リオだって人混みの中を縫うように移動する技術を持っているのだから、他にそういうことができるだけの人間だと考えれば、それほど不思議なことではないだろう。
問題は――男が気配を殺しているということ。
これほど人が行き交う中で、気配を殺すなど――明らかに異様だ。
(何のつもりか知らないけど……)
ただ、気配を殺したところで――リオならそれも察知できてしまう。
そういう技術を身に着けたから、気付いてしまうわけで。
只者ではない――そんな男が狙っているのが、誰なのか。
男が向かう先には――先ほど、リオにハンカチを拾ってくれた少女の姿があった。
(なるほど――標的はあの子か)
随分と距離は開いているが、男の狙いをリオは把握した。
気配を殺し、少女を狙う――そこまで理解したところで、リオはまた周辺の気配を探る。
他にも似たような気配を放つ者がいることに気付いた。
おそらくは二人組――一人は人混みの中にはいない。
どうして少女が狙われているのか――当然、リオの知るところではない。
ただ、少女と接した時間はわずかだが、彼女はおそらく追手には気付いていないだろう。
つまり――放っておけば、少女は何らかの危害を加えられる可能性がある。
こうした気配に気付けるというのは面倒なもので、そこまである程度――起きることが把握できてしまうのだ。
(――明らかに面倒事だし、厄介事だね)
そこまで理解した上で、リオの結論はこうだった。
――少なくとも、少女が何者か分からない上に、少女を狙う二人組についても一切正体は分からない。
どちらにせよ関わることは得策ではない――そう考えるのが普通だろう。
幸いというべきか、リオは男達の異様な気配を察知しているが、向こうはリオに気付いた様子はない。
今なら問題なく、人混みを抜けることができるだろう。
少女に対しては、ハンカチを拾ってもらった礼はある――だが、逆に言えばそれだけだ。
その程度のことで――分かりきった面倒事に関わる必要はないだろう。
(帝都に来ていきなり厄介事に首を突っ込むのは、たぶんレイシアに怒られるし)
心の中でそう呟いて――リオは男達から視線を外す。
そのまま人混みに紛れて、やがてリオの姿はどこかへと消えていった。




