第八十八話 照らした光と、その裏にあった闇
平手で張られた左頬を抑えながら、固まったままの体勢でエカテリーナ様を見やるアレン殿下。それもほんの一瞬、アレン殿下の瞳にみるみると涙が溜まって行く。
「……アレン、アリスに謝って。冗談でもなんでも、女の子に手を上げるなんて発言、しちゃ駄目」
「は、母上はそいつの味方なんですか!!」
「そいつじゃない。アリス」
「そんな事はどうでもいいんです!! 俺が聞いているのは、そいつがやった事に対するお咎めが一切なしなのはおかしいって言ってるんです!!」
「……貴方は何を言っているの?」
やれやれと言わんばかりに首を左右に振るエカテリーナ様。そんなエカテリーナ様の仕草に、アレン殿下の顔が真っ赤に染まる。それは、呆れられた事に対する羞恥か。
「何を言っているのかは母上の方です!!」
――怒りか。勢いそのまま、アレン殿下は言葉を続けた。
「確かに、ワイズのした事は褒められることではありません!! それは分かります!!ですが、最初に手を出したのはそいつですよ!? しかもドロップキックなんて、明らかにやり過ぎじゃないですか!! 違いますか、母上!!」
「……それは否定はしない」
……あ、否定はしてくれないんですね、そうですね。
「でも、さっきも言った通り非があるのはワイズ。そもそも、ワイズが抗議してくるのならいざ知らず、貴方が抗議するのはおかしい」
「それを言うなら、そいつが最初に手を出したのだっておかしいでしょう!! 絡まれていたのはリリアーナ嬢であって、そいつじゃない!!」
「アリスはリリーの寄親の家系。寄親が寄子を守るのは当然」
「なら、俺だってワイズの友人だ!! もし、俺が王になった時はワイズは臣下になる! そんな臣下を守るのだって王になるものの役目でしょう!!」
「……」
アレン殿下の言葉に、口を噤むエカテリーナ様。そのまま、何かを迷う様に視線を左右に彷徨わせると、困った様にアレン殿下に視線を戻した。
「……アレンは、王になりたいの?」
「な、なりたいとかなりたくないという話ではなく……可能性の話をしているんです! 俺だって父上の子供だ! そ、それは……た、確かに今は兄上には敵わないでしょうが、何時かは俺だってジーク兄上に勝てるかもしれないじゃないですか!!」
「……ジークを支えて……王の補佐として、頑張って行こうという気は無いの?」
「っ!! は、母上は、俺が王の器では無いと仰るのですか!!」
まるで、縋る様なそんな瞳。そんな瞳を見ながら、私はエカテリーナ様に視線を向けて。
「……少なくとも、女の子に簡単に手を上げる様な子は、王に向いていない」
……あかんって、エカテリーナ様。それ、考えられる最悪の言い方だって。
「っ!」
ぐっと歯を食いしばり、下を向くアレン殿下。そんなアレン殿下の頭をエカテリーナ様はゆっくりと撫でた。
「ジークは、少なくともそんな事を言う子じゃなかった。ジークもアリスにお腹を蹴られた事もあったけど、蹴り返そうなんて、暴力を振るおうなんてこと、考えて無かった」
「……」
「……これ以上、私をがっかりさせないで、アレン。大丈夫。私は知っている。貴方は、本当は良い子なの、私は知って――」
「――がっかり?」
エカテリーナ様の言葉を遮るよう、アレン殿下が下に向けていた顔を上げる。その瞳に宿る色は暗く、まるで世界の全てを恨んでいる様な、憎んでいる様な色をしていた。
「あ、アレン殿下?」
「……アレン?」
アレン殿下の纏う雰囲気の変化に、エカテリーナ様も思わずひるむ。そんなエカテリーナ様を一瞥すると、アレン殿下は乗せられていたエカテリーナ様の手を乱暴に払った。
「……良く言うよ!! 母上、がっかりなんかしてない癖に!!」
「あ、れん?」
「ジーク、ジーク、ジーク……いつだって、母上はジーク兄上ばっかりだ!! 俺の事なんて、全然、期待も何にもしてない癖に!! 『ジークが王になったら、アレンが支えてあげて』って、言ってた癖に……ジーク兄上にしか、期待なんかしてない癖に!!」
「そ、そんな事ない!!」
「そんな事ある!! 母上は俺の事なんて何にも期待してない癖に、希望なんて全然持ってない癖に……その癖に!!」
きっと、エカテリーナ様を睨んで。
「――『期待』もしてくれなかったくせに、勝手に『がっかり』なんてするなぁ!!」
「っ!!」
エカテリーナ様が息を呑んだのが分かった。元々色白のエカテリーナ様の肌の色が、青白いを通り越して土気色に見える。
「お前もだ、アリス・サルバート!!」
そんなエカテリーナ様を見ていると、今度は舌鋒が私に向かう。
「お前と婚約を結んでから、ジーク兄上は変わった!! お前が現れるまで、『母上』は俺の『母上』だったんだ!! お前が現れて、俺の世界は全部、全部壊れたんだ!!」
ガツン、と頭を鈍器で殴られた様な衝撃が走った。そんな私に構わず、アレン殿下は一気に捲し立てる。
「お前がくるまで、俺は幸せだったんだ!! 格好いい父上、優しい母上、何時でも遊んでくれる兄上に囲まれて、俺は幸せだったんだ!! 全部……全部、お前が来たから!! 俺の前に現れたから!! だから……だから!!」
――俺は、『不幸』になった、と。
「――俺はアリス・サルバート、お前の事を絶対に許さない!! ずっと……ずっと、恨んでやるからな!!」
この世全ての怨念が籠った様な視線を最後に向けて、アレン殿下は私に背を向けて部屋を出て行った。
……なんでだろう?
アレン殿下の閉めたドアの音が、いつもより重く響いた気がした。
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