29.平気じゃない
――フィーナはリオの肩からの出血に気付いたのだ。
(……しまった)
リオのミスだ――フィーナに見つかる前に、先に部屋に戻って着替えるべきだった。
すぐに、傷を隠すような仕草を見せる。
「これは――少し事故に遭っただけで。大したことはありません」
「じ、事故って……あっ、それより治療しないと……っ」
フィーナはすぐに近くにいたメイドに声を掛け、清潔な布や水を用意するように伝えた。
この場で治療をするつもりなのか――これくらいの傷なら、慌てる必要はない。
「これくらい平気――」
「平気じゃないっ!」
――珍しくフィーナが怒鳴った。
リオは思わず、押し黙る。
すぐに、フィーナは冷静になったようで、ハッとした表情を浮かべる。
「……ごめんなさい。怒るつもりはなくて」
そうして、申し訳なさそうに言った。
――別に、フィーナは何も悪いことはしていない。
「いえ」
「……とにかく応急処置をして、すぐにお医者様も呼ぶから。ここに座って」
フィーナに促され、リオはすぐ近くにあった庭園での仕事中に使う休憩用の椅子に腰かけた。
フィーナはずっと、心配した様子でリオに寄り添う。
「……事故って、何があったの?」
フィーナはそんな風に問いかけてきた。
その表情は不安そうで――よく見れば、手が震えている。
リオはここでようやく気付く――彼女にとってみれば、こうした身近な人間の怪我はトラウマに繋がれるのではないか、と。
だから、リオはすぐにフィーナの手を取って答える。
「近くで馬車の荷物が落下して、肩を掠めたんです。でも、傷は浅いですから」
「――本当に?」
フィーナは重ねて、リオに問いかけてきた。
彼女は決して鈍いわけではない――リオのわずかな感情の変化にも気付くくらいだ。
リオが何か隠して、誤魔化しているのではないかと考えている。
「いきなり私を抱きかかえて屋敷に戻ったり、急に姿を消したり――何かあったと思うのが普通だよ」
「実は――旦那様に頼まれ事をしていたことを思い出して」
「頼まれ事?」
「はい。先ほどの呼び出しもその件だったんです」
「そう、なの。私には言えないこと?」
「――はい、すみません」
アーノルドからの頼まれ事――それを理由にすれば、多少の無理は効くようだ。
リオとしては咄嗟に出た言い訳であったが、フィーナもそれ以上追及するつもりはないようで。
「……でも、怪我をしたんだから無理をしてはダメよ」
「ご心配をお掛けして申し訳ないです」
「リオが謝る必要はない、けど」
フィーナは純粋にリオの怪我を心配している。
応急処置を受けて――念のため医者も呼ぶことになったが、リオの予想通り傷はそこまで深くはなく、治療も早くに終わった。
(――一先ずはどうにかなったけど……)
治療を終えた後――自室に戻って、リオは今日の出来事を考える。
次に何を仕掛けてくるか――どうあれ、今までの刺客と同じに考えていてはならないことだけは確かなのだ。
***
帝都の外れにある廃墟――そこにロット・アルダンと始末屋の姿はあった。
だが、二人は対峙するように向き合っている。
特に、怒りの表情を見せているのはロットだ。
「どういうつもりだ?」
「どういうも、これが僕の仕事なんだよ。そうそう、君が戦ったリオという女の子――確かに、あれに負けたのなら納得するよ」
「――お前、喧嘩売ってるのか?」
ロットは始末屋の言葉に露骨に苛立ちを見せた。
負けたのは事実であれ、そのことを口にすればロットが怒るのは当然のこと。
だが、始末屋は飄々とした態度を変えない。
「そんなに怒るなよ。僕だってまともにやり合うのは避けたんだから」
「復讐の機会を与える――そう言ったはずだが、どうして俺を使わなかった? あの程度の連中じゃ、足元に及ばないことは分かっていたんじゃないのか?」
「まあね。も、僕にも相手の実力を確かめる機会くらいあってもいいだろう? それに、これはあくまで雇い主の命令だからね」
「……ちっ」
雇い主の命令――その言葉を聞いて、ロットは舌打ちもしつつも引き下がらざるを得なかった。
ロットは傭兵――あくまで仕事を受けた以上は命令には従う。
「僕達の目的はあくまでフィーナ・ヴェルターの身柄だよ。その後――アーノルド・ヴェルターに交渉を持ち掛ける。――とはいえ、あのレベルの護衛がいるとなると、簡単に誘拐もできそうにないね」
「……あの小娘の実力に関しては、俺もよく理解している」
ロットは苛立ちつつも――リオに対して敗北した事実は認めている。
油断していたことは確かだが、仮に全力だったとしても勝てるかどうか分からない。
リオはそれほどまでに底知れない相手だからだ。
(……だが)
ちらりと、ロットは始末屋に視線を向けた。
男か女か――性別も分からないような人物だが、リオ以上に底知れない。
実際、捕まった刺客を全て始末しリオとも交戦した上で――無傷で戻ってきたのだ。
今のロットにもう油断はない。
どんな相手だろうと、勝つ自信はある――だが、頭の中では何度か思い浮かべた。
目の前の人物に、勝つ姿が想像できないのだ。
「確かに機会を与えるとは言ったけれど――僕も彼女には興味が出た。どっちが殺っても恨みっこなしということでどうかな?」
始末屋は不意に、そんな提案を口にした。
「……いいだろう。俺もやりたいようにやらせてもらうがな」
ロットもまた、その提案を受け入れる。
その方が、ロットとしても自由に動けるという考えだった。
「――遊び感覚でやられても困るのだがね」
コツコツと、靴を鳴らす音を響かせながら――初老の男が姿を見せた。
着飾った服装に、護衛を複数人連れている。
本来、こんな場所に姿を見せるはずはない――男もまた、貴族であった。
男の名はリーゲル・クロウレス――いわゆる過激派を主導し、ヴェルター家と対立している。
クロウレス家もまた、帝国貴族としては有名である――武器商人との繋がりも深く、裏で取引をすることで特に戦争では多くの利益を得た者の一人だ。
表立って――アーノルドとは対立関係にある。
おそらくは、アーノルドもリーゲルには警戒しているだろう。
それを理解した上で、リーゲルは行動をしているのだ。
「狙いはアーノルドの娘――フィーナを攫い、我々の主張を通すことが真の目的なのだよ」
「過激派って呼ばれてる割には攫うだけか」
ロットの言葉に、リーゲルは小さく溜め息を吐く。
「何も分かっていないな。過激などという言葉は周りがそう呼んでいるだけ――我々こそが帝国の革新を担う者なのだよ。保守的な考えではこの国はいずれ衰退する。だから、ヴェルター家にも我々の側についてほしい、それだけのこと」
アーノルドの暗殺などは目論んでいない――リーゲルにとっては邪魔者であるが、欲しているのはアーノルドを含めた勢力なのだ。
そして、アーノルドには娘という明確な弱点が存在する――その身柄を得ることで、リーゲルはアーノルドに改めて交渉を持ち掛けようとしているのだ。
――同じ派閥の同志になろう、と。
「……まあ、俺にとってはどうでもいいことだが」
ロットは興味なさげに言い放った。
――別に、帝国の政治的な問題に関心があるわけではない。
ロットが狙うのはただ一人――リオという少女だけだ。




