74話 「全部お兄さんのせいだよ」。閉ざされた結の部屋と、ハンマーを握るモブ男の件
「駄目だ。電話に出ない」
眉間に皺を寄せ、湊はスマホをしまった。既読スルーされてから何度か電話をかけてみたが、状況は変わらなかった。
「嫌な予感がする。すぐ家に戻らないと」
「あたしたちも行くよ、みーくん」
暦深が言った。隣では、鋭理と福音も頷いていた。
それから湊たち4人は、急いで部屋を出た。
「おや、出かけるのかい? そろそろお菓子を持っていこうと思ったんだけど」
リビングで、和宏が目を丸くした。涼子は再び仕事に出かけたようで、姿がなかった。
和宏がさりげなく切り出した。
「福音。遊びに行くなら、お父さんが車を出そうか? せっかくお友達が勢揃いしているなら、少し遠出してもいいし――」
「大丈夫です。行ってきます」
「そ、そうか。行ってらっしゃい」
やや気落ちした様子で、和宏が娘を見送った。
玄関から出たあと、暦深が言った。
「パパさん、さすがにちょっと可哀想じゃない?」
「今は湊君と結さんの方が大事です」
福音が口を尖らせた。
「それに、お父さんが湊君の自宅を知ったら、なんやかんやちょっかいをかけてきそうな気がしますし。そうなったら身内として恥ずかしいです」
「パパさん可哀想だけど……まあ自業自得かなあ」
苦笑しながら、暦深はちらりと湊の背中を見る。
彼は福音の家を出てから、無言のまま前を歩いていた。大股で、急くような足取りだった。
5、6分ほど歩いたところで福音が遠慮がちに声をかけた。
「湊君。お父さんの車を断った私が言うことではないのですが……急ぐならタクシー拾いませんか? 駅前大通りまで出れば、すぐ見つかると思います」
「いや、いい。もう着く」
「え!? そうなんですか!? 湊君の家は、意外とご近所さんだったんですね」
辺りを見回し、福音が嬉しそうに言う。
湊は黙ったままだった。
「……そういえば、みーくんと会ったのもこのあたりだったよね」
湊にだけ聞こえる声で、暦深が囁いた。
暦深はタイムリープ前に湊と会っている。更地と化した家の場所を、覚えているのだ。
やがて、湊の自宅が見える場所までやってきた。
「ミナト、ストップだ。コヨミたちも」
ふと、鋭理が湊たちを引き留めた。そのまま、皆を路地まで引っ張る。
不満げに顔をしかめた湊に、鋭理は言った。
「ミナトの家は、ここから1軒先のあそこか?」
「そうだが……いったいどうした、鋭理」
「2階の窓からコウヘイが見えた」
バッと路地の角に身を寄せる湊。
自宅の2階をうかがうと、ちょうど誰かがカーテンを閉めるところだった。
暦深と福音も、湊の後ろから家を見る。
「えーりん、本当なの?」
「ああ。一瞬だが、間違いない。あの骨格はコウヘイのものだ」
「顔じゃなくて、骨格で判断できるんですか!?」
「何を驚くことがある?」
「何で驚かないと思ったのかな……」
「コウヘイの顔などもはや興味もないが、あいつの身体つきは何年も見てきたから覚えているんだ。猫背気味なのに胸を張ってるアンバランスさ、間違いない」
「待って。何でこーへーくんがみーくんの家の中にいるの?」
「わからん」
3女神はカーテンの閉められた窓を見る。
「あそこは、結の部屋なんだ」
塀の角から自宅をうかがいながら、湊が呟く。
結の部屋にはベランダがなく、窓には花手すりが設置されている。窓もカーテンも閉められ、内部を見ることはできない。
湊はすぐにスマホで電話をかけた。しかし、今度も繋がらなかった。
「航平君が、結さんの部屋に?」
「いくらユイが奇人変人でも、コウヘイと自室に招き入れるなんて軽率なことはしないだろう。彼女は、ミナト以外の男に興味がないはずだから。私と同じで」
「……ってことは、まさか。こーへーくんが、ゆいちーを?」
暦深が呟いた直後、湊が物陰から飛び出す。
それを、鋭理と福音がふたりがかりで止めた。
「湊君! 気持ちはわかりますが、いきなり踏み込んだら危険です! ここ最近の航平君の言動、見てきたでしょう?」
「だが! 結にもしものことがあったら、俺は何のために……!」
「落ち着け、ミナト。私たちがいる」
3女神で一番強い力を持つ鋭理が、いきり立って自宅に突入しようとする湊を抑えつける。
彼の首元を撫で、鋭理は告げた。
「心拍が速すぎる。これでは成功する作戦も成功しないぞ。私に考えがある」
「鋭理……?」
「意外そうな顔だな。こう見えて、私たちの中では一番成績がいいのだぞ?」
にやりと笑った鋭理は、すぐに真剣な表情になった。
「前に言っただろう。私たちはお前を助ける、支えると。今がそのときだ。私たち4人が揃えば、できないことはない」
協力してくれるか、と鋭理は暦深と福音に言った。
ふたりの少女は力強く頷いた。
「作戦はこうだ」
顔を寄せ、鋭理は自らの考えを告げた。
◆◆◆
「やっべえ。女の子の部屋、初めて入ったかも」
興奮を隠しきれない様子で、航平は呟いた。幼馴染たちの家に行ったことはあっても、せいぜいリビングまで。彼女たちの部屋には入らせてもらえなかったのだ。
人生初の快挙を成し遂げたような気分になり、航平は胸を張って息を吸い込んだ。
どこか甘い香りに、理性の糸がさらに一本、また一本と切れていく。
カーテンを閉め切った部屋の中は、敢えて灯りをつけずに薄暗くしていた。ぬいぐるみも、化粧品も、勉強道具も、ぼんやりと輪郭が見える程度だ。
その方が、興奮する。
航平は薄ら笑いを浮かべ、ベッドを見た。
そこには、手足を縛られ、口元を粘着テープで封じられた結が横たわっていた。
いつもは強気で兄を見返す目が、今は恐怖で揺れていた。
航平は悪戯心を出した。手にしたもの――日曜大工で使うハンマーを振りかぶる。
「……っ!!」
結がギュッと目を閉じ、身体を縮こまらせた。
航平は笑った。他人が、しかも幼馴染に匹敵するほどの美少女が、自分の思いどおりに反応をする。それを見るのは、実に愉快だった。
結に、身だしなみを気にする余裕はない。身を守るために身を縮こまらせたことで、彼女のスカートがめくれていた。
薄暗闇の中で、結の白く滑らかな太ももがぼんやりと浮かび上がる。
見えそうで、見えない方が、興奮するのだ。
初めて入る女子の部屋で、積年の恨みを晴らす方が、興奮するのだ。
「全部、君のお兄さんが悪いんだよ、妹ちゃん……。恨むなら、天宮湊を恨んでくれ。な?」
航平の足元にあるトートバッグには、ロープや粘着テープなどが詰め込まれている。その中には、タオルでくるんだ包丁もあった。
航平は自分の頬を撫でる。
「それにさ。君も抵抗したじゃん。痛かったぜ。ちょっと鼻血出た。これ暴力だよね。だからおあいこだ。これからは俺のターンってことで……文句、ないよね?」
ぶんぶんと首を横に振る結。
彼女の恐怖心を弄ぶように、真似して首を横に振り、笑う航平。
そのとき、航平のスマホが鳴った。
暦深からの着信音だった。




