52話 「プロ崩れの負け犬」。モブ男の暴言と、陰キャVTuberが公爵へバトンを繋ぐ件
午後のLHRが始まった。ここで体育祭のエントリー競技が決まる。
マンモス校かつ、自由な校風が特徴の瑞穂学園らしく、体育祭の競技もバリエーションに富んでいる。暗号を解くタイプの借り物競走や、ドローンを使った玉入れ競技、チェスの要素を採り入れた騎馬戦など、さまざまだ。
それでも、クラス対抗リレーなどの定番花形競技は、やはり人気があった。
各競技の参加者が次々と決まっていく中、担任教師が手元のタブレットを見ながら言う。
「じゃあ次、スウェーデンリレー。普段身体動かさない奴、たまには気張るのもいいぞ。この競技は、そういう連中のためにあるからな。ポイントには関係しないが、ウチの伝統競技だ。やりがいはあるぞ」
しかし、クラスの反応はイマイチだった。
他の花形競技と比べ、やはり地味なイメージがあるようだ。
そんな中、ぴしりと手を挙げる生徒がひとり。湊だった。
「スウェーデンリレーに立候補します」
「お、いいね。やる気があるのはいいことだ。他にはいないか?」
湊は福音の方を見た。彼女は一度ぎゅっと目を閉じてから、ゆっくりと手を挙げた。
「わ、私も……立候補しましゅ」
ざわ、とクラスがざわめいた。
緊張と、肝心なところで噛んだ恥ずかしさでプルプル震える福音を見て、クラスメイトたちが「小動物福音ちゃんかわいい……」と呟いていた。
担当教師がタブレットに名前を入力していく。電子黒板に湊と福音の名前が表示される。
「天宮に千代田、と。ついでに、何番目に走りたいか聞いておこうか。先に立候補した奴の特権ということで」
「待ってください先生。俺も出ます」
「んん? 相沢、お前も出たいのか」
担当教師が意外そうな目で航平を見る。すでに航平は、集団競技にエントリーしていたからだ。競技を掛け持ちするほど熱心な生徒とは思っていなかったらしい。
意外に思ったのは、湊と福音も一緒だった。
航平は、隣に座る湊をじろりと睨んだ。
「お前の好きにはさせないぞ」と表情が物語っていた。対抗意識丸出しである。
航平は、福音に声をかけた。
「福音。どうせお前、一番短い距離を走るんだろ? だったら俺が2走に入ってやるよ」
「え!?」
「幼馴染の俺の方が、こいつよりバトンの受け渡しは上手いはずだからな」
こいつ、と湊を顎でしゃくって示す。
「お前が1走、俺が2走。ほら、いつもそうだっただろ。お前は昔から、俺の後ろをちょこちょこついてきた。だから、これが『正しい』姿だ。そうしようぜ、なあ」
「コウヘイ。勝手に決めるな」
「な、何だよ鋭理。別におかしなことは言ってないだろ」
「お前のそういうところが――」
担任教師が「はいはい、喧嘩すんなー」と教壇を叩く。
航平に迫られた福音は、ひどく困惑していた。ちらりと湊を見る。
湊は、小さく微笑みを浮かべて言った。
「大丈夫だ。お前が決めていい。俺がサポートする」
「湊君……」
ほっとしたように福音の表情が緩む。
そして、一度強い視線で航平を見据えたのち、福音ははっきりと告げた。
「私、3走を走ります。だから、アンカーは――」
「先生。アンカーは俺が務めます」
すかさず、湊は言った。
福音と視線が合った。「ありがとう、湊君」と彼女は口の動きで伝えてきた。湊は頷きを返した。
それから、隣の航平を見る。
「相沢が2走、福音が3走、アンカーが俺だ。よろしくな」
「くそ。またお前かよ、天宮!」
「2走だって大事なポジションだぞ? 福音にバトンを繋ぐ重要な役割だ。それに」
湊は目を細める。
「お前、アンカーなんて柄じゃないだろ。衆人環視の中、1位以外でゴールするのをひどく嫌がりそうだものな」
「……ちっ!」
図星だったのか、航平はそれ以上の会話を拒否するかのように机の上に突っ伏した。
教壇の担任教師が、ぽりぽりと頭をかく。
「喧嘩すんなよ、お前ら。チームワークが大事なんだからな、コレ」
「はい。もちろんです」
にこやかに返事をする湊。
ふてくされる航平の横で、暦深と鋭理が小さく拍手を送っていた。
――放課後。
湊の机の周りに、暦深、鋭理、福音の3人が集まった。
「よし福音。さっそく練習だ」
「え!? もう!?」
「当たり前だ。鉄は熱いうちに打て。やれるときに行動するのが、成果を出すためのコツだ」
湊は窓の外を見る。
今日は梅雨の晴れ間がのぞいている。
瑞穂学園のグラウンドは、最新のゴムチップ舗装だ。水たまりができやすい土のグラウンドに比べて、雨の影響を受けにくい。
実際、体育祭の自主練習をしている生徒が何人か、ストレッチをしていた。
がたん、と隣の席から音がする。航平が荷物を手に立ち上がった音だった。
3女神は、航平に何も言わない。
「相沢」
だが、湊は違った。
「俺たちはこれからスウェーデンリレーの自主練をする。お前はどうする」
足を止めた航平は、ちらりと幼馴染たちを見て言った。
「いや、いい。どうせ俺や福音が出たところで、勝てるわけないし。練習しても疲れるだけだろ。やっても無駄さ」
「そうか。だが、成果を出すには地道に行動するしかないと思うぞ。それは関係の改善も同じじゃないのか」
「はあ?」
「謝罪をするいい機会じゃないかって言ってるんだ」
湊の言葉に、鋭理と福音が目を丸くする。
航平はカッとなって、湊を睨み付けた。
「うっせえな! 知ったふうなことを言うなよ、プロ崩れの負け犬のくせに!」
「プロ、崩れ……」
「もういい。帰るわ。勝手にやってろ」
鞄を背に、航平は乱暴な足取りで教室を出ていった。
クラスメイトたち数人が顔をしかめながら、こそこそと噂話をする。
2ヶ月前はネガティブな話題の中心は湊だったが、今は立場が逆転し、航平のことを不審に思う生徒が増えていた。
湊はその場に立ち尽くしていた。咄嗟に、反論ができなかったのだ。まるで予期せぬフリーズが起きたように。
『プロ崩れの負け犬』――このひと言が、思った以上に湊のメンタルを削っていた。タイムリープ前のトラウマを、端的に抉る言葉だったのだ。
(親友もできて、結とも仲直りできたのに、まだ引きずっているとは。公爵が聞いて呆れる)
「……ひどい。あれは航平君が悪いです。絶対!」
内心で自嘲した湊の傍らで、福音が憤然と告げた。リアルでは滅多に怒りを表に出さない彼女が、珍しく切れている。
「湊君の辛い記憶を、あんなふうに抉るなんて。許せません!」
「福音、お前……」
「湊君。練習頑張りましょう。リアルは苦手だけど、航平君だけは見返したい」
さっきまでの戸惑いは消え失せ、福音の表情には決意とやる気が漲っていた。
親友がここまで言ってくれているのだ。切り替えなければ公爵の名が廃る――そう考えた湊は、力強く頷いた。




