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68話 「さよなら、ママ」。いい子から悪い子へ。呪縛から解放された世話焼きギャルの件


『あなた、いったい誰?』


 美沙子の口調が一気に刺々しくなった。表情も険しくなり、化粧で隠していた眉間の深い皺がはっきりと浮かび上がる。

 湊は怯まなかった。


「こんにちは。自分は天宮湊といいます。暦深さんの親友です」

『親友ですって?』

「はい。美沙子さん、でしたね。この際、はっきり言わせてもらいます。あなたは離婚後、親権を失っていますね。今、暦深を守り育てているのは父の誠一さんです。美沙子さん、あなたは母親として、娘の幸せを後押しする立場にあっても、娘に助けてもらう資格はありません」

『ちょっと、あなた。いきなり横入りしてきて、何を訳の分からないことを――』

「娘を利用するなと言っているんだ、この卑怯者」


 きっぱりと告げる。湊自身、驚くほど冷淡で鋭い口調になっていた。

 一回りは年下の高校生の威圧感に、美沙子が怯む。

 すると、美沙子を押しのけて航平が画面に顔を近づけてきた。


『またお前か、天宮!』

「それはこちらの台詞だ、相沢。いい加減学習しろ。これまでのことはすべて、お前の自業自得なんだ」

『うるさい! ――美沙子さん! こいつの言葉を聞いちゃ駄目です。この男は、俺たちから暦深を引き剥がそうとしている極悪人なんですよ! 暦深は天宮に洗脳されているんだ。暦深だけじゃない、鋭理も、福音も!』


(言うに事欠いて、洗脳とは。それはお前の方じゃないのか、相沢)


 湊は思った。

 ビデオ通話でよかったかもしれない。もし対面であったなら、背負い投げのひとつでも決めて、黙らせていただろう。

 今の暦深に、『洗脳』という言葉は辛すぎる。


 ちらりと暦深を見た。

『ホクロの君』は、いつもの世話焼きギャルの表情に戻りつつあった。青ざめ、渋面を浮かべる母親とは対照的に、どこか達観した、静かな雰囲気を放っていた。


 今なら、暦深は彼らを断ち切れる。


 湊は励ましの意味も込めて、もう一度強く暦深の肩を抱いた。スマホを握る暦深の手に、自らの手を重ねる。

 驚いた表情をする暦深の耳元に、湊は囁いた。

 

「今こそチャンスだ、暦深。自分の口で伝えろ。母親や相沢を手助けするつもりはないと。誰かの役に立たなければいけない、その呪縛を解き放つには、元凶である彼らに直接想いをぶつけることが必要なんだ」

「想いを、ぶつける。役に立たないといけない自分を、解き放つ……」


 暦深の横顔に、一瞬、複雑な色が浮かんだ。

 今度こそ生まれ変われるんじゃないかという期待。

 役に立つことを拒否すれば、また地獄に逆戻りするのではないかという不安。


 ふたつの感情の間で葛藤している。

 そんな親友の背中に、湊は最後の一押しをした。


「安心しろ、俺がついてる。彼らを助けなくても、あの地獄には戻らない。だって、俺たちはこうして再び会えて、親友になれたんだから」

「みーくん……」

「未来は変えられる。いや、もう変わったんだ。後戻りなんてしない。俺が引っ張り出してやる」


 暦深の顔から、迷いが消えた。

 大きく深呼吸をする。そして、静かにスマホの画面を見据えた。


『おい、天宮! 暦深に何コソコソ言って――』

「こーへーくん、そこどいて。ママに話せない」

『暦深、俺はお前のために』

「どいて。あとでたっぷり、こーへーくんに文句を言わせてもらうから。今は邪魔」

『こ、暦深!?』

「どいてって言ってんの」


 ぞんざいな言い方に、航平が言葉を失う。彼の顔に、冷や汗が浮かんだ。「あ、いや」「その」と意味のないつぶやきを漏らす。

 おそらく、鋭理や福音に面と向かって拒否されたときのことが頭をよぎっているのだろう。


 やがて、航平はフレームアウトした。画面が微妙に揺れている。スマホを握る航平の手が、動揺で震えているのだ。


 暦深は、美沙子の顔を真正面から見据えた。娘の視線に射すくめられ、美沙子は猫なで声を出した。


『こ、暦深ちゃん? そんな怒らないで。ね?』

「その表情キライ」

『え……』

「都合が悪くなったら、その作り笑いで、すぐ誤魔化すよね。それでさ、あたしがヘマしたときにも笑うんだよ。いかにも『娘のためです』みたいな笑顔でさ、あたしをなじってきた」

『そんな、誤解よ。暦深ちゃん』

「誤解なんかしてないよ。だって、ママの猫かぶり、あたしにまで移っちゃったもの。そうしないと、ママは絶対満足しなかったから」


「もう忘れちゃったよね、ママだし」と暦深は肩をすくめる。

 美沙子はひどくショックを受けた様子だった。


『ま、まさか……あの暦深ちゃんが。あんなにいい子で聞き分けのよかった暦深ちゃんが、ママにこんなひどいことを言うなんて』

「幻滅した? あたし悪い子でしょ。けどね、これが本来のあたしなの。もうママの呪縛でいいこちゃんを続けるのはうんざり。ママにもうんざりなの」


 母親にとって悪い子であること。

 それを暦深自身が認めること。

 呪縛を断ち切るために、避けては通れない。


「あたし、ママにとって悪い子だからさ。ママを助けることなんてできないんだ。ママが今とても苦しいのは、ママ自身のせいだよ。あたしじゃどうにもできないし、どうにかしたくない」

『あ……、あ……!』

「ママにはずっと苦労させられてきた。もう、ママの言いなりになってたあたしじゃない」

『こよみちゃ……』

「もうあたしとパパに関わってこないで。さよなら、ママ」


 娘の言葉が、母の心を折り、呪縛を断ち切る。

 美沙子は、その場に力なく崩れ落ちた。



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