49話 「ごめんなさい」からの卒業。両親が課した体育祭という名の最終試験の件
千代田家の家族会議が、リビングで始まった。
福音は両親と向かい合い、テーブルに座った。父の和宏、母の涼子がいずれも厳しい表情で娘を見つめている。
重苦しい沈黙の後、涼子が大きくため息をついた。テーブルの上に置いたタブレットを、人差し指で叩く。
「まさか、こんなことになるとはね」
福音の手のひらに汗が滲む。子どもの頃から、福音は母のため息が苦手だった。
「福音。あなたが複数の配信をかけもちしているのは知っていたわ」
「え……?」
「あなたがわざわざ選んだアバターは、『fukuine』の配信では使ってなかったでしょう。配信が終わっても物音がしていたしね。まあ、あなたも高校生なんだから、趣味の範囲で配信活動をする分には黙認しましょうって、お父さんと話をしていたのよ」
涼子の言葉に、福音の心は安堵と不安がないまぜになった。
(配信活動自体が怒られることはなさそう……? でも、それならどうしてお母さんたちはあんな怖い顔をしているのだろう)
「でもね、福音。明らかなトラブルに巻き込まれているのなら、話は別です」
「トラブル……」
「誤魔化しはきかないわよ。お父さんも私も、しっかり聞いているからね。あなたが大声で口論している声」
福音は言葉に詰まる。
口論じゃない、航平君が一方的に怒鳴っていただけ――そう主張したかったが、できなかった。
トラブルといえば、そのとおりだ。間違ってはいない。
だがそれ以上に、母の視線と口調が、福音に強いプレッシャーを与えていた。
「表現の自由は私も最大限尊重したい。けど、その結果が暴言や非常識な態度に繋がるなら、黙っておけないわ。あなたの母として、正しく介入しなければならない」
「……」
「福音はお母さんの気持ち、わかってるわよね? 答えなさい」
福音は小さく「ごめんなさい」と呟いた。
涼子が再度、問いかけても、「ごめんなさい」と繰り返した。
ごめんなさいは、福音の口癖。リアルで何度となく口にしてきた、屈服と現実逃避の証。
涼子の眉が急角度を描く。
「ごめんなさいだけじゃ、伝わらないわ。あなたが正しいと考えていることなら、ちゃんと主張しなさい」
また「ごめんなさい」と反射的に答えそうになって、福音はキュッと口を結んだ。
母の言っていることは道理だ。まったく正しい。
福音だって胸を張りたかった。「ネットでは生き生きと活動できている。信じて!」と、両親に堂々と主張したかった。
しかし、一度『正しさ』を持ち出すと、母はなかなか聞く耳を持ってくれない。口論になれば、母の圧力に絶対負けてしまう。
だから福音は萎縮してしまった。
胸の奥がキュッと縮むような感覚。これは航平に『正しさ』を押しつけられた、あのときと同じだ。
嫌な思い出に、嫌な感情が上乗せされる。
(やっぱり、リアルは嫌だ……)
消えたいと思った。このまま時間が過ぎて、両親が諦めてくれればいいと、姑息な考えもよぎった。
そのときふと、福音の脳裏に湊の姿が浮かんだ。
(湊君なら、こんなときどうするだろう)
――俺なら言う。そのために人生をやり直している。
福音の頭の中で、湊はきっぱりとそう告げていた。
不思議なもので、湊を意識すると、辛い気持ちがスッと楽になった。
以前、湊と一緒にコラボ配信をしたときのことを思い出す。自然と口元が緩んだ。
「……福音? ちょっと、何を笑っているの。言いたいことがあるなら、きちんと言葉に――」
「うん。言う。私、配信がしたい、です」
突然、福音が思いを口にしたせいだろう。涼子は虚を衝かれたように黙った。
「電話の相手は、航平君。今日の彼、すごく怒っていました。心当たりは、ありません。いつもは、こうじゃない。配信だって、今までは何ともなくて。本当に、今日は特別……。だから、負けずに配信続けたい、です」
(ああ、何て拙い説明。どうして私は、リアルでは大事なことを満足に話せないのだろう)
内心で嘆く。
娘の様子に、涼子はまだ納得していない表情をしていた。
一方の和宏は、目を丸くして福音を見つめた。
「少し、驚いたね。こういうとき、福音は『ごめんなさい』と言って黙ってしまうのに」
「お父、さん?」
「考えを口にできたことは評価しないと。なあ、涼子」
まさか擁護されるとは思わず、福音は目を瞬かせた。
(言えた? 私、ちゃんと言えたの?)
――成長したな。
頭の中の湊が褒めてくれた。福音は俯き、緩む頬を必死に抑え込んだ。
母は渋面を崩さない。
「あなた。そんな暢気なことを言っている場合じゃありません。トラブルはトラブルです。航平君って、幼馴染のあの子でしょう? 今まで何ともなかったのに、急に言い争うって、普通じゃないわ。これは配信がきっかけで福音が間違った道に進みかけてるサインよ」
「そう決めつけるのは早計じゃないかな。君は今回の件、どうすべきだと思う?」
「しばらく配信活動を禁止すべき。場合によっては、この先もずっと」
息を呑む福音。
「福音は続けたがっているのに?」
「現実逃避はこの子の悪い癖よ。保護者として、ここは厳しくいくのが正しいやり方。福音にはちゃんと、現実を見てもらいたいもの」
「なるほど。現実を見る、か」
心臓が早鐘を打つ。
擁護してくれた父まで母に賛同してしまったら、もう福音にはどうしようもない。
和宏はテーブルの上で手を組んだ。
「それじゃあ、こういうのはどうかな。間違った道を進んでるわけじゃないと、福音自身に証明してもらうんだ」
「証明? どういうこと?」
「現実逃避が福音の悪い癖で、配信はその悪癖を助長していると君は考えているんだろう? だったら、この子が現実の学校生活をきちんと送れているかどうか見てみようじゃないか。実生活が問題なく充実しているのなら、これまでどおり配信を趣味の範囲として認めてもいいんじゃないかと僕は思うよ」
「それは」
涼子が言い淀む。
和宏は福音に向き直った。
「福音。確か、もうすぐ体育祭だったね? そこで、学生らしく頑張っている姿を僕たちに見せてくれ」
「え!?」
「学友たちと協力して、清く、正しく高め合う。全力で身体を動かし、目標に向けて邁進する。それができるなら、きっとこれからも福音は道を間違えないだろう。どう思う、涼子?」
意見を求められた涼子は腕を組んで考えた。しばらくして、眉間の皺が消え、表情が緩む。
「そうね。確かにそれができるなら、私も福音の学生生活に安心できるわ。現実逃避する癖を克服できたと思える」
「決まりだね」
福音は酸欠の魚のようにパクパクと口を動かした。
体育祭の競技なんて、意地と意地のぶつかり合いだ。それは福音が最も苦手とするリアルであり、できればサボりたいとすら思っていたのに。
瑞穂学園は運動部の精鋭も集まっており、体育祭はたいへん盛り上がるという。
そんな人たちと同じテンションで参加するなんて、福音には想像もできなかった。
だが、適当な競技に参加してお茶を濁すだけでは、両親は絶対に納得しないだろう。
つまり、配信者を続けるためには、これまでの自分をひっくり返すレベルで、体育祭に全力を尽くさなければならない。
大いに戸惑う福音の前で、両親は告げた。
「今度の体育祭、期待しているよ。『正しい学生生活』を送っていることを、僕たちに見せてくれ」
「それまで、配信活動は認めません」
(ど、どうしよう……! 大ピンチです……!)




