63話 「みーくんのエッチ」。背中に感じる柔らかな感触と、親友を二度と見捨てない公爵の件
湊は無意識のうちに、暦深の肩に手を置いていた。「自分はここにいる」と訴えるように肩を掴む手に力を込め、「だからひとりになろうとするな」と鼓舞するように軽く揺すった。
それは、湊自身に言い聞かせているようでもあった。
しばらくして、暦深が言った。
「前に、ね。進路について悩んでいたとき、相談したことがあったんだ。この部屋で」
暦深の手が湊の手の上に重ねられる。
「みーくんも知ってのとおり、あたしのパパ、車椅子でシングルだからさ。お金とか進路とか、まあその、色々不安が溜まっていたワケですよ」
「そうか。そうだよな」
湊は頷きながらも、内心では疑問を持った。
(俺たちはまだ高校1年生だ。このタイミングで進路指導の力を借りていたのか)
言葉には出さない。
湊の内心を知ってか知らずか、暦深はやや早口になって続けた。
「実は、最近の暦深さんはあまり眠れてなくてですね。病は気からって言うじゃん? 寝不足だと昔のあれやこれやを思い出すことが増えて……この先どうしようかって思うようになったわけさ。ぜんぜんそんなそぶりなかったっしょ、あたし?」
「すっかり騙された。皆もそうだろう」
「ふふん、でしょ? 暦深さんはこの道で百戦錬磨のプロだからさ。いわばチートキャラなわけですよ」
「まあ、耐久力がもう少しあればよかったな」
「そこなんだよねえ。限界超えると、あっという間にしおしおのしおちゃんになっちゃって……『どうしたらいいのかわからない』『でも誰にも会いたくない』って思ったら、自然とここに足が向いてた」
要は逃げたんだ、と彼女は呟き、膝に額を当てた。
湊は手を離さず、じっと暦深の言葉に耳を傾けた。口調は軽くても、これは暦深の魂の悲鳴だと直感したからだ。
ひとことだけ、湊は告げた。
「すぐに気づけなくて、悪かった」
暦深の肩と手に、ぐっと力が入る。
顔を伏せたまま、彼女は言った。
「誰かのお世話になるのは、ほんと申し訳ない。あたしがムリになる。だからあたしはひとりで大丈夫。……大丈夫じゃなきゃいけないんだ」
「じゃあ、俺はもう一度暦深に言おう。俺は暦深のおかげでひとりじゃなくなったし、暦深は俺がひとりにさせない。一番しんどいときに味方がいることで、どれほど救いになるか、俺は身に沁みて知っているから」
「……パパが怪我したときにも、言ってくれたね。それ」
「俺は、苦しむ親友を前にして何もできないなんてこと、もう二度としたくないんだ」
「……メイク崩れる」
そう言ったきり、暦深は再び黙り込んだ。時折、嗚咽が漏れた。湊は暦深の肩を抱いた。
どのくらいそうしていただろうか。
窓の外から、もうすぐ昼休憩が終わるとアナウンスが聞こえてきた。
「昼飯、食べ損ねたな」
「あんま食欲ない」
「じゃあ休息一択だ。確か暦深の出場競技は午前中のうちに終わってたよな。なら、クラスの皆に迷惑はかからない」
暦深が顔を上げた。顎を膝の上に置き、両目をこする。涙でメイクが崩れ、目の下の隈が露わになる。
「やっぱりしんどいから、早退する。みーくん、お願いがある」
「なんだ」
「家まで付き添って」
「わかった。公爵に任せろ」
暦深を横から支えながら立ち上がる。
それから湊たちは、一度自分たちの教室に戻った。着替えはせず、荷物をまとめて教室を出る。
「ほら、これを羽織ってろ。顔が隠れるように」
「みーくんのジャージ……何だかお忍び芸能人みたい」
「今はあんまり注目されたくないんだろ?」
「……みーくんの匂いがする」
「何か言ったか?」
「ううん。何でもない」
暦深の手を引いて、自販機のある1階へ。飲み物を買って暦深に渡してから、湊はひとり本部テントへと向かった。スマホを回収するためだ。
保管箱からスマホを取り出した運営委員は、なぜか恐怖の表情を浮かべた。
「昼休憩中、ずーっとバイブが鳴ってて怖かったんですけど」
「すみません」
スマホを受け取って履歴を確認する。
すると、鋭理、福音、そして結からのメッセージがそれぞれ入っていた。
【鋭理】:姉さんたちに呼ばれて、保護者テントにいる。コヨミは見つからなかった。そっちはどうだ?
【福音】:鋭理さんから聞きました。私も探すの手伝います。今、どこですか?
【結】:ねえなんで? なんで無視するの?
【結】:そんなにお弁当美味しくなかった? それともなんか怒らせた?
【結】:ねえ。ねえってばねえ!
【結】:失礼します。結さんがそろそろ限界のようなので、ひとことフォローしてあげてくださいまし(伊月旗)
「呪われてませんよね? 襲撃とかありませんよね? 体育祭で刃傷沙汰は勘弁ですよ?」
「身内がすみません。あと、その不安はホラーの見過ぎかと思います」
「なんだ……ちょっと期待したのに」
「やめてくれ」
本部テントで教師に早退の旨を伝え、鋭理と福音には『公爵くんちの親友さん』経由でメッセージを送った。
【湊】:暦深を送ってくる。後のこと頼む。
【鋭理】:わかった。ミナトの競技に私が出られないか交渉してみよう。
【福音】:橘高さんたちには私から伝えておきます。暦深さんのこと、よろしくお願いします。
親友たちからの返信に、湊は頼もしく思った。詳しく言わずとも、暦深のつらさを感じ取ってくれたのだ。
ちなみに、結には「今度ふたりで出かけよう。体育祭を頑張ったご褒美だ」と送ったら、ぴたりとメッセージが止まった。落ち着いたらしい。
暦深のもとへ戻る。彼女は自販機の横で座り込んでいた。
「暦深、お待たせ」
「みーくんの飲み物、買っておいてたよ」
紙パックのコーヒー牛乳を差し出す暦深。湊が買ったジュースを、彼女は飲んだ形跡がなかった。
こういうときでも、暦深は相手の役に立とうとする。その呪縛のような強情さを、湊は解いてやりたいと思った。
ふたり分の荷物を手に、湊は背を向けてしゃがんだ。
「ほら」
「え……」
「ふらつくんだろ。おぶさってくれ」
「みーくんのエッチ」
「そうだな。お前をおんぶできるなんて幸せだ。だからおぶさってくれ」
「そっか。みーくん、私といて幸せなんだ」
暦深が「よかった」と小さく笑う気配がした。
柔らかなふたつの感触を背中に感じながら、湊は暦深をおんぶする。
午後の号砲を聞きながら、ふたりは学園を出た。




