57話 「願い事、聞いてくれますか?」。モブ男の呪縛を振り切って、親友以上の約束を交わす件
――それから体育祭までの期間、湊と福音は毎日のようにリレーの練習を行った。
橘高たちリレーメンバーと行動を共にすることも、次第に当たり前になっていた。
「それじゃ、福音ちゃん。今日もお疲れー」
「お疲れ様でした」
恒例のファミレス打ち上げの後、陽キャグループを見送った福音は、少し残念そうにつぶやいた。
「暦深さんや鋭理さんも来ればよかったのに」
「鋭理は別の競技の練習があるし、暦深は親父さんのことが心配なんだろう」
隣で湊が答える。打ち上げに福音が参加するときは、必ず湊も一緒に顔を出すようにしていた。他ならぬ福音の希望だ。
夕暮れの空を見上げながら、ふたりは連れ立って帰路に就く。
「もうすぐ、体育祭本番ですね」
「そうだな。結局、相沢は一度も顔を出さなかったが……大丈夫なのか、あいつは」
「航平君のことはもういいです。私たちの邪魔をしなければ」
さっぱりした様子で福音は言う。
(やれやれ。こうなるだろうから、ちゃんと謝罪をしておけと言ったのに。相沢は仕方のない奴だ)
内心で肩をすくめた湊は話題を変えた。
「どうだ、橘高たちとの打ち上げにも、もう慣れたか?」
「あはは……陽の気には、まだ圧倒されてしまうヘタレ吸血鬼なのは相変わらずです。湊君が隣にいないと、確実に灰になってました」
指先で頬をかきながら、福音は答えた。
「それでも、皆さんのおかげで『リアルも悪くない』って思えるようになりました」
「大きな成長じゃないか。俺も誇らしいぞ」
「えへ……。最近、SNSでも明るくなったって、リスナーさんからよくコメントもらうんです」
体育祭で結果を出すまでの間、福音は配信活動を一時休止している。その代わり、SNSで積極的に交流するようにしているのだ。
福音の変化に、ファンは気付いているらしい。
心なしか胸を張っている福音の姿に、湊は目を細めた。
「ところで湊君。結さんとは仲直りできたんですか?」
「見るか?」
「見る? 何をです?」
湊はスマホを操作して、写真フォルダを開いた。
隣から覗き込んだ福音が、まるで理不尽なバグに遭遇した夜空姫ネオンのように、険しい顔になる。
そこには、自宅で撮影した結と湊のツーショットがずらりと並んでいた。
「とりあえず、結の言うとおりに庭の草から食べられるものを探していたら、問答無用でリビングに引っ張り込まれてな。半泣きで怒られた」
「そりゃあそうでしょうね」
「で、朝と晩、必ずこういう写真を撮るって約束で許してもらったんだ。休みの日はこれに昼食と買い物の光景が加わる」
「ほ、ほぅ……見せつけてくれますな」
「『私は負けない』って、最近結の口癖になってるんだ。あいつが何と戦っているのか、正直よくわからない。写真を撮ってるときはいつも機嫌がよさそうだから、それはすごく嬉しいのだが」
「見せつけてくれますね!」
「……暦深にも同じことを言われた。どういう意味だ?」
「教えません!」
「リアルは難しいな……」
「湊君が言わないでください。リアルを完全攻略している公爵様じゃないですか」
「いや、そんなことはない」
湊は言った。その横顔に、ふと陰が差す。
「福音に偉そうに言っているが、それは俺自身がリアルで失敗したことを伝えているだけだ。リアルをおろそかにし、全部を失って、今、ようやく少しずつ取り戻そうとしている。福音と違って、まだまだ道半ばなんだよ、俺は」
「湊君」
「だから、俺から見れば福音の方が遙かに先を行ってるんだぜ。自信持ってくれ」
湊にとってのゴールは、タイムリープ前の悪夢を回避し、家族の絆を取り戻すこと。それが達成できるのかどうか、今の湊にはわからないのだ。
着実に進歩している福音を、湊は羨ましくさえ思った。
力なく笑う湊に、福音は口を開きかけて、やめた。彼女はスマホを取り出し、湊にメッセージを送った。
【福音】:私だって、まだリアルは怖いです
【福音】:だから、メッセージを伝えたい
【福音】:私は、もっと湊君のことが知りたいです
福音を振り返ると、彼女はスマホで顔を隠しながら耳まで真っ赤になっていた。
湊は柔らかく微笑み、返信した。
【湊】:ありがとな、福音
【湊】:いつか、お前に俺の全部をさらけ出せるようにするよ
「ふぇっ!?」
「どうした?」
「みみみ、湊君! それはまだちょっと早いんじゃないですか!?」
「過去を含めて胸襟をさらけだすことは、俺にとって親友の大事な要件なんだ」
「……。えい」
スマホの角で叩く福音。小柄な彼女の一撃は脇腹にヒットし、湊は小さく呻いた。
「なかなかの威力だった」
「思念を込めた一撃は重いのです」
「俺、そんなに怒られるようなことを言ったか?」
「えい」
再び攻撃。今度は小さな拳が飛んできた。湊は軽く受け止める。
「ところで福音の方はどうだ? 家ではうまくいっているか?」
「……まあ、はい。暦深さんに撮ってもらった写真を時々両親に見せているので、私が頑張っているのは伝わってるみたいです。それにここ数日、航平君が大人しいので、あの事件は突発的なものだったと理解してもらえました。あとは、本番で練習の成果を見せるだけだと思います」
「そうか、よかった。……それにしても、相沢はどうしていつもつっかかるんだろうな。あいつがもっとまともなら、話は早かったはずなんだが」
「……湊君。私の話、聞いてくれますか?」
ふいに、福音が真剣な口調になった。
湊は「もちろん」と頷く。
「航平君と私は確かに幼馴染です。けど、仲が良かったとは言えません。……仲が良かったと言いたくありません」
福音によると、小学校のとき、福音は航平からのからかいに密かに悩まされていたという。
「ほら、言ったとおりだ。また失敗した」「福音には無理なんだから、俺に任せておけ」――そういった善意の皮を被った呪縛の言葉が、幼い福音に何度もぶつけられ、福音を縛ったのだ。
「中学生になってからも、暦深さんや鋭理さんがいないところで、よくこうした言葉をかけられました。私は萎縮してしまって、航平君には迎合的な態度を取りがちでした。ただ、陰キャな私に航平君が声をかけてくれたのは事実なんです。だから、彼を否定することが私にとって『正しいこと』なのか、ずっと葛藤がありました」
それが今のこじれた関係に繋がっている、と福音は語った。
湊は言った。
「少なくとも、今の福音は間違ってないと俺は思う。橘高たちと話しているとき、福音はとてもいい顔をしていた。相沢と話しているときとは全然違う」
「そう、でしょうか」
「相沢は、福音にとって乗り越えるべき壁だったってことだ。関係がこじれたと、気に病む必要はない。乗り越えて、新しいステージにたどり着いたと思えばいい。そうすれば、少しずつでも自分に自信が持てるはずだ」
「湊君……」
「親友の俺がいる。俺が見てる。だからどんどん前に進め。ふらついたら支えるから」
純粋な、心からのエール。
晴れやかな湊の横顔を見上げた福音は、表情を三度変化させた。
また親友と呼ばれたことに少し不満げな顔。
次に、「湊君らしい」と苦笑する顔。
そして、秘めた思いに口元を結んだ決意の顔だ。
「私……昔の自分を乗り越えるために、体育祭をやりきってみせます。お父さんやお母さんを無事に納得させることができたら、そのときは」
真剣な声と瞳で、問いかける。
「私の願い事を聞いてくれますか?」
「ああ、もちろんだ。親友だからな」
湊は即答した。
こういう返事が来るとわかっていたのか、福音は肩の力を抜くと、少しだけ頬を赤らめて「約束ですよ?」とつぶやいた。




