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43話 「あたし、役に立たないといけないの」剥き出しの絶望。「ひとりにさせない」と誓う親友の件


 しばらくして、暦深は少し落ち着きを取り戻した。上体を起こし、目尻を拭う。


「ごめんね、みーくん。また困らせちゃった」

「いや、気にしてない。むしろ親友として本望だ」

「みーくんはブレないね」


 頬をわずかに緩めた後、暦深は語り出した。


「あのね、あたしの家が父子家庭だってことは話したよね。パパはあたしが小さい頃、事故で怪我して、車椅子生活になったんだ。それまでは、結構バリバリなエリートだったんだよ?」


 今も立派に働いてるけど、と暦深が付け加えると、湊は頷いた。

 バリアフリーに対応した戸建て住宅を新たに建てられるくらいだ。相応の収入がある人なのは間違いないだろう。


「物腰の柔らかい人だから、そうじゃないかと思ってたよ。NPCでああいうキャラは、だいたい善人で地位の高い人だと相場が決まってる」

「もー。こんなときでもゲームに喩えるのは止めてってば」

「それだけ理想に近い人だってことだ。辛い境遇におかれてもなお、柔らかさを失わない人は並大抵の器じゃない。エリートなのも納得だ」


 湊の言葉に、暦深ははにかんだ。「ありがとう。そう言ってもらえると嬉しい」と彼女は言った。


「しかし、娘ひとりで車椅子の父親と暮らすのは大変じゃないか?」

「まあね。けど、もう慣れちゃった。パパ、見ての通り結構ドジなところがあるからさ。あたしが色々先回りして世話を焼く癖が染みついちゃったというか。元からの習慣が良い方向に変わったというか」

「なるほど。母親とは連絡を取ってないのか?」


 それは、湊が理想の家族を求めるからこそ零れたひと言だった。

 円満な家庭に憧れを持っている湊にとって、たとえ両親が離ればなれでも良好な関係を保つ家族は、思い描く理想の姿だった。

 献身的で誰にでも優しい暦深と、穏やかで器の大きな誠一。このふたりの家族なら、きっと自分の理想通りであるはずだ。そうあってほしい、と考えていた。


 ――大失敗だった。


「…………」


 途端に暦深の表情が変わった。

 うつむいたまま口元を引き攣らせ、顔色は青白く、目を大きく見開く。ネイルを外した指先や細い肩が細かく震え始める。


 まるで、後頭部に銃口を突きつけられたような、極度の緊張に縛られた姿だ。


 無言の暦深のこめかみに、冷たい汗が浮かぶ。ずっと息を止めているのだと悟った湊は、すぐに声をかけた。


「暦深、落ち着け。ゆっくりと息を吐け。俺はここにいるし、お前も、誠一さんも何ともない。ここは安全な場所だ」

「……みぃ、くん」

「すまなかった。俺の配慮が致命的に足りなかったせいだ。お前は悪くない」


 何度か小さく頷く暦深。それすら、本人の思いとは違う反射的な仕草に見えた。


(何て迂闊だったんだ、俺は。この馬鹿公爵が)


 湊は不用意な言葉を吐いてしまったことを後悔し、自分を罵った。


『母親』というキーワードは、強烈に暦深の心に刺さったようだ。湊が背中をさすり、穏やかに語りかけ続けても、暦深の緊張はなかなか解けなかった。


 ふと、うわごとのように彼女は呟く。


「あたしは、役に立たないといけないの」


 十分に役に立っている――そんな言葉も、今の暦深には届かないかもしれない。湊はただ黙って、暦深に寄り添った。

 歯がゆかった。

 だが、湊はその情けなさを敢えて受け入れた。

 人間は時として、無力感を噛みしめながら耐え抜くしかないことを、湊は『山』と『師匠』から教わっていたからだ。


 湊と暦深の身体は触れ合っている。

 ただ、心と心の間には隙間風が吹き抜けたような気がした。


 この弱々しく、今にも風に吹き飛ばされそうな少女の姿を見て、湊はまた『ホクロの君』を連想した。

 湊は自分への怒りで、指先が白くなるほど拳を強く握りしめた。


 ――その数分後、処置室から誠一が出てきた。

 湊の見立て通り、大きな怪我はなかったようだ。そのまま帰宅することを許された。


 タクシーを待つ間、暦深は車椅子の手押しハンドルを握って、誠一に笑いかけた。


「パパ、いい加減大人しくしてよね。心臓止まるかと思ったんだから」

「ははは。悪い悪い。たまには早く帰宅して、暦深がやってくれてる家事を頑張ろうと思ったんだが」

「ちゃんとあたしが見てるところでやってよね。昔っから、あたしがいないとこで大失敗しちゃうんだから」

「面目ない。……天宮君にも」


 ふいに声をかけられ、湊は少し驚いた。

 誠一の視線が、まるで内心を見通すかのように、じっと湊の目を捉えている。

 そして、誠一は静かに目を伏せた。詫びているように湊には見えた。


 ちらりと暦深の横顔に視線をやる。

 さっきまでどん底の表情をしていた暦深が、一転して明るい笑顔を貼り付けていた。

 無理をしている。内心を偽っている。

 誠一はきっと、そのことに気付いているのだと、湊は思った。


 その後、やってきたタクシーに乗り込み、暦深の自宅へ向かった。到着後は、暦深と協力して誠一を家の中に運んだ。

 帰宅する湊のため、タクシー代を出そうとする誠一に、湊はやんわりと断りを入れた。

 久路刻宅を出たとき、暦深が玄関口まで見送りに来た。


「ごめんね。今日は、その……いろいろ」

「いや」

「あたしね、ずっとああいうお世話ばっかりして生きてきたの。いわゆるヤングケアラーってやつ?」

「手慣れていた。俺は大事なスキルだと思う」

「みーくんなら、そう言うと思ってた。あはは……あのね? やっぱりあたしたちは、普通に友達がいいよ。みーくんにとっても、あたしにとっても」


 そう告げる暦深の真意を、湊は問い詰めなかった。

 彼女の今の姿が、かつて、一番どん底だったときの自分と重なって見えたのだ。

 だから、何となくわかる。彼女は好き好んで湊から離れようとしているのではない。ただ、親友を受け入れるだけの心の余裕を失っているのだ、と。


 なら、絶望の先輩として言えることはある。


「俺は暦深を親友だと思い続ける。一番しんどいときに味方がいることで、どれほど救われるか知っているから。気持ちの整理がついたら、また頼ってくれ。俺はお前のおかげでひとりじゃなくなったし、お前は俺がひとりにさせない」

「……。……ふぐっ。もう、みーくんってば……うぅ」


 思わず涙ぐんだ暦深を、湊は抱きしめた。

 心の支えが必要なことに、男女の別はないのだ。そう信じているがゆえの抱擁だった。



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