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69話 「君を嫌いになれて、よかった」。モブ男との完全決別と、特別な『親友』の件


 心を折られ、抜け殻のようになった母親を見て、暦深は空を見上げた。零れる涙をこらえるように何度か瞬きをして、「はぁ」と熱のこもったため息を漏らした。

 湊は、暦深の肩を抱く手に力を込めた。


「大丈夫か」

「……うん」

「よく言った。俺は暦深を誇りに思う」


 一瞬だけ微笑んだ暦深は、「まだだよ」と答えた。

 再びスマホの画面に向き直る。


「まだ通話を切っちゃ駄目だよ、こーへーくん」

『こ、暦深……お、お前……』

「さっき伝えたでしょ。あたしはこーへーくんにも言いたいことがあるんだって。ママと同じくらい、あたし、こーへーくんにも我慢させられてたから。ぶつけたいの、すごく」

『お、俺はただ、美沙子さんに頼まれてこの場をセッティングしただけだ! も、もういいだろ。このくらいで――』

「今、通話を切ったら一生、軽蔑する。こーへーくんとは二度と話さないから」


 通話を切って逃げようとした航平に、暦深が太く鋭い釘を刺す。

 血色を失った顔で、航平が恐る恐る画面内に入ってきた。

 暦深は大きく深呼吸をし、そして口を開いた。


「あたし、ずっと思ってたんだけどさ。こーへーくん、あたしのこと傷つけ続けた自覚、まったくないでしょ?」

『へ……? 俺が、暦深を傷つけた……?』

「ほらね。昔からそうだった。パパとママが離婚する前から、こーへーくん、あたしのことずっと馬鹿にしてたでしょ。何て言ってたか、覚えてる?」


 無言だった。暦深はため息をつく。


「『人付き合い悪いんじゃないか、お前』『汚い格好だな。何で新しい服買わねーの?』『いっつもへーこらして、気持ち悪い』……そうそう、中学生になったらこんなことも言ってたよね。『お前、ブラのサイズいくつ?』って。モラハラにセクハラのオンパレードだ。マジ最悪」

『そ、そんなこと俺は……いや、言ってたとしても、暦深は全然怒らなかったじゃないか!』

「そうだね。何でだったと思う? ……あたしね、ママの影響で『誰かの役に立たないと生きてる価値ない』くらいに思ってたんだ。でさ、近くにちょうどいい子がいたわけ。特に何かができるわけじゃない、いつもいつも他人に甘えてばかりの幼馴染が」


 暦深が虚無的な笑みを浮かべる。

 航平の取った行動は実に滑稽だった。青白い顔のまま、ゆっくりと自分の顔を指差したのだ。


『それって、俺のこと?』

「そう。あたしはこーへーくんの世話を焼くことで、自分の心を守ってたんだ。だからこーへーくんにあれこれしてたのは、こーへーくんのためじゃないの。全部、あたし自身のため。こーへーくんは、あたしの自己肯定感を上げるための道具だったの。ごめんね」

『道具……俺が、暦深に、利用されてた……?』

「そう、道具。でもおあいこだよね。こーへーくんも、周りに自慢するためだけにあたしをそばに置いてたんだもの。あたしだけじゃない。えーりんも、ねねっちもそうだ。3女神がトロフィーなんて、さぞ気持ちよかったでしょうね、こーへーくん的にはさ」

『お、俺はそんなこと――』

「ない、とは言わせない。えーりんとねねっちの両方から突き放されたときの、キミの態度がその証拠。ふたりともね、もう嫌になったんだ。こーへーくんにいいように利用されるだけの関係が。そして――あたしも同じ」

『待て……待ってくれ、暦深。待って!』

「あたしの身体しか興味のなかったこーへーくんが嫌だった。あたしを馬鹿にして悦に入ってたこーへーくんが嫌だった。そんなこーへーくんを道具に使ってたあたし自身も嫌だった。だから……互いに騙し合ってた幼馴染の関係は、これでおしまい」

『暦深!!』

「さよなら、こーへーくん。最後に君をきちんと嫌いになれて、よかったよ。じゃあね」


 蒼白になった航平の顔が画面に近づく。

 暦深は決別の意思を込めて、スマホの電源を切った。


 そして、スマホをぽいっと空に放る。

 夕暮れ時の陽光を反射しながら、驚くほど美しい放物線を描き、スマホは庭の雑草の中に沈んだ。


 それは、暦深にとっての儀式だった。

 呪縛を解き、偽物の関係を終わらせるための儀式。

 心の荷物をまとめて放り投げる代替行為だったのだ。

 

 暦深は立ち上がると、思い切り背伸びをした。雑草の中からスマホを回収し、それから後ろを振り返って、今は誰も住んでいない空き家を見上げる。


「ホントだ。みーくんの言ったとおり、何も起こらないや。タイムリープすることもないし、ママに怒られることもなかったし、地獄に戻ることもなかった。ぜーんぶ、あたしの取り越し苦労だったんだ」

「公爵は嘘言わない」

「ふふっ、そうだね!」


 暦深はすっきりした表情を見せた。


 今、呪縛は完全に取り払われたのだ。暦深自身の意思と言葉で、それを成し遂げたのだ。

 湊は、眩しげに目を細めながら、成長した親友を見つめた。


 その後、空き家を出たふたりは、暦深の自宅へと歩き始めた。心の呪縛を脱ぎ捨てた暦深の足は、軽かった。


「今日のこと、パパに話そうと思う。さすがに、何の相談も対策も取らないのはマズいと思うしさ」

「俺も同席しよう」

「ありがと。でも大丈夫。もうママのことを話しても怖くないから。何も変わらないってわかったし」


 暦深が路上で立ち止まり、湊の手を取る。


「みーくん。タイムリープしてまで、あたしを助けてくれてありがとう」

「こちらこそだ。ホクロの君を救えたことで、俺の心もずっと軽くなった」

「あたし……あたしね? これからはちゃんとみーくんと付き合うよ。特別な人として」


 まっすぐ湊を見つめながら告げる暦深。

 夕暮れの朱と、それ以上の赤に染まった顔を前に、湊は力強く頷いた。


 ふと、暦深の手が伸びて、湊の頬をつねった。

 突然のことに目を白黒させる湊に、未来のホクロの君は言った。


「いま、『俺と暦深は親友だからな』とか思ったでしょ?」

「すごいな、当たりだ。でも、ただの親友じゃないぞ。最高等級の親愛を込めたつもりだ」

「だと思った。ま、グダグダしてた暦深さんにはこれくらいの距離感がお似合いなんだろーけど」


 手を離す。暦深の顔が近づいてきた。


「ねえみーくん、悪い子になったあたしに、幻滅しない?」

「しない」

「これからも、そばで見守ってくれる?」

「ああ。もちろんだ」

「よろしい。暦深さんはそれだけで超嬉しいです。今は、ね」


 両手で湊の頬をうりうりと撫で、暦深は明るい笑みを見せた。


「みーくんはあたしを救ってくれた。だから今度は、あたしがみーくんの家族の絆を守る番だね」

「頼りにしてる」

「世話焼きな『親友』の暦深さんに、任せなさい!」


 そう言うと、暦深は湊の腕に自分の腕を絡め、勢いよく走り出した。



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