30話 「家族と一緒にいるみたい」清楚な美人をエスコートして、心を解きほぐした件
女性を抱えて窮地を脱した湊は、その後もいくつかの壁を軽々と乗り越えてみせた。
男たちを完全に振り切り、女性を地面に降ろす。すぐに湊はハンカチを取り出し、彼女の服についた土埃を払い始めた。
「申し訳ない。装備品が汚れてしまった」
「いえ、そんなこと……って、装備品?」
「プロなら、たとえ不利な装備でもスマートに移動できたでしょう。これは俺の不覚。『お前は冬山装備でもあたふたしていたな』と師匠に笑われそうです」
きょとんとする女性を見上げ、湊は言った。
「ですから、あなたは一切悪くありません。ご家族に責められたのなら、『通りすがりのノーデリカシー公爵に拉致された』と遠慮なく俺を悪者にしてください」
「ふっ……! ふふふふ! 面白い人!」
口元に手を当て、声に出して笑う女性。湊はハンカチの端で、女性の頬に付いた汚れを優しく拭った。
しばらくぼーっと見つめてくる女性に、湊は告げる。
「もう大丈夫でしょう。では、そろそろ自分は失礼します。人を待たせているので」
女性はハッと気付いて頭を下げた。
「助けていただいて、ありがとうございました。このお礼は必ず……!?」
言葉を飲み込む女性。
安心したせいか、急に膝がガクガクと震え始めたのだ。
湊が横から支えると、女性はぽつりと言った。
「実は、誰かにずっと見られているような気がして」
「先ほどの男たちですか?」
「違うんです。あの人たちとは別の誰か……。その視線を振り払おうとあの路地に駆け込んだら、運悪くあの男の人たちにぶつかってしまったんです。それでトラブルに」
「なるほど」
女性を助ける直前に感じた視線は、そのことだったのかもしれないと湊は考えた。
(見ず知らずの俺に打ち明けるほどなんだ。相当な恐怖と不安があったに違いない)
「とりあえず、近くの交番まで付き添いましょう」
「い、いえ! そこまでしてもらうわけには。自宅が近いので、あとはひとりで大丈夫です」
「じゃあせめて、そこまでは一緒にいます。『小さな危険を見逃すな』と師匠から教えられているので」
「お師匠、さん?」
「素手で熊を撃退する御仁です。教えに逆らったら夢に出てきてどやされる」
わりと真面目に湊は言ったのだが、女性は再び吹き出した。
「不思議な人。おかげで嘘みたいに気持ちが楽になりました」
「この話は嘘じゃない……」
「ふふ、本当に面白い。じゃあ素敵な公爵様。エスコートをお願いできますか?」
「わかりました」
湊は頷き、女性の半歩前に立つ。
後ろで女性がハンカチを取り出した。湊の長袖に付いていた汚れを払う。
そのとき、湊はわずかに顔をしかめた。
「ご、ごめんなさい。あの、もしかして怪我をされたのですか?」
「いえ、何でもありません」
「ですが、先ほどは痛がっていました」
「大丈夫です」
「……お師匠様は『小さな危険を見逃すな』とおっしゃっていたのでは?」
「……甘んじて殴られます。夢の中で」
「駄目です。恩人に悪夢を見させるわけにはいきません。これは是が非でも、うちに来てもらわなければ」
「俺は人を待たせていて――」
「ではすぐ終わらせましょう。大丈夫、家族の手当で慣れてますから。すぐです。すぐ」
「俺の方が連れ込まれている……?」
「本当ですね」
女性は三度笑った。いつの間にか湊の隣に並んで歩く。
「そういえば自己紹介がまだでしたね。私は――」
「互いの自己紹介は安全確保ができてから」
「そんな格言、初めて聞きました」
「後方と左右は俺が確認します。あなたは前だけを向いて、最速で自宅のゴールを目指してください。ミッションスタートです」
「何だかアトラクションに参加しているみたい」
微笑む女性からは、すっかり不安や恐怖が消えていた。湊を見上げる視線は優しい。
清楚な美人とふたりきりのシチュエーションでも、ノーデリカシー公爵はいつも通りの態度だった。最速の『帰宅』を求め、随伴者に徹する。
「本当に不思議な気分」
ふと、女性が言った。
「こんな気持ちで男の人と歩くのは初めてかも。エスコートというよりも、家族と一緒にいるみたい」
「家族!? そこのところ詳しく」
「ふふっ。そうねえ。全然緊張せずにいられるところかな。私、男の人に声をかけられるたびに身構えちゃうの。あんまり良い思い出がないから……」
「でも、あなたからそういうのは感じない。全然」と女性は言った。湊は首を傾げた。
「俺はこれがデフォルトですが」
「だからいいの。――あ、着きました。あの家です」
気がつくと、女性の家に到着していた。
立派な門構えの、大きな家である。敷地は湊の実家の二戸分はゆうにある。敷地を囲う白い壁は、石の継ぎ目が美しい直線模様を描いていた。
「……パルクールしたら楽しそうな壁ですね」
「駄目です。妹みたいなことを言わないでください」
「妹さんとは気が合いそうだ」
「もう……。でも、本当にそうかも。あの子、身体を動かすことが本当に好きで――あ、噂をすれば」
敷地内へと繋がる扉から、気配を察したのか長髪の女性がひとり出てくる。
彼女の顔を見た瞬間、湊は驚きの声を上げた。
「鋭理!?」
「ミナト!?」
家から出てきたのは、何と鋭理だったのだ。
視界の端に、表札を見る。そこには確かに『冴島』の名前が刻まれていた。
湊たちの反応を見て、女性は口元に手を当てた。
「まあ、鋭理。この方とお知り合いなの?」
「知り合いというか、親友のミナトだ。姉さん」
「姉さん?」と湊が目を見開く。女性が笑った。
「冴島鋭理の姉、冴島詩織です。妹がいつもお世話になっています。あなたが、鋭理が言っていた天宮湊君だったのね」
「姉さん。どうしてミナトと一緒なんだ?」
「ふふ。公爵様に助けてもらっちゃった」
「何だと?」
何故か湊を睨む鋭理。
「困っている私を放置して、姉さんを助けたということか、ミナト」
「困ってる? 鋭理、何かあったの?」
途端に黙り込む鋭理。気まずそうに視線を明後日のほうにやる彼女の前に進み出て、湊はカギを差し出した。
「遅れてすまん」
「……このノーデリカシー公爵め」
「お前の口からその単語が出てくるなんて珍しいな。ほら、これ家のカギだろ。閉め出される悲しみは俺も理解している。辛かったな」
「このノーデリカシー公爵め!」
顔を赤くして鋭理が声を荒げる。
妹の姿を、詩織は目を丸くして見つめていた。
「あの鋭理が、あんなに感情を露わにするなんて」
「見ろ、ミナト。お前のせいで私の印象が揺らいだぞ。家族内のバランスを取る私の努力が水の泡だ!」
それは一大事だ、と湊は真面目な顔で応じた。
「どうすれば挽回できる?」
「……っ。とにかく、家の中に入れ! 話はそれからだ!」
腕を引っ張って、湊を家に引き入れる鋭理。
その後ろ姿を見ながら、詩織は穏やかに目を細めて呟いた。
「本当に信頼できる友達ができたのね。姉さん、ちょっと妬けちゃうな」




