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60話 絆を体現したバトンパス。親友への誇りを力に変えてアンカー公爵が爆走する件


 入場門からトラックへ入る。

 いよいよ、スウェーデンリレーの本番だ。


 走者によって距離が変わるスウェーデンリレーでは、リレーの受け渡し場所がバラバラだ。

 福音が走る3走と、湊が走るアンカーの4走は待機場所が違う。


 運営委員の案内でそれぞれの待機場所へ分かれるとき、湊は親指を立てて、福音を鼓舞した。

 福音は力強く頷く。それを見て、彼女はもう大丈夫だと湊は確信した。


「マジになっちゃって。ダセぇ」


 2走の航平が、湊に聞こえるように声を上げた。湊も言い返した。


「福音に恥をかかせるなよ、相沢少年」

「んだと!?」


 いきり立つ航平を、運営委員が鬱陶しそうに注意した。


 ――1走が位置に付く。

 号砲が鳴った。


 湊のクラスの1走は、運動の苦手な男子生徒だった。他のクラスがそれなりに足の速いメンバーを揃えてきたせいもあり、彼は100メートルの短い距離であっという間に最後尾になってしまった。


 そして、2走の航平にバトンが渡る。

 ダントツの最下位で走り出した航平は、明らかにやる気のない顔だった。走りも、まるで適当に流しているようだ。

「何でこんなことしなきゃいけないんだ」と不満に思っていることが、湊にもはっきりと伝わった。


「相沢の奴……」


 湊は苦々しく思った。

 今回のリレーには、福音が配信者として今後も活動していけるかがかかっている。いくら福音が頑張ろうとしても、前の走者がいい加減な姿を見せれば、特に福音の母親が快く思わないだろう。

 その意味で、航平は福音の未来を現在進行形で踏みにじっている。


「相沢、走れ! 最後まで走りきれ!」


 湊は声を張り上げた。

 航平が舌打ちしたように、湊には見えた。

 結局、航平の走りは最後まで変わらなかった。


 前の走者とかなり距離が開いた状態で、航平が福音のところまでやってきた。


 バトンパスのとき、航平が福音に何か告げた。彼が口元に薄ら笑いを浮かべているところを見て、湊は航平が何を言ったかを察した。


「恥ずかしいだろ? お前も適当に流せよ」――おおかた、そんなところだろう。


 バトンを受け取った福音は、すぐには走り出さなかった。

 航平を真正面から見据え、真剣な顔で彼女は声を上げていた。


「そういうのはよくないと思います」――口の動きから、福音がそう航平を叱りつけたのだとわかった。


 航平を睨み付けてから、福音は勢いよく走り出した。取り残された航平は、ばつの悪い顔をしていた。


(この期に及んでも、福音なら自分に同調してくれると思っていたんだろうな。どこまでも残念な奴だ)


 3走の距離は300メートルある。前の走者との差はさらに開いていて、ほとんど福音の単独走だった。


 かつての彼女なら、航平以上に萎縮していたかもしれない。全方位から集中するリアルの視線に耐えきれず、最悪、走るのを止めた可能性もあった。


 しかし、今の福音は違う。

 たとえ好奇の視線にさらされたとしても、彼女は諦めなかった。

 湊のアドバイスを忠実に守り、橘高たちから教わって磨いた走り方で、賢明に地面を蹴る。


 親友の頑張りに報いるため、湊は声を張り上げた。


「練習通り――いや、それ以上の成果が出ている! いいぞ福音! そのまま行け!」


 すると、湊に続くようにテントの一角から福音への大声援が飛んだ。その中心にいるのは橘高たち精鋭リレーメンバーだった。


 声が届いたのか、福音が歯を食いしばり、もう一段ギアを上げた。


 湊は保護者テントを振り返る。福音の両親の姿を探した。

 彼らは最前列で、立ち上がって福音を見ていた。


 父親の和宏は、クラスメイト同様に声援を送っていた。

 そして母親の涼子はサングラスを取り、目を大きく見開いて娘の走る姿を見つめた。まるで、生まれ変わった我が子に衝撃を受けているように。


 福音はグラウンド上で躍動した。

 航平によって開いていた前の走者との差が、どんどん縮まる。


 アンカーまで、残り50メートル。


 前を行く小柄な男子生徒が、狼狽えたように後ろを振り返った。その生徒は、運動が苦手なことがはためにもわかるような走りをしていた。

 それでもクラスのためにと歯を食いしばる男子生徒。


 しかし、慣れない走りに加えて無理に後ろを振り返ったことで、身体のバランスが崩れてしまった。

 足を絡ませ、派手に転倒してしまう。

 観客から悲鳴が上がった。


 福音が近づいてきても、その男子生徒は起き上がれない。足をどこか痛めてしまったようだ。

 間もなく、福音が追いついた。


 すると彼女は、走りを緩め、倒れた男子生徒の横で立ち止まった。

 そして手を伸ばし、「立てますか?」と声をかけた。


 教師が手を貸そうと近づいたところを、福音は止めた。男子生徒の手を取り、互いに肩を支え合う。

 そのまま、湊たちが待つアンカーのもとまで2人でゆっくりと歩を進めた。


 思わぬ展開に観客や生徒はどよめき、やがて大きな声援と拍手が沸き起こった。


 瑞穂学園のスウェーデンリレーは、勝敗よりも仲間とともに頑張ることが大事である。

 福音は、最下位ながらその本質をもっとも体現した姿を見せたのだ。


 バトンパスエリアで待つ湊は、感動と誇らしさで胸がいっぱいになった。きっと福音の両親も一緒だろうと彼は思った。


(さすが俺の親友だ)


「福音、あと少しだ。ふたりとも頑張れ!」


 湊は手を伸ばし、声で福音たちを鼓舞する。

 すでに走り終わった生徒たちも、福音と男子生徒に声援を送った。


 そして、ついにそれぞれのバトンがアンカーに渡される。


 赤いバトンがしっかりと湊の手に収まる。わずかに福音の指先と触れ合った。


 男子生徒からバトンを受けたアンカーは、そのまま一気に走り出した。


 一方、湊はバトンを手にしたまま、福音と男子生徒の肩を抱いた。


「よく頑張った」

「湊君、あとはお任せします」

「ああ」


 ふたりから離れ、コースに向き直る。


「この公爵に任せろ」

「はい!」


 グラウンドを蹴って、湊は走り出した。


(あんな姿を見せられて、燃えないわけがない)


 周囲の歓声が遠くなる。


(集中。全力全開。信頼と絆を力に変えろ)


 身体が軽い。

 思った通りに足が動く。

 心臓から全身へ、どんどんエネルギーが供給されていく感覚になる。


(今の俺に、手加減という選択肢はない)


 コーナーでもスピードを落とさず、さらに加速していく。

 先にスタートしていた生徒を、あっという間に捉えて抜き去った。


「おいマジかよ。速っ……!?」

「失礼」


 前だけを見て、湊は駆ける。


 チームワークを重視するスウェーデンリレーとはいえ、最長区間のアンカーには走れる人材が揃う。

 そんな中でも、湊は規格外だった。


 観客が見てわかるほど、走りに力の差があるのだ。


 湊はさらに1人を抜き、最終コーナー出口でもう1人を抜いた。


 会場のボルテージが、最高潮まで高まる。


 靴が、ゴールラインを踏んだ。

 ゆっくりと速度を落とした湊の元へ、福音がやってくる。


「すごいです! 2位ですよ、2位!」

「ふぅ。さすがに1位は無理だったが、これはこれでお膳立ては整ったな」

「え?」

「ほら、福音。ご両親に向けて、ミッションクリアを高らかに宣言しようぜ」


 湊の言葉に、福音は保護者テントを振り返った。

 最前列で涙ぐみながら拍手をする両親に気づき、福音もまたぐっと涙をこらえる。


 そして湊と並び立ち、両親に向かって指を二本立てた。


 2位の証。

 ミッションクリアのVサイン。

 走りきった自負と誇りの誇示。


 歓声がさらに大きくなった。


 湊は視界の端で、ふて腐れたように背を向ける航平を見た。彼のことを、もう誰も気にしていない。観客も、生徒も――航平が拠り所にしていた幼馴染たちさえも。


 興奮が冷めない様子で、福音は湊へ言った。


「努力して成果を出すって、こんなに気持ちいいんですね」

「そうだな。Vサインが決まってるぞ、福音」

「私にとっては『ふたり一緒』のサインです」


 前髪三つ編みで表情がよく見えるようになった福音の、満面の笑み。

 湊は、またひとつ成長した親友を称え、頭をくしゃっと撫でた。




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