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64話 「役に立たなきゃいけない」。世話焼きギャルが世話焼きの呪縛に囚われた元凶を語る件


「ねえ、みーくん」

「どうした」

「気持ちよくて寝ちゃいそうだから、ちょっとお話してもいい?」

「眠ければ眠った方がいいぞ」

「ううん。また今朝みたいな悪夢を見るとイヤだから」


 湊の首に回した両腕に、きゅっと力が入る。


 おんぶされながら自宅へと向かう途中で、暦深は湊の耳元で囁くように語り出した。


「夢の中身はね、昔のことなの。あたしのパパとママが別れたときの話。うち、ママのほうから出てったんだよね。パパが大変だったのにさ」

「そうだったのか」

「うん。みーくんと出会ってからは、ママが出てくる夢を見る回数が減ってたんだけどさ。最近、また夢に出てくるようになった」


 暦深は、猫が自分の匂いをつけるように、湊の後頭部に自らの額をこすりつけた。


「たぶん、こーへーくんがママの件を口にするようになったからだと思う。あの人、うちの両親が一緒だったころのことを知ってるから」

「……相沢め。また無神経なことを。そばで聞いていたら止めたのに」

「だよね。たぶんこーへーくん、それがわかってるから、あたしとふたりだけのときを見計らってそういう話をしたんだ。『母親のこと忘れるんじゃねえよ』とか、そんな感じのこと。最近、よくそう言ってくるようになった」


 熱に浮かされたように、ため息を吐く暦深。


「たぶん、ママの話題を出せばあたしが弱るのを知ってるんだと思う。自覚あるんだ。あたしってさ、メンタルヤバめなときほど誰かの役に立とうとするから。こーへーくん、それを利用したかったんじゃないかな」

「最低だな」

「うん。ほんと、最低。全部やり直したくなるくらい」


 全部やり直したくなる。

 その言葉は、湊の胸に強く刺さった。

 同時に、航平に対して強い怒りを覚える。


(鋭理や福音との関係が悪くなって、相沢は相当焦っているんだろう。だから、3人の中で一番友好的な暦深を手放したくないんだ。暦深の心の弱さにつけ込んでまで……いい加減にしろ、あいつ……!)


 バス停が近づいてきた。

 時刻表を確認しようとした湊の服を、暦深が引っ張った。


「ねえ、みーくん。少し、寄り道してもらえる?」

「今のお前に必要なのは、自宅でゆっくり横になることだぞ?」

「お願い」

「……わかった。どこに行けばいい?」


 鞄を抱え直した湊に、暦深は「ありがと」と言った。


 バス停を後にした湊は、暦深の指示に従って住宅街を歩く。

 暦深たちと出会って2ヶ月と少し。その間、色々な場所を一緒に回ったが、この辺りはまだ一度も足を踏み入れたことのないところだった。


「着いたよ」


 ふと、暦深が言った。湊は思わず「ここが目的地なのか?」と尋ねた。背中で暦深が頷く気配がする。

 たどり着いたのは、閑静な住宅街の一角にある戸建ての家だった。

 ただ、玄関には『売り物件』の札がかけられている。無人の家のようだ。

 しばらく手入れがされていないようで、玄関の周りは雑草が生い茂っている。これから本格的な夏になれば、足の踏み場もなくなるかもしれない。


「ここはね、昔住んでた家なんだ。パパと……ママが、離婚する前まで」


 暦深が地面に足を着く。自分の荷物を背負い、家の敷地に入った。


「ようこそ、みーくん。かつての我が家へ。何もないけど、こちらにどうぞ」

「……お邪魔します」


 暦深の意図がわからなかったが、湊は敢えて何も聞かず、彼女の後に続いた。


 空き家の玄関から右手に回り込むと、そこはベランダに面した庭になっていた。子ども用の遊具が、風雨の汚れとサビと雑草にまみれている。


 湊と暦深は、ベランダに並んで腰掛けた。ジャージだから、尻が多少汚れても問題なかった。


 よく晴れた6月の空は、呆れるほど爽やかだ。時折吹き下ろす風が、荒れ果てた庭の草木を揺らしてさらさらと音を奏でる。


 まるで、意識が過去に飛びそうなほど長閑だった。


「ねえ、みーくん。手、握ってもいい?」

「ああ」

「いつもより温かいね」

「ずっと暦深を支えてたからな」

「あ、それあたしの太ももだな? みーくんのエッチ。でも、何だかいいね。安心する」

「何なら、このまま昼寝してもいいぞ。さあ、我が膝を使うがよい」

「ふふ。さすが公爵様、気前がいいね。それに優しい。みーくんはずっとそう」

「本当に横になっていいんだぞ。俺は大丈夫だ」

「膝枕、すごく魅力的だけど、いい。その代わり、お話、しよ? これから話すことは、まだ誰も伝えたことがないの。みーくんには……みーくんだから、聞いてほしい」


 同意の代わりに、握る手に力を込める。


 暦深は、静かに告げた。


「あたし、ママに虐待されてたの」

「虐待……」

「うん。あたしのママってさ、性格キツくて。専業主婦だったんだけど、家のことはだいたいあたしがやってた。やらないと怒られたんだ」


 空を見上げながら、暦深はこの家に住んでいたころのことを語った。


 暦深の実母は、美沙子といった。


 彼女は暦深に似た美人だったが、物事の捉え方や言動にやや癖がある人物でもあった。

 暦深の幼少期から、時折ご近所とトラブルを起こしていたらしい。

 時折パートに出るくらいで、ほぼ専業主婦だった美沙子は、家事全般が苦手だった。暦深は物心つくころから家事を手伝っていた。昔、テレビでやっていた『はじめてのおつかい』と同じことを、暦深は日常的にこなしていたのだ。


 美沙子は、特に対人関係でストレスが溜まると、よく暦深に「もっとお手伝いしなさい、皆の役に立ちなさい」と強い口調で叱った。


 暦深は、母の要望に応え続けた。家では母とふたりで過ごすことが多かったから。


「今から考えると、あたしが皆の役に立つ良い子ちゃんになれば、うちの家族に対するご近所さんの態度も優しくなると思ったんだろうね。ママは」

「子どもをダシに使うか……」

「そういう人なんだよ」


 ヤングケアラーとしての暦深は、このときからすでに始まっていたのだ。


 父の誠一は、暦深の味方であり続けた。けれど、有名企業の第一線で活躍していた彼は、その分、家にいる時間は限られていた。じっくり話し合いの時間も取れない。暦深のことになると、どうしても美沙子と口論になってしまった。


 それでも、美沙子は誠一と夫婦であり続けることを選んでいた。戸建ての一軒家を建てられるほど、誠一の収入は安定していたから。


 しかし、暦深が中学2年生のとき転機が訪れる。


 誠一が事故で大怪我をし、これまでのように働けなくなったのだ。

 車椅子生活になった誠一を、暦深は必死に支えようとした。役に立とうとした。

 その一方で、美沙子は夫を見限った。家を出てしまったのだ。


「あたしは、そのときにママから呪いをかけられたんだよ。誰かの役に立ちたい、立たないといけない。そうしないと、『生きていくことが許されない』って」

「関係が切れたわけじゃなかったのか」

「違う。ママはあたしを……引き取っ……て――」


 暦深が言葉を切る。

 湊と握った手が、ブルブルと激しく震えていた。化粧をしていても隠せないほど、顔はこわばり、血の気が引いていた。


 湊は、暦深の肩を抱いた。


「4秒呼吸だ。俺に合わせてゆっくり息をしろ」

「……えーりんが見たら嫉妬しそう」


 こんなときでも彼女の口から漏れる軽口は、暦深を縛る呪いがいまだ健在であることを表していた。

「役に立て」と言い続けた母親なら、「泣き言を言うな」と強要していたとしても、まったくおかしくない。


 暦深が落ち着くまで肩をさすって寄り添いながら、湊は彼女が呟いた言葉が気になっていた。


(『生きていくことが許されない』に、『ママはあたしを引き取った』……か)


 俯きながら青い顔で深呼吸を繰り返す暦深の横顔。それは、どこか既視感を覚えるものだった。



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